イルカとクジラ
- 2010年 9月 20日
- 評論・紹介・意見
- とら猫イーチ
イルカやクジラを巡って、海外との摩擦が取り沙汰されることが多い昨今ですが、極めて個人的な感想では、そもそも、これ等の獣と私の食する「食材」とが結びつかないのです。 私が育った地方の片田舎では、イルカを食物と認識した人が居なかったし、クジラも一般的な食材ではありませんでした。 何しろ牛肉や豚肉を購入しようにも、これらの食材を扱う肉屋そのものが集落の中に存在しなかったのですから。 私が子供の折の食卓風景と言えば、野菜や穀類を中心とした精進料理の様な「おかず」に、時折、運が良ければ煮たり、焼いたりした小魚が付く質素なものでした。
私が中学生ぐらいになった時に、誰かに牛肉の代用としてクジラを勧められたのでしょうか、母が生姜醤油焼きにした鯨肉を食卓に載せたことがありますが、その異臭と肉の堅さに両親ともども吐き気を感じたほどでした。 「コロ」と呼ばれるクジラの部位を白菜と煮た鍋物も、機械油の様な異臭と異様な食感とで、とても食べられた物ではありませんでした。 母が、哀しそうに「こんな物しか無いので我慢して」と言ったことを覚えています。ですから、今でも鯨肉を食することが「日本人の文化」と言われるのには、抵抗を感じてしまうのです。 本当に、あんなものを食材にするのが日本の文化でしょうか。
地方によっては食材にして来られた人々がおられるのは事実でしょうが、残念ながら私の郷土では違うようです。 動物性の蛋白質を摂取するのには、近海や近くの川で獲れる小魚や貝類を中心とするのが私の育った地方の郷土食でした。 私は、イルカやクジラの捕食については、この極めて個人的な生育環境から判断してしまいますので、これらの食材を常食にされてこられた人々からは、あるいは誤解として批判を受けるかも知れません。 しかし、海外からの批判に対するに、仮に、一地方の食習慣を「日本人の食文化」として反批判されるようなことがあれば、それは、私と同等の誤りを犯すことになるでしょう。
櫻井よしこ女史は、「ザ・コーヴ」の感想として、「日本の主張をいかに説得力をもって世界に伝えていくかが問われている。映画は事実を歪曲した、受け入れがたい不公平な手法だという『事実』だけでは、日本の声は聞き入れてもらえない。それが現実だ。」と指摘されておられます(「イルカ漁の映画「ザ・コーヴ」が日本に突きつける問題の深刻」(『週刊ダイヤモンド』 2010年8月28日号 新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 851))。 がしかし、私は、その前に、イルカやクジラを食材として来なかった地方にも、これらを食材として来られた地方の文化を広く広報される必要があるのではないかと問題を提起したいのです。
永い歴史の中で、日本人は仏教の影響から魚肉の摂食を禁忌して来ました。 今に伝わる禅寺の精進料理が日常生活の中に普通に在ったのです。 私は、年齢を重ねた現在に至って、昭和二十年代に母が調理してくれた粗末ではあるが愛情に溢れた粗食がいかに健康的な食事であったかを思い知らされています。 金銭さえ出せば豊富にある食材が、自身の健康にとっては、必ずしも有為には働かない現実を観るとき、食を巡る不可思議さをも感じるのです。 それは、決して獣肉に対する偏見では無いのですが。 土の匂いのする大根や白菜、青臭い豆類や胡瓜が収穫出来て、季節の野菜で青々とした畑が水平線まで続き、小川には、清流に棲む魚介類が居る。 こんな集落に生まれたからの感想でしょう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion142:100920〕
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