死刑廃止論へのプレリュード
- 2013年 5月 24日
- 交流の広場
- 山端伸英
1. 刑法や刑事訴訟法の学者・研究者の中には死刑という法的な道具を極めて重要視する向きも多い。これは犯罪学や犯罪心理学の学者たちの社会観の保守的傾向へと連なっている。これらの傾向は基本的には近代以降においては国民国家体制の社会秩序維持の思想を根拠においており、死刑判決は、その時点での体制イデオロギーとも制度的かつ意識的に関連している。
2. 国民国家的な枠組みの中では、宗教上の「罪と罰」と国家のイデオロギーとは関連を求め合っている。国旗や国歌は国民国家的な象徴の一部であり、同じ民族でも異なったイデオロギーの集結をみれば、異なったシンボルを求めうる。死刑とは「ひとつの罰」である。フランス革命はギロチンによる「死刑」を象徴ともできた。「古い体制」は「死刑」によって別の体制に移行できた歴史的現実がある。日本の戦後も何人かの「死刑」によって歩みだした。
3. 社会的に閉鎖的傾向を持つ宗教的セクト集団の中ではさまざまな契機に「罪」が生まれ、「罰」が科せられていく。これは似たような状況にある政党や政治セクトの中でも繰り返された。それらの「罰」が「死刑」であったこともある。これが「リンチ殺人」などと不名誉な名称を与えられようが、その体制、集団、組織の中では「死刑」であった。千石イエスの集団がこれらの「罪と罰」のイメージから遠いイメージを我々に与えたことは興味深い。
4. 同時に社会そのもののどのような要求が「死刑」を必要としているのかを観察するのは意義のあることで、現在では裁判制度と裁判員の参加と動揺が、裁判プロセスの中での「罪と罰」を洗い出してもいる。イエスも裁判の後「死刑」を受けた。ユダは社会から処罰を受けたことはない。なぜキリスト教徒の多い国にも「死刑」が存在し、キリスト教徒の少ない社会でも「ユダ」を探し続けるのかは、それ自体ひとつの現象である。
5. 「ユダ」の存在が法的に問題ないとすればユダには社会的な「罪」はない。別に「生きているユダ」を責める必要もない。だが他方では「イエス」は死刑に処せられている。そしてこの死刑囚は彼の冒した「罪」を、彼だけが知っているように振舞った。しかし、彼の「罪」はクルト集団の地下鉄サリン事件ほどの「事件性」を持っていたわけではなかった。
6. 「死刑判決」と「死刑」の間に時間を置くことには「罪」の発生があるのではないだろうか。それは冤罪を含めて「国歌の犯罪」と呼ばれていいものなのではないだろうか。しかし、「死刑判決」の後、即座に法廷の外で「罰」を与えることでも「国家の犯罪」は発生しないだろうか。「国家」や「司法」にも間違いはあるという発想は「死刑」を前に許されるのであろうか。
7. その生まれから育ちから殺人者となるべく生きてきた人間と、今日の朝、むしゃくしゃして人を殺した人間は、同じ殺人者であり「死刑」に値するかもしれない。しかし、なぜその国の教育システムの責任者には「罪がない」のであろうか。「祖父も、父も、政治家でした」という政治家に、どうして昨夜の殺人事件の「責任」が政治階級として問われないのであろうか。
8. かの文化的先進国の「殺人事件」はどうして斯くも個人的問題に終始するのであろうか。そして、どうしてあの集団的「総括」のほとんどの犯人たちはどこかへ消えてしまったのだろうか。まさに戦争の本当の行使者たちのように。そして、南京事件は存在しないし、侵略は定義の違いとかになり、私たちはだれそれが逮捕されるまで犯人を待つのであろうか。「戦死」とは他殺なのではないだろうか?
9. むかし「日真名氏飛び出せ」という刑事ものがあった。画面の脇にスタッフのお尻やカメラの影が映ったりする時代のドラマだったが、ある殺人犯人が動機を聞かれて、なきながら「白状」していた。「あの女は百円玉をはじいて投げたんですよ、刑事さん、わかりますか、それは僕の一日分の食費なんです!」そう、おまえは一日分の食費を軽んじて見せた女を殺した、正義に反するやつだ、、、僕はどこかで彼が「死刑」になることを恐れていた。彼だけが「犯人」とされて死んでいく世界が、しかし、まだ眼前にあるのではないか。
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