沖縄から見た橋下発言(下)-沖縄から(5) -戦争への無知さらけ出す-
- 2013年 7月 6日
- 評論・紹介・意見
- 山根安昇橋下徹沖縄
橋下氏の「慰安婦」「風俗活用」発言について、差別意識の欠落を指摘したが、もう一つ重要な問題点は、「戦争と人間」の関係についての視点の欠落である。ほとんど問題意識を持っていない。軍隊にとって慰安婦は必要だと“軍隊と性”の問題を論じるならば、それは当然“戦争と人間”について思考することでなければならない。しかし、それが全くない。
今日本の人口の圧倒的多数は、戦後生まれ、高度経済成長期に生まれ育った“戦争を知らない世代”である。安保ボケ繁栄の中にあって、人々の関心はグルメだの、ダイエットだの、お笑いだのと、深刻に時代を考えることもない。橋下発言は、そのような時代性を反映したものであろう。
しかし、戦後約70年。いまなお米軍の世界各地での戦争の基地にされ、そこで生きることを強制されている沖縄人にとって「戦争と人間」について考えることは当然のことである。基地を強いている者の基地差別発言など看過できるものではない。
戦後日本人が見てきた戦争は、朝鮮戦争をはじめ、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争そして現在のアフガン戦争など、すべて米軍の敵をやっつける“正義”のカメラで撮られた映像を通してであった。攻撃され、殺される側の“人間の叫び”はほとんど見てこない。無機質化された映像で、生きている人間の感覚が麻痺している。憲法を改定して、日本を戦争のできる国にするという感覚などとても理解できない。ゲーム感覚の改憲など。
そもそも戦争というものは「人間の尊厳」とか「人権の尊重」とか、人間としての当然の思想、行動の上では成立しない狂気の異常行動としてなされる。究極の人間否定こそ戦争であり、戦場には人間は存在しない。人間は人間でなくなるのである。
昔も今も、軍隊は敵の侵略から「国民の生命と財産を守る」ことになっているが、「専守防衛の見本」だったともいえる沖縄戦では、それが虚構の建て前だったことがさらけ出された。問答無用の神話なのである。敵、味方入り乱れての地上戦では、軍隊自体が自分を守るのが精いっぱいで、住民など構っておられない。それは民主国家の軍隊であろうと天皇の軍隊であろうと、戦争の本質は変わらないと思う。沖縄戦の悲劇が、日本人(本土人)の沖縄人に対する「偏見と差別」によって倍加されたのは事実だが、歴史上特殊な事例を除いて、人道的な戦争というものはない。
全国的に見て、沖縄は反戦思想、反戦感情の最も強い地域だが、それは沖縄戦の体験から来るものであり、当然の帰結である。しかし、橋下氏の発言を見る限り、同じ日本国民として歴史体験の共有はない。その断層は深く、埋め難い感じである。
私たち沖縄人は、植民地でない日本の国土の中で、唯一住民を巻き込んだ地上戦が沖縄戦だったと認識している。日本の歴史の中で蒙古襲来の事例はあるが、あれは軍隊と軍隊の沿岸での戦いであり、国土の中を戦場として20万人の死者を出す地上戦は、沖縄戦が初めてのことである。しかし、橋下発言を見る限り、沖縄戦が国内での唯一の地上戦だったとの認識はうすい。
もう一ついっておきたいことは、橋下氏が軍隊における心理と論理の行動規範を一般社会のそれの延長線でとらえていることである。政治の武器としての軍隊の論理と民の論理は全く別物だ。動物の世界では、自ら生きるために弱肉強食するが、戦争は人間を殺すために殺す。そのためには、人間の良心を麻痺させ、非人間化する必要がある。人倫の定命を完全に破壊し、破棄しない限り戦争はできない。これが軍の論理だ。人間の行動を抑止する良心や常識があっては、戦争はできないのである。
沖縄では毎日のように米軍の軍事訓練が行われている。訓練や演習では、兵器の操作の仕方や組織の運用の在り方などの他に、兵士の“非人間化”教育も同時に行われている。人間は正常な人間ならば、98%の人が人間を殺すことに躊躇し、抵抗感を持つという。だから訓練では銃口が何に向けられているかではなく、動くもの、音のするものに対して条件反射的に銃弾を放つ訓練が行われるのである。人間の良心の痛みを感じずに人間を殺す、これが現代の戦争の論理であり、本質である。
沖縄の米軍基地には、ゴルフ場や体育館、プールなどのスポーツ施設をはじめ映画館や劇場などの娯楽施設が完備している。にもかかわらず米兵の犯罪防止にそれほど役に立っていない。軍隊には一般社会の通念はそのまま通用しないのである。沖縄の米兵は戦争休暇で休養をとるために沖縄に帰ってくるが、中には再び戦場に行くのを嫌がって、犯罪を犯してわざわざ刑務所に入る者もいる。それほど戦争は非人間的な殺人の現場なのである。風俗活用で荒れた米兵の犯罪を防止できるほど戦争は甘いものではないのだ。
橋下氏がいくら戦争を知らない世代だといっても、維新だ、維新だと騒ぐ前に、もう少し戦争に対する想像力をはたらかせてほしいものだと思う。(了)
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