事実に基づいた日本の将来像と対応を(続)
- 2013年 10月 7日
- 交流の広場
- とら猫イーチ
前投稿では、「日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)」を引いて、主に経済的側面に関わり、少子高齢化の及ぼす影響に触れたのですが、どうも日本の国と地方の行政も、日本人自身もが真剣に考えていない、と言うか、課題なり問題点が観えていないように思えるのです。 流石に、経済界は、「グローバルJAPAN- 2050 年 シミュレーションと総合戦略 -」(21 世紀政策研究所)の研究成果にあるように「経済に及ぼす影響は甚大」との認識はあるようですが、行政には、「急激な高齢化に対するとまどい」(「多治見市高齢化に伴う需要予測調査」に対する三菱UFJリサーチ&コンサルティング・プロジェクトリーダー/研究員妹尾 康志氏の評価)があるようです。 勿論、行政には、少子高齢化への対応が法令に基づいて定められ、この種法令には典型例の計画や各種対応を定めることが求められています。 法令に依り行政対応すべき手法が、手続とともにメニューにはあることはあります。 でも実際に、市民に対する具体的施策として提供されるかどうかは、財源に制約されます。
実際に対応を迫られている事例として、先般首長選挙があった大阪府堺市の泉北ニュータウンについて観てみましょう。 まず、堺市の人口予測です。 「日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)」に依れば、堺市では、2010年に841,966人であった人口が、30年後の2040年には、738、923人に為ると予測されています。 実に、103,043人が減り、しかも、52.2%が65歳以上の人口構成に為る、と云う予測なのです。
http://www.ipss.go.jp/pp-shicyoson/j/shicyoson13/3kekka/Municipalities.asp
男女・年齢(5歳)階級別データ–『日本の地域別将来推計人口』(平成25年3月推計) 国立社会保障・人口問題研究所
http://www.murc.jp/uploads/2013/01/006_03.pdf
住宅団地で進む大都市圏型の高齢化-シルバータウン化するニュータウン
三菱UFJリサーチ&コンサルティング
先般の首長選挙では、差し迫った課題である泉北ニュータウンに関連しては争点にはなりませんでした。 橋下維新の空中楼閣である「大阪都」を堺市民が選択するのか否かが争われたのです。 尤も、堺市では、当該ニュータウンの再生に向けた「指針」が策定されています。
そこで、「泉北ニュータウン再生指針」(平成22年5月策定)を観ますと、その「目的」として掲げられたものは、「泉北ニュータウンを今後とも、魅力あるまちとして維持し、将来にわたって多様な世代が快適に住み続けられることのできるまちとするための基本的な考え方を示し、『持続発展可能なまち』としていくこと」とされています。 内容は、これまた、この種の「指針」乃至「計画」等々に通常一般的にあるとおりの総花的な施策のオンパレードで、何が決め球かが分かりません。 思いつく限りの施策を関係者全員に配慮して書き連ねているだけです。 これでは、何処の自治体の「まちづくり」関連施策でも政策でも計画でも持って来ればそれで良いのです。 同工異曲としか云いようがありません。
内容から観て、これは、急激な少子高齢化の進行する中にあって、特定地域の居住条件を、基本的に現状維持を図ることに他ならず、その実現可能性は限り無く零に等しい、と言わざるを得ません。 更に、同一市域にあって、若し仮に、特定地域のみに市の財源を注ぎ込むことを意図とするとしたならば、法の下の平等原則に大きく反する結果となりかねません。
そもそも、ニュータウン等の大規模開発は、その始めより地方自治体の限りある財源に負担となったものでした。 そこで、大規模開発の地元となった自治体では、苦肉の策として法令上に根拠を持たない「要綱」として「開発指導要綱」を制定し、税では無くて「負担金」等の拠出を開発者に求め、また、開発指導の一環として各種公共施設の設置の負担を開発者に求めたのです。 残念ながら、これ等の策は、司法に依り法に反するとの判断が示されたところです。 しかしながら、一定市域の居住者間の負担の衡平、自治体財源の特定地域への過剰支出等の問題点は残ったままです。
これ等の問題点を整理せずに、泉北ニュータウン地域のみに財源を過剰に充てることは許されることではありません。 時間的に前後しても市域の全てに少子高齢化の影響は現れるのですから、特定地域のみ施策の窮迫が求められるものでは無いことは明白です。
従いまして、現居住者には過酷なようですが、場合に依れば、市域の他地域に転居されることも止むを得ないでしょう。 生活必需品の購買先の減少や医療機関の過疎等で、必然的に転居を迫られる場合も多くなることでしょうし、行政サービスも現状維持とは為らないでしょうから、ニュータウンの持続発展は無理な注文です。 果たして、50年後も今あるニュータウンが維持出来るでしょうか。 賃貸住宅管理者も持ち家居住者も、ゴーストタウンに為らない内に整理・処分するのが合理的と云うものでしょう。
これは、既に、大都市圏に接して開発された郊外型ニュータウンでは始まっていることです。 高度経済成長とともに大都市のベッドタウンと化した郊外のニュータウンでは、早い場合には、良質の教育を求めて子弟の就学・進学とともに大都市へUターンが始まり、高齢化とともに医療や社会福祉施設の完備した都市部へのUターンが本格化しています。 車が無いと買い物も出来ない過疎地では、高齢者が生活するのは無理です。 医療施設も満足に無く、万一の場合でも救急車も来ない処では、基本的に、生活するのは無理だったのです。
現に政権にある自民党が戦後進めて来た、持ち家政策の破綻がニュータウンに顕在化したものとも云えるでしょう。 生活の利便性を犠牲にしてまで自力でマイホームを長年のローンを組み手に入れた結果が老後の生活不安、とは。 国民に住宅を保障すべき国が、何等の対応もせず、市場に任せた結末です。
http://www.index-consulting.jp/roukyu/pdf/symposium%20in%20senboku%202.tamura.pdf
泉北ニュータウンの現状と再生の取組み 堺市
行政、中でも地方自治体には市民生活を守る義務があります。 そして過去も将来も、その財源に限りがあるのは当然です。 限りのある財源を有効に使うには、国も地方も選択的に、その使途を選定しなければならないのです。 これからは、道路・橋梁・水道・下水道と云った公共施設の老朽化に依る保守整備に財源を充てる必要もありますので、インフラの整った都心部を中心とした保守整備に努めるとともに、過疎地からの都心部への住民の移住を促すことも必要になることと思われます。 最早、過疎地に二車線道路を作り、寄港する船も無い地に港湾を建て、訪れる観光客も無い荒れた処に土産物屋を建て、過疎地に市民ホールを建てる時代ではありません。 人が住むことが無くなった地は、自然保護地として都市の市民に解放すれば良いのです。 その折には、豪壮な公共施設の残骸は、バブルとその崩壊後の愚かな日本人の記念碑として眺められることでしょう。
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