冷戦後4半世紀:なお米欧対ロシアの争い
- 2014年 5月 21日
- 時代をみる
- ウクライナ伊藤力司
ウクライナをめぐる“新冷戦”を読み解く(その3)
1989年12月2-3日、地中海に浮かぶマルタ島でジョージ・H・W・ブッシュ米大統領とミハイル・ゴルバチョフ・ソ連最高会議議長が首脳会談を行い、東西冷戦の終焉を宣言してから25年。ソ連がその2年後に解体した結果「東」の社会主義陣営は消滅し、アメリカを先頭にする「西」の資本主義世界が勝利した。
東側陣営の完敗にもかかわらず、1949年に東側からの侵略に対抗するため米欧12ヵ国で発足したNATO(北大西洋条約機構)は解散するどころか、ポーランド、ハンガリー、チェコなど旧東側諸国10カ国を加え、加盟28カ国の防衛条約機構に拡大した。米欧側はユーラシアをめぐる地政学的パワーポリティックスの中で、ロシアを追い込むための武器としてNATOを存続させているのだ。この4半世紀、米欧対ロシアのパワーポリティックスの焦点に立たされ続けてきたのがウクライナである。
ウクライナは1991年8月24日独立を宣言、12月1日に行われた国民投票で97%が独立宣言を承認した。つまりソ連が正式に解体(12月25日)する前にロシアを見限ったのである。9世紀に「ルーシ」というロシアと共通の祖先を持ウクライナだが、強大化したロシア帝国に18世紀に併合され、その後のソ連体制下でロシア人に支配されてきたウクライナ国民が独立をどれほど歓迎したことか。
しかしロシア側から見ると、黒海に面するウクライナはロシアにとって地政学的に枢要な地域である。かつて数度のトルコとの戦争にようやく勝って、18世紀末ようやくロシア領としたクリミア半島にはロシア黒海艦隊の基地があり、保養地ヤルタもある。クリミアではロシア系の人口が6割近いし、ウクライナの東部と南部は歴史的にロシア系の人々が多い。東部はソ連時代に重工業地域として繁栄したことから、ロシアにノスタルジーを感じる人々が多い。
これと対照的に西のヨーロッパに親しみを感じるのが、ポーランドに近い西部である。かつてリトアニア・ポーランド連合王国に併合された歴史からカトリック信者も多い。西部でもとりわけ旧ハプスブルク帝国に属していたガリツィア地方は、カトリック信者が多数派でドイツ文化圏に属している。近年、ネオナチ集団がはびこっているのもガリツィア地方だ。大穀倉地帯の中部、西部はスターリン時代のロシアに収奪された記憶も残り、人心は親西欧・反ロシアの傾向が強い。
ウクライナの近代史に起因する東部・南部対中部・西部の対立は、独立当初から国の分裂をはらんでいたが、2004年の「オレンジ革命」まで亀裂は表面化しなかった。この年11月に行われた大統領選挙で、親露派のヤヌコビッチ首相と親米欧派のユーシェンコ前首相の一騎打ちとなった。中央選管はヤヌコビッチ当選と発表したが、ユーシェンコ陣営はこの選挙に不正があったとして不正の解明と再選挙を求め、大規模な大衆運動を展開した。参加者がオレンジ色の旗や幟を掲げたことから「オレンジ革命」と呼ばれるようになった。
この大統領選ではロシアのプーチン大統領がヤヌコビッチ陣営に肩入れする一方、米欧側も戦略的要地のウクライナをロシア側に取られてはならないと、物心両面で積極的な支援を行った。とりわけ米国の投資家ジョージ・ソロス氏が大金を投じたとされるし、強硬保守のネオコンが勢威を振るったブッシュ前政権下のアメリカは、ユーシェンコ陣営を積極的に支援した。
2004年10月31日の第1回投票では、1位のユーシェンコ(得票率39・87%)、2位のヤヌコビッチ(同39・32%)とも過半数の得票が得られず、両者は11月21日の決選投票に臨んだ。中央選管は24日ヤヌコビッチが49・46%の得票率で、46・61%のユーシェンコを破って当選したと発表した。しかし野党陣営はこれより先選挙の不正を指摘して、22日からキエフで10万人以上の大規模抗議集会を連日開き、街頭デモ、座り込み、ゼネストを展開していた。
この抗議運動は新聞、TV、ネットを通じて世界各国に報道され、高い関心を呼んだ。当然ながら、米欧メディアではユーシェンコに肩入れする報道が大々的に流され、ロシアではヤヌコビッチ側を持ちあげる報道に終始した。この報道合戦では、ロシア型ナショナリズム報道に終始したロシア側に対し、ウクライナ当局が民主的でないというトーンで報道した米欧側に国際世論は同調した。共産党独裁体制から民主化の歩みを始めたウクライナに温かい目を向けるべきだというムードが野党側有利に働いた。
EUと米国がウクライナ政府に大統領選のやり直しを公式に要求、1院制の国会であるウクライナ最高会議は11月27日に再投票を求める決議を、さらに12月1日にヤヌコビッチ内閣の不信任動議を採択した。こうして12月26日に行われたやり直し選挙では、ユーシェンコ51・90%、ヤヌコビッチ44・30%という得票率により、ユーシェンコ氏の勝利が確定した。もとより米欧側の勝利、ロシア側の敗北である。
しかし、2005年1月に就任したユーシェンコ大統領の政権運営は、必ずしも順風満帆ではなかった。「オレンジ革命」の同志として、新大統領が任命したウクライナ初の女性首相ユリア・ティモシェンコ氏とユーシェンコ氏の仲が急速に冷え込んだのだ。政権発足後僅か9ヶ月、ユーシェンコ大統領はティモシェンコ首相以下の全閣僚を解任した。
1960年生まれのティモシェンコ氏は若くして金儲けに成功し、儲けた金を投じて政治家として頭角を現した。29歳でペレストロイカの波に乗り、不法コピーしたビデオのレンタル業に成功して大金持ちになったという。ソ連解体後はエネルギー関連企業の経営に当たり、1995-97年にはロシア産天然ガスの最大の輸入・卸売業者の会社の社長に昇り詰め、「ガスの女王」の異名を取った。
ウクライナ中央銀行理事長を勤めた経歴から首相に抜擢されたエリートのユーシェンコ氏と、ウクライナ共産党の中級幹部の娘からウクライナ有数の大金持ちに成り上がったティモシェンコ氏。両者はいったん疎遠になったものの、2007年9月の総選挙でティモシェンコ連合とユーシェンコ派「われらのウクライナ」の連合が多数派を占めた結果、ティモシェンコ氏は2007年12月首相に帰り咲いた。
その1年前の2006年7月、彼らの政敵であるヤヌコビッチ氏が、自ら率いる親ロシア系の地域党と旧来の社会党、共産党と連立を組んで国会多数派を形成したため、ユーシェンコ大統領の下でヤヌコビッチ内閣が登場するという揺り戻しが起こっていた。この異常事態を解消するため、ユーシェンコとティモシェンコは再び連立を組んだのだった。
ユーシェンコ政権下で首相が2転3転したのは、プーチン大統領のロシアからの介入があったためだ。ウクライナは国内で消費する天然ガスの全量をロシアからの輸入でまかなっているが、ロシアは相手が親露派の内閣ならガス価格の大幅値下げや延べ払いを認めてやり、反露派ならガス代金の前払いを要求して値引きにも応じないという露骨なやり口だ。
2008年10月モスクワを訪問したティモシェンコ首相はプーチン大統領と会談、天然ガス輸入価格値上げ問題で折り合いをつけた。
ユーシェンコ大統領の任期切れで行われた2010年1月の大統領選挙では、ロシアの全面的支援を受けたヤヌコビッチ氏が当選、ティモシェンコ氏が次点となった。ユーシェンコ氏は第1回投票で5位に転落し「オレンジ革命のヒーロー」は表舞台から消えた。ユーシェンコ政権は、ロシアの反対するウクライナのNATO加盟とEUとの経済連携強化の方針を掲げたが、具体的な進展はないまま降板した。ロシアはベラルーシ、カザフスタンと組む「関税同盟」にウクライナを抱き込もうと圧力を掛け続けた。
さて2010年1月に就任したヤヌコビッチ大統領は、昨年11月21日「EUとの連合協定締結準備を休止する」と発表、前政権が進めたEUとの統合路線を棚上げした。これはEUとの連合協定の調印予定日が29日に迫っていたためである。首都キエフではこのニュースを知った親米欧・反政府派が24日から連日、ヤヌコビッチ大統領退陣とEUとの関係強化を求めて数万人規模のデモ、集会、座り込みを始めた。
反政府デモを規制しようとする政府側と、街頭闘争をさらに拡大してヤヌコビッチ政権を退陣に追い込もうとする反政府側の抗争は年を越して激化。キエフの中心部で、武装化した一部デモ隊と機動隊が衝突して多数の死傷者を出す事態が続いた。追い詰められたヤヌコビッチ大統領は、本年2月22日首都から姿を隠して逃亡、反政府派の勝利が確定した。反政府派はトゥルチノフ最高会議議長が大統領代行、ティモシェンコ派のヤツェニュク首相らの暫定政府を設け、この5月25日に正式な大統領選挙を行って新体制をつくる計画だ。
親露派政権を親米欧派のデモが倒したという意味では「オレンジ革命」と同じ筋書きだ。ところが今回は南部クリミア半島でロシア系住民が反乱を起こし、3月16日に圧倒的多数の住民投票でクリミアのウクライナからの離脱・独立とロシアへの編入を決議してしまった。ロシアは3月21日、対露制裁を実行した米欧の強い反対を無視してクリミアのロシア編入を決定した。対露制裁といっても、プーチン大統領側近の要人20人に対する入国ビザ拒否と、米欧金融機関による資産凍結など。ロシアに経済的打撃を与える制裁ではない。
これを見たロシア東部ドネツク州とルガンスク州のロシア系住民は、4月から「クリミアに続け」とばかりキエフの暫定政府に反乱を起こした。州や町の行政庁舎や警察署などの公共施設を実力で占拠、暫定政府側が解散させようとすると武装した若者たちが政府軍に抵抗するという騒ぎがあちこちで起きている。この両州では両者の衝突で死傷者が増え続けている。南部の港町オデッサでも親露系の住民が占拠した施設にネオナチ系のグループが焼き打ちを掛け、38人を惨殺するという惨劇も起きている。
ロシア政府は、クリミアの場合と違って東部2州のロシア編入は意図していないもようだ。
プーチン大統領は東部2州の住民投票を延期するよう要求したが、住民たちは予定された5月11日に住民投票を行い「国家としての自立」が圧倒的多数で承認されたと公表した。ウクライナは米欧対ロシアのパワーポリティクスのはざまで、国家分断状態を迎えている。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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