経団連会長会社の社会貢献活動に異議あり! (下) -なぜ農薬蚊帳は大量配布され続けるのか-
- 2013年 1月 8日
- 評論・紹介・意見
- 住友化学健康被害岡田幹治農薬蚊帳
(上)で述べたように、オリセット事業は効果の点でも安全性の面からも問題が多い。にもかかわらず、住友化学はオリセット事業の拡大に意欲的だ。同社の水野達男ベクターコントロール事業部長は12年7月の意見交換会で、耐用年数がくる蚊帳の更新も必要であり、(無償供与のための)資金を確保して販売を拡大していきたいと述べていた。
それも当然かもしれない。実はこの事業は製品のほとんどを公的機関に買い上げてもらえる、メーカーにとっておいしい商売なのだ(注16)。それは経済産業省が推進している「BOPビジネス」の先行事例にもなっている。
◆「いのち」への想像力を欠く企業
住友化学の歴史は、銅精錬のさい生じる有害ガスから肥料を製造するため、1913三年に設立された「住友肥料製造所」に始まる。環境問題の克服と農業の生産性向上との同時達成をめざした事業を出自としていることから、同社は「事業を通じて社会の持続可能な発展に寄与することがCSR(企業の社会的責任)であるという信念がDNAとして根づいている」とPRしている(注17)。
だが、美しい建前とは裏腹に同社の農薬事業には汚点が少なくない。
たとえば1990年代、先進国の化学メーカーは農薬の使い方がよく分からない途上国に大量の農薬を輸出した。その結果、50万トン以上の農薬が使いきれずに途上国に放置され、水や土壌を汚染し、住民の健康を脅かしていると大きな問題になった。これについて国連の食糧農業機関(FAO)は01年、農薬の主要輸出企業としてバイエルやデュポンなど7社を名指しして警告したが、その中に「スミトモ」の名があった(注18)。
国内では、安全性関係のデータ改竄が発覚している。
08年5月26日の朝、島根県出雲市で松枯れ対策のため有人ヘリコプターで空中散布された農薬で、登校中の児童・生徒ら1200人以上が「眼がかゆい」「眼が充血した」「眼が痛い」などと訴える事故があった。このとき使用されたのが、住友化学のスミパインMC(成分は有機リン系農薬フェニトロチオン、商品名はスミチオンなど)である(注19)。
出雲市の原因調査委員会では最終的に「空中散布が原因、あるいは原因の可能性がある」とする意見が11委員中9人を占めたのだが、審議の過程で住友化学のウソが暴かれた。
同社のスミパインの「技術レポート」には「ウサギを用いた試験結果では、眼や皮膚に対する刺激性はない」と記載されていたが、植村振作委員(元大阪大学助教授)が行政文書の開示請求で毒性試験資料を入手したところ、「ウサギの眼に対して、ごく軽度の刺激性あり」と記されていたのだ。指摘を受けて住友化学は誤りを認め、技術レポートの記述を改めた(注20)。この指摘がなければ、いまも改竄データを使っているに違いない。
同社は現在、安全への取り組みとして、豊富な知見と最新の科学技術を駆使してリスクの評価・管理を徹底しているとし、さらに「予防原則的アプローチの支持」など10の原則を掲げた国連の「グローバル・コンパクト」にも参加している。
しかし、オリセットの開発や出荷に当たって最新の科学的知見を十分に考慮したようには見えないし、予防原則で対処したようにも見えない。そこに見えるのは、広い意味での人間の「いのち」というものへの想像力の欠如である。
◆「BOPビジネス」のいかがわしさ
オリセットがその優等生とされる「BOPビジネス」とはどんなものだろうか。
BOP(ベース・オブ・ピラミッド)とは、世界の人々を所得階層別に分けたピラミッドの底辺層(年間所得3000ドル未満、約40億人)のことだ。上層(トップ=同2万ドル以上)は約1.75億人、中層(ミドル=同3000ドル以上)は約14億人だから、BOPは全体の約70%にもなる。
この層は先進国にとって長い間、援助や慈善の対象と考えられてきたが、消費者とみなすべきだという考えが、1990年代に米国の経営学者から提起された。この層は貧困をはじめとする多くの社会問題に悩まされているが、その解決に役立つ事業を企業が行えば、企業と住民の双方にとって利益になると主張されたのだ。
もっとも40億人の市場といっても、うち約25億人は1日を2ドル以下で生活する人たちで、その購買力に多くは期待できない。そこから援助と連携する構想が浮かんだ。おりから援助国や国際援助機関は従来型の援助が効果をあげていないことに悩んでいた。しかも財政は逼迫し、援助資金を増やすこともできない。そこで官民連携によって打開を図ることが計画された。
今世紀に入ると、国連環境計画(UNEP)や米国国際開発庁(USAID)が官民連携による援助制度を整え、欧米の大企業がこの新市場に参入した。その中で成功例の代表として取り上げられるのが、ユニリーバのインドの子会社による「ヨード添加塩(ブランド名・アンナプルナ)」である(注21)、このようなビジネスが活発になれば途上国の貧困は解消に向かい、底辺層が次第に中堅層に育っていくといった夢物語が語られている。
長引く経済低迷に悩む日本の政府と経済界にとって、この動きは見逃せなかった。欧米より約10年遅れた09年、経済産業省は「官民連携によるBOPビジネスの推進」に動きだした。まず研究会を組織して官民の「課題と対応策」をさぐり、フォーラムを開いて関心を高めた。企業が現地でビジネスを試してみる制度(現地F/S調査)が実施され、BOPビジネス支援センターも設置された。
その狙いは日本企業にとっての新しいフロンティアの開拓であり、市場開拓に必要なイノベーションが日本経済を活性化させるだろうという自国本位の発想である(注22)。
ただ、BOPビジネスには当初から次のような問題が指摘されていた――。貧困層の上部の消費を市場経済化するものにすぎず、社会的課題の解決に役立つかどうか疑わしい。貧困層のニーズを企業が勝手に決めてしまう、環境問題がなおざりにされる、格差が拡大してコミュニティが破壊されるなど、企業活動がもたらす負の影響を避けることができない、などなど(注23)。
このような欠点を補うには現地のNGO・NPOや社会起業家との連携が不可欠とされるが、実施される事業は玉石混交だ(注24)。あるコンサルタントは「BOPビジネスとは、社会貢献という砂糖をまぶした、中長期的な利益最大化戦略だ」と言い切っている。そして住友化学の農薬蚊帳のように効果と安全性に問題の多い事業も存在するのである。
◆マラリアはどんな病気か
マラリアとはどんな病気だろうか。
エイズ、結核と並ぶ三大感染症の一つで、世界では年に約2億人もが罹患し、約100万人もが死亡する。うち8割以上が子どもで、時が1分を刻むごとに1人の子どもが命を失っている――そう聞かされると、とても恐ろしい病気に思えるが、アフリカのマラリア多発地域の住民の受け止め方は相当に違う。
アフリカでは農薬蚊帳を無償で配っても、目的通りには使われないことが少なくない。それはしばしば漁網や鶏小屋に転用され、ときにはウエディング・ベールにさえなると現地の新聞は伝えている。住民にとってマラリア予防より漁業や養鶏の方が重要なのだろう(環境汚染や健康被害が心配だ!)。
なぜ農薬蚊帳は使われないのだろうか。西アフリカ・ブルキナファソでの現地調査結果が公表されている(注25)。
研究者たちは農薬蚊帳の効果や使用法をきちんと説明したうえで、パーマネットとオリセットという農薬蚊帳を合計455張り配布し、1年間、観察を続けたところ、1年も経たないうちにあまり使われなくなった。
その最大の理由は、住民たちがマラリアを「大した病気ではない」と考えていることにある(注26)。マラリアにかかれば高熱が出て仕事ができなくなり、ときには死に至ることもあるが、それはまれなことだ。
だから住民たちはこう言う――。「ここの住民は誰でも『悪寒』(マラリアのこと)を知っている。なぜならみんなすでにかかっているから」(35歳の女性)。「悪寒になったら、薬を飲むか薬草を飲めば治る。悪寒が深刻になることはめったにない」(40歳の女性)。
住民たちの認識を統計数字と照らし合わせてみよう。マラリアの罹患者は年間約2億人、死者は約100万人と推計されている。確かに死者数は多いが、死亡率でみれば0.5%だ。約1億9900万の人たちが毎年マラリアにかかって生き残り、抗体を身につけているとみることもできる(注27)。
そもそもマラリアは子どもたちの最大の死亡原因ではない。WHOの2010年の調査によれば、世界の新生児と5歳以下の子ども死亡原因は、出産にかかわる疾病(早産や敗血症)が30%、肺炎が18%、下痢が11%で上位を占め、マラリアは7%で4番目だ(注28)。
途上国の子どもたちを本当に助けたいと思うなら、母親が安全に出産できるようにし、子どもが肺炎や下痢にならないようにすることがより重要ではないだろうか。
◆殺虫剤に偏重するマラリア対策
WTOが中心になって実施されているマラリア撲滅の国際戦略は次の柱から成っている。
第1が農薬蚊帳の普及であり、WHOはパーマネットとオリセットの新タイプを含め13種類を推奨している(すべてピレスロイド系殺虫剤を使用)。第2がDDTを含む殺虫剤の室内散布で、「室内残留性噴霧」(IRS)と呼ばれる。残効性のある殺虫剤を屋内の壁に噴霧し、壁で休息する性質をもつ蚊を駆除する方法で、WHOはDDT(有機塩素系殺虫剤)、マラチオン、フェニトロチオン(いずれも有機リン系殺虫剤)など12成分を推奨している(注29)。第3が簡易診断キット(RDT)を使った早期診断、第4が適切な抗マラリア薬による治療だ。
WHOのマーガレット・チャン事務局長によれば、11年の世界のマラリア対策費は史上最高の20億ドル(約1600億円)に達したが、その最大の使途は殺虫剤だった。「世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)」では、マラリア対策費の43%が農薬蚊帳、4%がIRSに支出され、米国の「大統領マラリア・イニシアティブ」(PMI)では農薬蚊帳に35%、IRSに23%が支出されている。
マラリア対策が農薬に偏重しているという事実は、09年の新型インフルエンザ流行のさいのWHOの行動を思い起させる。このときWHOは危険水準を誇張して発表し、6月には危険水準を最高度の「フェーズ6」に引き上げて緊急事態を宣言。各国政府に予防ワクチンを大量購入するよう呼びかけた。しかし実際には大流行にならず、製薬会社が巨額の利益をあげた半面、フランスや日本などの政府は大量の未使用ワクチンを抱え込むはめになった。
疑惑を告発したウォーダルク欧州会議保健衛生委員長(ドイツの医師)は「WHOには製薬会社と関係の深い顧問やスタッフがいて、不必要に危機をあおった」と述べている(注30)。
国連の機関は一見、公正無私に見えるが、実際は世界の業界関係者が激しいロビー活動を繰り広げているところだ。新型インフルエンザの場合と同じように、農薬メーカーの関係者がマラリア対策の策定に影響を及ぼしていることはないのだろうか。
以上のような実態を踏まえ、サパ事務局はマラリア対策の転換を提言している。私も同じ考えだ。
具体的には、1農薬蚊帳でなく、普通蚊帳を普及させる、2RDTがすぐに受けられるように医療体制を充実させる、3蚊が発生する水たまりの除去といった環境整備を進める、4子どもたちから栄養失調をなくすため栄養を改善する――これらを総合的に実施していくことが、真の意味で住民に役立つマラリア対策であり、持続可能なマラリア対策にもなるのではないだろうか。(敬称は略しました)
注16 オリセットは1張り約5ドル。パーマネットの約4ドルより高いのは、素材に丈夫な糸を使うなど品質をよくしてあるためと住友化学は説明している(「現地生産で雇用を創出 住友化学」=『週刊東洋経済』10年1月9日号)。オリセットの売上高は200億円強と推定される。これは同社の11年度の総売上高(約1兆9500億円)の1%程度だが、オリセット事業を含む「健康・農薬関連事業」は11年度の営業利益約600億円の44%を稼ぎだす稼ぎ頭である。
注17 住友化学の経営姿勢などについては同社の『CSRレポート2011』による。
注18 反農薬東京グループ『てんとう虫情報』115号。
注19 フェニトロチオン(MEPともいう)は頭痛、縮瞳、吐き気などの急性症状をもたらすことが分かっており、EUでは07年に農薬登録が抹消された。日本では農薬登録が継続され、農林業のほか家庭用殺虫剤や不快害虫用駆除剤として広く使われている。
注20 『てんとう虫情報』205、206、215号。
注21 インドでは、知的障害や甲状腺腫の原因になるヨード欠乏症を7000万人以上が患っている。予防にはヨードを添加した食物や飲料の摂取が必要で、中でもヨードを添加した食塩が最適なのだが、従来のヨード添加塩は貯蔵や調理の過程でヨードが失われてしまう欠点があった。これに対しユニリーバの子会社ヒンドゥスタン・リーバ・リミッテッド社(HLL社)は分子レベルでカプセル化するヨード添加技術の開発に成功した。
新商品アンナプルナの販売に当たっても、価格の安い小容量のパッケージにして貧困層に買いやすくするとともに、農村部の女性たちを販売員に育成して訪問販売させるなどの工夫をした。これは女性の自立(起業)を助けた。事業全体について「ヨード欠乏症国際対策機構」というNGOと協働したのも特徴だ(中江郁子「発展途上国における貧困層ビジネスの可能性と今後の課題」=TRC EYE vol。230)。
注22 経済産業省の考え方は「BOPビジネス政策研究会報告書~途上国における官民連携の新たなビジネスモデルの構築~」にまとめられている。
注23 長坂寿久「BOPビジネスとNGO―CSR=企業とNGOの新しい関係(その3)―」(『季刊 国際貿易と投資』No。80)
注24 菅原秀幸・北海学園大学大学院教授によれば、BOPビジネスの本質は貧困層のニーズを満たすとともに、彼らに所得をもたらして自立を促すという3点にあり、日本企業ではヤクルトのフィリピン進出などがこれに該当する。現実には「開発援助関連ビジネス」や「疑似BOPビジネス」が混在しており、オリセット事業は援助関連ビジネスにすぎないという(「BOPビジネスの源流は日本企業にあり―その特性と可能性を探る―」)。
注25 http://www.malariajournal.com/content/8/1/175
注26 住民が農薬蚊帳を使わなくなるもう一つの理由は、農薬蚊帳の吊り外しが面倒なことだ。住まいは1室か2室しかなく、夜になると一部の家具などを隅に片づけ、そこにカーペットを敷いて寝ている。
注27 WHOはマラリアによる死亡者数を05年の約100万人から徐々に減少し、10年には65.5万人になったと発表している。これに対しマレー博士(米国シアトルのワシントン大学)らの研究チームが12年2月、「死者数はその2倍ほどあり、WHOの推定は過少評価だ」とする研究を英国の医学誌『ランセット』に発表した。それによると、1980年の世界のマラリア死者は95.5万人だったが、マラリア多発地域での人口増の影響で死者が増え、04年に182万人に達したのをピークに減少に転じ、10年は124万人になったという。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(12)60034-8/fulltext
注28 http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs178/en/index.html
注29 WHOは06年、DDTは適切に使用すれば人間にも野生動物にも有害でないことが明らかになったとし、DDTの使用を約30年ぶりに復活させた。現在13カ国に限って使用が許可されている。
注30 田中宇「インフルエンザ騒動の誇張疑惑」(田中のサイト 10年1月12日)
(本稿は『世界』12年12月号の載った小論に加筆・改題したものです。作成に当たりサパ事務局の則武都子さんに全面的なご協力を、農薬については反農薬東京グループの河村宏さんにご教示をいただきました)
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1136:130108〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。