東チモール VS オーストラリア その2 割って入る中国
- 2010年 9月 26日
- 時代をみる
- 東チモール青山森人
オーストラリアの新外相はケビン=ラッド前首相
選挙後の多数派工作によって政権を継続させることができたオーストラリア労働党のジュリア=ギラード首相は、ケビン=ラッド前首相を新たな外相にした。
難民中継センターを東チモールに建設するという案を発表し批判にさらされたとき、当時のステファン=スミス外相は、「ギラード首相はチモール海に迷い込んだ」とか「政府は混沌のなかにある」という野党の攻撃からギラード首相を救うことはできなかった。
わたしの印象に残っているのは、7月14日、東チモール時間(日本と同じ)で朝8時台のオーストラリアABC局のラジオニュース番組である。難民中継センターについてインドネシア政府と話し合うためジャカルタへ訪問する前のスミス外相が出演しインタビューに応じた。スミス外相は静かな語り口調を保ちはしたが適切に質問に答えることができなかった。
スミス外相が「この2~3日間、オーストラリア政府と東チモール政府はよい話し合いをした」というと、「よくそんなことがいえますね。東チモールの国会ではこの案を拒否する決議をしたというのに」とインタビューするABC局の女性記者に噛みつかれると、外相は「東チモール政府の立場は変わっていない、つまり話し合いは継続するという立場だ」といい、まだ話し合いの余地は十分あり、東チモールのザカリアス=ダ=コスタ外相が話し合いに前向きだと主張した。東チモール国会で何が決められようと関係ないというのがオーストラリア政府の立場か。
また、ハワード政権時代に建設されたナウルにある難民センターをなぜ利用しようとしないのかという問いには、スミス外相は「ナウルは国連の難民協約に調印していないから」と答える。それにたいし記者が「しかしナウル側はその協約に調印する意向があると表明しているではないか」というと、外相は「われわれは東チモールに焦点をあてている」と言うやいなや、「なぜ東チモールなのですか。すでに難民センターが存在する場所に焦点をあてないのはなぜですか」ときかれると、外相は難民が再移動するとき荒波の危険性を減らすためであり、東チモールがこの地域でより良い場所だからだという。インタビューする記者はいらいらしてきたのだろう、だんだん声を荒げて質問を続けた―「でもなぜ東チモールがナウルより良い場所なのですか。オーストラリア政府はどのような見地から東チモールをより良い解決だと考えているのですか」。すると外相はまたナウルが難民協約に調印していなからだ、それがまず第一点だ、と同じことを繰り返し、第二点としてこの問題を解決するためにこの地域の支持だけでなく、伝統的に難民を受け入れている国々の支持や広範囲にわたる話し合いを必要とし、一日や一週間や一回の話し合いで解決される問題ではないと、話をそらすように応じるだけであった。
「なぜ東チモールなのか」をオーストラリア政府は説明できない。それがこの難民センター東チモール建設案の一番の弱点である。
9月13日、新たに外相となるケビン=ラッド前首相がこの案に反対しているかもしれないと報道されたとき、やはりケビン=ラッドが首相ならばこんな提案はしないだろうとわたしは思ったが、その後、ラッド新外相はギラード首相と仲良くやっていく姿勢を示したと報道され、9月22日、東チモールとオーストラリアの両首相がこの案についてようやく話し合い、今後も話し合いを継続させていくという含みを残し、とりあえずギラード政権は面子を保ったといえよう。
長期におよんだ保守系のジョン=ハワード政権に代わって、政権に就いた労働党のケビン=ラッドが新首相に就任したとき(2007年12月3日)、世界に流れるニュースとして外交官出身で北京語が流暢な中国通の首相の誕生と報道された。東チモールではケビン=ラッドは東チモールの指導者と交流を重ねる東チモール通であるといわれ、ハワード政権以上に ― いい意味でも悪い意味でも ― 東チモールに肩入れしてくるだろうと期待と警戒をもって迎えられた人物でもあった。当時ケビン=ラッド首相とステファン=スミス外相は就任後の2007年12月14日、ただちに東チモールを訪問している。今後も、ケビン=ラッドは外相として対東チモール政策に大きく関っていくことになった。
中国の二隻の巡視艇
「グレーターサンライズ」ガス田開発交渉で東チモールとオーストラリアの関係がギクシャクするなか、6月10日、つまりまだケビン=ラッドが首相だったとき、オーストラリア政府は東チモール支援の一部削減を発表した。たとえ一部削減が必要な処置であったとしても、発表のタイミングが問題である。なぜなら翌11日、東チモール国防軍は中国から買い入れた二隻の巡視艇の受け入れ式を控えていたからである。
オーストラリアは東チモールが独立して以来、東チモールに海上保安の支援を提案してきたが、この支援のもとでは指揮や情報制御がオーストラリアの手中に入ることになり、東チモールにとって受け入れられない内容であった。またオーストラリアから購入する船や装備は高価であった。こうしたことが東チモール政府に別の選択肢に視線を向けさせた。中国である。かくして6年間のオーストラリアの努力は実らず、2008年、東チモール政府は巡視艇二隻を中国から購入することを決定した。中国から買った船は二隻で2800万ドルである。
2002年から2006年まで、東チモールはフレテリン(東チモール独立革命戦線)のマリ=アルカテリ書記長が首相を務めた。2006年4月に勃発した「東チモール危機」により同年6月に辞任に追いこまれたアルカテリ首相は、「危機」は外部要因によって引き起こされたもので、「危機」とはシャナナ=グズマン大統領によるクーデターだと主張した。つまり外国勢力がシャナナと結託して、新しい政府を建てようとした海外陰謀が「危機」なのだと。その外国とはどこか、政治家は誰一人として具体的に国名を口にしないが、それはオーストラリアであり、その背後にいるアメリカを意味すること以外は考えられない。
国際金融機関から融資を受けようとせず、キューバとは医療分野で交流を始め、チモール海の天然資源開発にかんしてオーストラリアと交渉が難航し、中国とも接近し始める……このようなフレテリン政権を快くおもわない外部要因によって干渉をうけたのが「危機」だというのが俗説である。ただし物的証拠はまだ登場していない。
マリ=アルカテリのフレテリン政権よりは協調性があるだろうと国際社会に期待されたシャナナ=グズマン首相率いる反フレテリン連立政権は、しかし、国際金融機関の融資を相変わらず受けず、キューバとの医療交流をさらに深め、オーストラリアにたいしてはパイプラインにかんして一切の妥協をせず、そして、ここ数年、中国には東チモールを大開放している。外交政策としてはフレテリン以上にフレテリン的である。
中国の存在は東チモールをちょっと訪れただけで一目瞭然だ。軒を連ねる中国人の店は町を占領しているし、中国人労働者の数は増え続け、大きな建設現場は中国会社の独壇場だ。異観を放つ外務省庁舎・大統領宮殿も中国によって建てられた。かつてない東チモールの大国家プロジェクトも中国が受注した。それは全土を網羅する発電所の建設である。電力局の東チモール公用車を中国人が乗りまわし、いたる所に土埃をあげて資材を運んでいる。
今年の東チモール民族解放軍の創設35周年記念(8月20日)は、防衛省と国防軍本部の新舎建設の鍬入れ式を兼ねたが、これも中国が建てる。中国は東チモールの軍事部門にも影響力を及ぼそうとしている。
今年5月23日、二隻の巡視艇を乗せた大型貨物船が東チモールの首都デリ(ディリ、Dili,ここではデリと表記)の港に中国から到着した。25mm砲と37mm砲が装備されたこれら巡視艇は東チモール南域の海、つまりオーストラリアと面するチモール海の海上保安に活躍する予定である。6月11日に開催される東チモール国防軍への受け入れ式典までの間、二隻の船はデリ埠頭に停泊し、試験航行を重ねていた。東チモールの水兵を訓練するのは中国の水兵だ。
こうしたなかオーストラリア政府は東チモール支援を一部削減すると発表したのである。オーストラリア政府による東チモール政府にたいする不快感の表明と見られても仕方なかろう。両国の緊張が高まってきた。
オーストラリアの大失敗、中国の進出
2010年6月11日の午前、本来なら雨季は終わり乾季を迎えていなければならないこの時期でも世界的な異常気象の現れか、デリ埠頭は今にも雨が降りそうな曇り、中国から正式に東チモール国防軍へ二隻の船が引き渡される式典が行われた。
式典が始まる8時半ごろまでに、政府要人や各国の来賓客がひな壇席や来賓席に集まった。招待された各国の外交官や要人・軍関係者は東チモールの政府要人や軍の幹部と談笑を交わす……式典が始まるまえの通常の光景だ。この日も通常の光景が展開されていたが、通常でない光景がわたしの眼を引いた。いつも誰よりも外国人に囲まれる人物・シャナナ=グズマンがぽつりと独りでいるではないか。シャナナ首相はうつむきかげんの姿勢を保ち、誰からも話しかけられないように身構えている。その姿は、緊張したオーストラリアとの外交関係を反映しているかのようにわたしには見えた。
10時少し過ぎ、国防軍のタウル=マタン=ルアク司令官は演説をかんたんに4分ほどですますと、次にシャナナ首相が演壇に立った。
着岸する二隻の巡視艇の船腹と向かい合うように来賓客席が設置され、来賓客席の中央に要人が座るひな壇がある。そのひな壇の前に演壇が置かれ、演説者は船とその前に立つ兵士たちに向かって、つまり要人や来賓客を背にして話すように舞台設定されていた。
シャナナ首相がその演壇に立つや、演説用紙を乗せた台ごと身をくるりと180度回転さるではないか。そして来賓客を正面にした。“これからわたしが話しかけるのは来賓席にいるあなたがたにですよ”とシャナナ首相はこの動作で示したのだ。
まずシャナナ首相は、二隻の巡視艇を中国から購入したのは国家の主権と資源を守るためであり、不法な漁獲行為によって年間3600万ドルの損失を被っており、貧しい国にとってこの不法行為を撲滅させることがなかんずく求められていると説く。そしてこう続けた。
「まさにそれゆえに、われわれは東チモールの人民にこれ以上貴重な資源を盗まれてはいけないと決断し、政府は二隻の巡視艇建造に投資しようと勇断したのである。
この決断は世論を騒がせ、諸外国とくにオーストラリアから批判を受けた。決定過程で相談を受けなかったことはおおいなる驚きである、と。
もしわれわれが国土と領海の境界を防衛する責任や、われわれの人民とその資源の安全を守る責任を不遜にもとれないとなると、われわれは自分たちが独立しているとは考えられないのである。
もしわれわれが重要な決断をするたびに隣国へ、友好なパートナー諸国へ、相談しなければならないとしたら、われわれは自分たちの国を主権国家だと考えることができないのである。
中国から二隻の巡視艇を購入する正当性について疑問視する多くの個人にずいぶんと囲まれた。わたしはそのたびに、そしていまもそうだが、こう答えた―『これは単純な問題だ。商売の決断と同じくらい単純で、これは東チモールの国益になる決断なのだ』と。
会場のみなさま。
独立してわずか8年しか経っていない国というものは、領土保全と国家主権の防衛において依然としてもろいもので、不安定を引き起こすことなく、国民のためより良い生活を保障するため、重大な問題を抱えていることを諸外国が理解してくれるものと期待する。
そして、いわせていただきたい。この東チモールで最近起こったすべてのことは、外部要因に引き起こされたのであって、内部要因ではないのである。それゆえ、われわれがあなたがたにお願いしたいことは、われわれが抵抗運動によって獲得した領土と主権を尊重してほしいということなのである」。
中国に巡視艇を発注したことにたいしオーストラリアが批判したことを公言しただけでなく、「この東チモールで最近起こったすべてのことは、外部要因に引き起こされたのであって、内部要因ではないのである」と明言したのだ。「この東チモールで最近起こったすべてのこと」に、2006年の「東チモール危機」や2008年2月11日に起こったアルフレド少佐の武装組織による大統領・首相襲撃事件が含まれないわけがない。シャナナ首相は式典の場で、オーストラリア大使やオーストラリアの軍関係者を目の前にして、マリ=アルカテリ元首相が主張していた「危機」外部要因説を自らも主張したのである。これは明らかに、限りなく直接的な間接話法で、オーストラリアが「危機」を策略し、アルフレド少佐の背後にオーストラリアがいる、と非難したことになる。あるいは、「われわれが抵抗運動によって獲得した領土と主権を尊重」しなければ、オーストラリアのしたことを暴露するぞというメッセージかもしれない。
わたしの東チモールでの滞在先はジョゼ=ベロというジャーナリストの家である。かれと1993年以来の付き合いだ。かれはいま週刊新聞『テンポ=セマナル』紙(http://temposemanaltimor.blogspot.com)を主宰しており、オーストラリアのメディアでも活躍している。かれはオーストラリアの新聞『シドニー・モーニング・ヘラルド』(2010年6月15日)にこう書いた。
「この月、中国製の二隻の巡視艇が東チモールに渡されたことは、キャンベラとデリの間で進められた領海監視の調停が失敗したことを意味するだけでなく、オーストラリアにとって新しい北の隣人にたいする政策が大失敗したことを意味する」。
オーストラリアの対東チモール政策の大失敗はすなわち、中国の東チモール進出を導いたのである。(終)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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