子安宣邦 on Twitter 3月8日~3月21日:TPP参加の行方と安倍首相の国家主義的スタンス、暁烏の歎異抄問題、論語塾、山口昌男、稲垣瑞雄
- 2013年 3月 24日
- 評論・紹介・意見
3月21日
多摩川の桜は今日あたりはもう満開になるだろう。あまりに早すぎて浮かれる気分にもならない。しかし開花を待つ浮き浮きした気分を失ったのは、私が老齢であるせいか、あるいは11年の3月11日以来のことなのか。あのウツの中で過ぎていった春が、今年もまた早い開花とともにめぐってきたようだ。
「不参加という選択肢はもはやない」という先週のサンデー・モーニングでの新聞論説者による議論を打ち切るような発言を聞いて、潮目が変わったと思った。メディアはTPP参加・不参加の議論の時は過ぎたとしたのだ。波が引くように潮目が変わった。これが自民党の政治だ。私は既視感に襲われている。
3月19日
私は80歳という年齢に、肉体的にというより、意識の上で負けていると、弔問の際、稲垣夫人に語ったら、「稲垣もそうだった。男というのはそのようね」といわれた。女性はそうではないらしい。家内も意識することはないのだろう。そのことはともかく、昭和一桁世代がどんどん減っていく。
昭和一桁世代とは国家主義的時代の中に生まれてきた世代である。私たちは迫り来る国家主義的ファッシズムを危機として感じ取った世代ではない。すでに充満する国家主義的世界の中に生まれて来た私だが、最近、上の世代の迫り来る国家主義的ファッシズムへの危機意識のあり方をしばしば想像する。
彼らは周囲を満たしてくる国家主義に為すすべを見失っていったのであろうと。80歳の私がしきりにこのような想像をするのは、7割の支持をえて自信をもつ安倍を前にしてだ。人びとはTPPの行方に疑問をもっている。にもかかわらず支持するのは国家百年の計をいう彼の国家主義的スタンスによってだ。
日本の国家力を強くすることを彼らはいう。だが強くなる国家力とは何か。民衆の生活力は強くなるか。円安誘導によって、TPP参加によって民衆の生活力は強くなるか。小泉構造改革の結果から、韓国の現状からすでに分かっているのではないか。もたらされるのは切り捨てと分裂と格差であることを。
だがなぜ安倍は自信に満ち、誇り顔でいるのか。彼の国家主義的スタンスが民衆的支持をえていることを知っているからだろう。80歳の私は恐れるのだ。瀰漫する国家主義に対して為すすべを失うようになることを。彼の国家主義によっては、われわれの生活は滅びることをはっきりさせていくべきだ。
3月16日
頭の半分でTPP問題をいらいらと追い、考え続けながら、もう半分で暁烏の歎異抄問題をもやもやと追い、考え続けている。このいらいら、もやもやは私の精神状態にとって非常に悪い。ツイッターで語り出すことはこの精神状態から脱出する最良の道なのだが、その言葉も容易に見いだせずにきた。
だが暁烏の歎異抄問題は、その解決は私に属することだ。私は語り始めねばならない。近代に歎異抄を語り始めたのは暁烏である。この語りだしとは何か。この語りだしによって、いかなる親鸞が、歎異抄が近代の日本人に手渡されていったのか。それは暁烏の親鸞であり、暁烏の歎異抄である。それは何か。
暁烏の語りだし以降、歎異抄は宗門の学者、その他の宗教家、思想家、文学者たちによって読み出されていった。私はいま清沢に連なる学者たちによって歎異抄がどう読まれていったかを見ている。実はこれは私が論語を読んだ方法である。私は論語の原テキストを後世の論語解釈の向こう側に見出していった。
私は朱子、仁斎、徂徠、そして近代諸家の論語解釈を追うことで、論語と孔子とを見出していった。それは文献主義的に求められた原論語でも原孔子でもない。後世的な理解の向こう側に私が見出したのは、始めて、まさに一回的に「学」とは、「信」とは、「仁人」「君子」とは何かを語り出した孔子である。
私はいま現代諸家の歎異抄講話を読みながら、歎異抄における親鸞の始まりの一回的な絶対他力的《信》の語りだしを見たいと思っている。それが見出せれば。暁烏が色濃く染めていったわれわれにおける歎異抄とは何かを明らかにできるだろう。だが簡単ではない。最後までもやもやし続けるかもしれない。
3月10日
山口昌男が昨日逝った。私にとって《重い》級友であった。彼と私とは知の関係史を作っている。私をマルクス主義に、そしてポスト構造主義に位置づけていったのは彼の存在であったかも知れない。だがこうした回想は止めよう。私のツイッターが友の死をめぐるものとなるのはこれで終わりであって欲しい。
3月8日
やっと冬籠りから覚めたようだ。2月の寒波以来苦しんできた腰痛がいつの間にか消えた。これでやっと前向きになれる。4月から「論語塾」を立ち上げることにした。「歎異抄の近代」もいよいよ暁烏論だ。そして世が取り上げない私の「近代の超克論」「和辻倫理学論」「中国論」を手前で説いてみようか。
稲垣瑞雄が死んだ。詩人であり『石の証言』の作者である稲垣は大学の級友であった。だが2月23日の彼の死を私が知ったのは3月に入って、同じ級友の宇波彰の手紙によってであった。その知らせに私はウロたえた。同年齢の友の死にウロたえただけではない。その訃報を知らずにいた己れにウロたえた。
新聞の訃報欄を注意深く見ていれば、この迂闊さを免れただろう。だが新聞嫌いになりつつある私は、訃報欄まで見ることはない。老人の孤立とは、社会的なネットワークから切れていくことでもある。自分で見つけないかぎり、彼の訃報を私に伝えるネットワークはないということである。私はウロたえた。
稲垣は根っからの文学青年であった。だから学生運動に首を突っ込んでいた私などとはむしろ疎遠であった。その稲垣と私とがもとからの親友のような関係になったのは還暦を迎える年齢になってからである。それは彼の書いた『石の証言』(岩波書店、1995)の読後の感銘を私が文章にしてからである。
『石の証言』は米軍捕虜虐殺事件の副題をもつように、終戦を迎えようとする時期、東京郊外で起きた墜落したB29から脱出し、捕虜となった米兵をめぐる市民(少年を含む)による集団リンチ事件、戦後沈黙し、心の底に抑圧していったこの事件の記憶を文学的想像力をもって稲垣は掘り起こした。
あの捕虜に石礫を投じた人びとは、敗戦の虚脱と戦犯追及の怯えの中で沈黙していく。だが事件の隠蔽は、その生起とともに、戦時内地の町村システムの作動者たちによって行われていったのだ。『石の証言』は、敗戦前後の日本現代史の、しかし歴史家が聞き出すことのなかたった貴重な証言である。
私はこの文章を『現代思想』(1995.12)に書いた。私は稲垣という男を再発見した。彼も私を良き読み手として認めた。それからわれわれは古くからの親友のようになった。人間の出会いとは不思議なものだ。あるいは若き日の衒いをもたなくなって、はじめて本当に出会えるのかもしれない。
子安宣邦氏より許可を得て転載。
子安宣邦氏のツイート https://twitter.com/Nobukuni_Koyasu
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1206:130325〕
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