生活者と一緒にロマンを語り、夢を語れ -[書評]中澤満正著『これから生協はどうなる――私にとってのパルシステム――』(社会評論社、¥1800円+税) -
- 2012年 4月 12日
- 評論・紹介・意見
- 『これから生協はどうなる』中澤満正岩垂 弘書評
今年2012年は、国連が設定した「国際協同組合年」。世界各国の政府と国民が協同組合について理解を深め、協同組合をさらに発展させるために1年間かけて努力しようとの狙いから設けられた「国際年」である。そんな折り、協同組合の一つ、生活協同組合(生協)のあり方を根底から問い直す本が刊行された。昨年暮れに出版された中澤満正著『これから生協はどうなる――私にとってのパルシステム――』(社会評論社)だ。いわば、中澤さんの「遺言」と言っていいだろう。
中澤さんは、1944年生まれ。63年、明治大学法学部へ入学。学生自治会活動に参加し、学生会(昼間部自治会)中央執行委員会委員長に就任するが、67年、学費値上げ反対闘争で退学処分を受ける。その後、鉄骨塗装工、業界誌記者、書店経営を経て、父親が創設した北多摩生協に入る。その後は生協運動一筋で、77年には「首都圏生活協同組合事業連絡会議」の設立に加わり、常務を歴任。90年に「生活協同組合首都圏コープ事業連合」が発足すると専務理事に就任。96年には、その理事長とコープやまなしの理事長に就任する。98年にはそれらを退任し、2003年、コンサルタント業を開業する。
首都圏コープ事業連合は、首都圏のいくつかの生協によってつくられた事業連合だが、無店舗事業の「個配」を始めた生協グループとして知られる。それまでの生協は、店舗と共同購入(組合員数人で班をつくり、共同で商品を購入して自分たちの手で分ける)という業態が中心だったが、首都圏コープ事業連合は、商品を組合員宅の一軒一軒に個別配達するという方式を新たに生み出した。
この方式は、組合員に歓迎され、首都圏コープ事業連合は驚異的な成長をとげた。2005年には「パルシステム生活協同組合連合会」と改称、いまや1都9県の9つの地域生協が加盟し、傘下の組合員130万人、年総供給高1900億円という生協グループに発展している。
生協陣営では、当初「個配」に対し反対意見もあった。が、他の生協もこの業態に注目し、次々と「個配」に転換した。生協の全国組織、日本生活協同組合連合会も今や、これを購買事業の主要な業態と位置づけ、全国的な拡大を図っている。
この個配を考えだしたのが、中澤さんである。元パルシステム生活協同組合連合会理事長の濱口廣孝さんは「1970年代後半から1980年代前半に事業伸長の最盛期を終えた『共同購入』に替わる新業態『個配システム』の開発を提起したのは、中澤氏である。その理由は、現実的な共同購入の班人数の減少である。このままでは共同購入が成立しなくなることを予測し、将来にわたって持続可能なシステム作りを提起したのである」と述べている(『これから生協はどうなる――私にとってのパルシステム――』)
中澤さん自身も、本書の中で、「早くも1970年代の半ばから、私たちは地域社会の崩壊と変化を実感していました。生協における共同購入の近接地域単位の『班』の人数がどんどん減っていきました」「私たちの生協は、1970年代以後の『地域社会』の崩壊に対応してきたという自負があります。……その最終形が1988年、私が発想した生協の個配です。これで2010年まで、なんとか生協は生き延びてきました」と述べている。
中澤さんは、昨年、「すい臓がんの末期」と診断された。9月1日に入院したが、そこで「余命はあと3カ月」と宣告された。抗がん剤治療が始まったが、医師からは「抗がん剤治療を続ければ余命が4~5月に延びるかもしれない」と言われたという。
そうした事態に、これまで中澤さんと一緒に生協運動を続けてきた人たちが「中澤さんがこれまで生協にかけてきた思いや、生協の行く末に対する心配などを生協の仲間、とくに次世代の生協人にに伝えたい」との思いから、中澤さんがこれまで書いてきたことや、講演でしゃべったことを一冊の本にまとめよう、と思い立った。その結果、急きょ刊行されたのが本書である。
本書の中で、中澤さんはいう。
「私たちは『獏(ばく)』のように生きてきた、と思っています。……よく昔の絵に描かれているのですが、人の夢を食べて生きる動物とされています。我々はまさにその『獏』のように生きてきました。今では想像もつかないような劣悪な労働条件のなかで、給料も出るが出ないかわからない。将来に対する夢と自分の理想を掲げて、それだけを糧にいきてまいりました。……その当時も今も共通していることがある。夢を失ってしまえば、『生協』は、社会的な存在の意味を喪失してしまう、ということです」
「もっと率直にいえば、生協のおこなっている事業は、実際には三流の小売業にすぎません。しかし、『生協』だからやれることがあるし、やっている意味がある。生活者と一緒にロマンを語り、夢を語り、その夢を実現させるべく努力する。これは、一流の流通業でもできないことだと思います」
中澤さんは、こうもいう。
「生活者が自らの生活のために少ないお金をもちよって、努力しあいながら、自分たちの生活を豊かにする。生活協同組合は、もともとそういう運動です」
「ということは、生協はたんに食品だけを扱うものではない。大阪では、共同で使用できる銭湯を運営していた生協もありました。終戦後の生協も食品を扱っていましたが、それは食の安全のためではなかった。当時、配給される食糧だけでは、みんな栄養失調で死んでしまう。違法であっても、みんなでお金を出し合って、警官の取り締まりをかいくぐって、農村から闇物資を調達したい。まさにそういう命がけの運動でした」
「だから、生活協同組合のテーマは時代や社会環境の変遷とともに変わります。むしろ、何だっていい。その時その時の生活者にとって、いちばん切実でリアリティがあるもの、多くの人の共感をうむ課題に取り組めばよい。そして、『協同組合』だから、誰かから強制されたものではなく、自らが自らの責任においてやるべきものです」
「いつのまにか、日本の生協は大きくなって『売る側』と『買う側』に分かれてしまいました。もう、利用する組合員さんは『協同の作業』ではなくただの『購買』に移ってしまっている」
ここには、中澤さんが長い活動の中で体得してきた生協論が展開されているばかりか、生協の現状に対する痛烈な批判がある。
ところで、中澤さんにとっての気がかりは、生協はこれからどう歩むべきかという確固たる展望が、どこからも提示されていないことにあるようだ。中澤さんは、地域社会の崩壊という事態に直面して共同購入の限界を知り、家族に立脚した「個配」という新しい業態を開発した。ところが、中澤さんによれば、今や、その家族が崩壊しつつあるという。となるとと、個配もいずれ行き詰まる。ならば、個配に代わる商品供給の業態を見いださなくてはならない。が、それが、まだ見えてこないという。
本書の中で、中澤さんは書く。「2000年以降の『家族』の崩壊に対しては、生協はほとんど手を打てていない。私にはそう見えます」
本書の最後の方で、中澤さんはつぎのように訴える。「歴史の中で、必ず業態は、時代の変化とともに陳腐化していく。……時代の変化とともに消滅していくマーケット。そして、それから新しく生まれてくるマーケット。進化する暮らしのニーズ。この『今』の、この時代に私たちのサービスがあっているのかどうか。率直に、そして大胆に検証し、改革し、乗り越えていってほしい。それが、私の最後の願いである」
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