目出度くは無い新年
- 2015年 1月 6日
- 評論・紹介・意見
- 熊王信之
2015年を迎えても、とても「明けましておめでとう御座います」とは言えない気分がしているのは私だけでしょうか。
安倍政権がどうと云う訳ではありません。 自民党は、過去から一貫して現憲法を改憲することを狙っているのですし、例えば、政権批判派が、今更、護憲と云われても、憲法制定と同時に明文に反する事態が生起している事実がありますから。 当時は、公になることはありませんでしたが、朝鮮戦争に日本も参戦して戦死者も出している事実があるのです。 以前に、投稿中で触れましたが、海上保安庁所属で掃海艇の部隊が朝鮮半島での上陸作戦に伴う掃海を実施し戦死者も出した事実がありますし、近くは、ペルシャ湾で海上自衛隊による掃海を実施した事実があります。 まさか、海上自衛隊の艦船に依る掃海作戦が武力の行使では無いと云う屁理屈を首肯される訳では無いのでしょうが、これ等の事実に多数「護憲派」の方々は何故に眼を瞑られるのでしょうか。 私は防衛問題でも現実的であり、従って、少数「護憲派」を自認していますので、これ等の事実に蓋をすることは出来ません。
また、度々、戦争経験者が少なくなり、憲法第9条が改悪される等といわれることがありますが、第9条の実質的規範の意義が変遷し始めたのは、戦争経験者が大半の時代からですので、事実誤認と云わねばなりません。 私の小学生時代には、住まいの近隣にある空港内には、既に、陸上自衛隊の駐屯地が出来ていて、戦闘服(自衛隊では「作業服」と云っていますが)姿の隊員が訓練していました。 これ等の事実には、私等の戦後生まれは、何等の関与もし得ていません。 全て戦前生まれで、戦争経験者の皆様方に依る再軍備と戦争準備が為されたものと言えるでしょう。
更に、御叮嚀に、義務教育では、憲法違反の事実に云い逃れをする術を説明されたのです。 今でも、記憶していますが、社会の授業で、日本国憲法の解釈を説明した教師が、妙に緊張して御託を並べられていました。 この教師も当然のことですが、戦前生まれで、戦争経験者でした。
此処で、確かめたいのは、「自衛隊」は軍隊である、と云う明確な事実です。 裸の王様ではありませんが、自衛隊は軍隊では無い、等とは屁理屈も良いところで、世界では通用しない逃げ口上です。 海上自衛隊では、「駆逐艦」や「巡洋艦」は保有せず「護衛艦」であるから、等とか、自衛隊員は、国家公務員であり「兵士」では無いから、等と屁理屈を述べても通常一般の知識がある人間には通用しません。
そもそも、ナチスドイツが保有していたのも「国防軍」です。 世界の何処でも「侵略軍」等を保有している国はありません。 自衛のために軍隊を保有しているのです。 白を黒と云い包めるのは止めにしませんか。 自国の軍隊を如何に呼ぶのかはその国の伝統に依るものであり、その呼称に依り軍備の有無を判断することは出来ず、実質を見なければなりません。 その意味では、日本の多数「護憲派」は眼に蓋をしているのでしょう。 或は、事実を見るのが怖いのでしょうか。 第9条に縋って祈りを捧げていれば極楽往生出来ると信じておられるようです。
皮肉なことに、安倍政権の下で、例え、日本国憲法が改憲されても、復古主義的な戦前の大日本帝国憲法治世下の再来にはなりません。 安倍首相の信念にはお気の毒にも、大日本帝国憲法治世下に於いても、憲法に勝る存在である米国政権の意思が優先されるのであり、己が意思に基づいての開戦等はもっての他なのです。 即ち、米国の意思に反する戦争等は遂行出来得無いのです。 日本が遂行する戦争は、米国の意思に依り開戦も終戦も為されることになります。 これは、尖閣諸島を見れば明らかですし、竹島を見れば明らかです。 両者ともに米国の意思は、開戦阻止ですから、戦争したくても出来ません。 これを矛盾と云わず何と言うのでしょうか。 ポチは、何時まで経ってもポチなのです。
反原発も実現には困難が予想されるどころか、自身で障害を作り、自滅の道を進んでおられるようです。 全ては、御自身が二酸化炭素中毒になられているのが原因です。 化石燃料憎しで凝り固まった脳髄では、当面は、石炭なり石油で発電し原発代替とする現実策が取れずに、科学的に矛盾のある自然エネルギーに頼る非現実的夢想策を選ばれるので、自滅が目前です。
多数の方々が、原発村から自然エネルギー村への利権移転を目的に活動されておられるようで無残です。 そもそも、温暖化神話で凝り固まっている政党や活動家では、明るい未来は来ないでしょう。 一年の内に温暖化と寒冷化を繰り返している国にあって科学的事実が見えないのでは自滅も仕方が無いのでしょうか。
市場原理主義が国を覆い貧富の差が拡大すれば、多数派の貧者の反乱が必然的、との御託宣も疑わしいものです。 米国を見れば分かります。 一握りの大富豪が米国の富を一人占めに近くしている現状でも、共和党が議会の多数派であり、多数派の貧者の支持を受けて一握りの富者優遇策を現実化しているのは何故でしょうか。
人は、自身と比較するのは、身近にいる他人であり、その存在も実態も不明の富者を比較対象には出来得ないのです。 日本でも同様で、関西では名高い富者が多く住まわれる芦屋の大邸宅の内部は貧者の想像を超えるので、自身の比較対象とはなり得ません。 貧乏長屋の住人が自身と比べるのは、隣人と決まっています。
買い物ひとつでも同じことです。 欧米のブランド物を買うのに、量販店で買った吊るしの背広(古いね)を来て行く人は居ないのです。 食品から何から何まで、高級住宅地にお住まいの方々は、御自身で買い物に行かれること自体が無いのかも知れません。 お手伝いさんに依頼されるか、電話一本で宅配されるのですから。 我々庶民が大富豪との比較等は出来得ないのです。
阪神大震災の後に、その高級住宅地の周辺のアパートに住んでいた親戚を訪ねたことがありますが、周辺部では、震災の被災住宅を見かけましたが、高級住宅地では被災した住宅をみかけることがありませんでした。 被災住宅は、周辺部の一般住宅や文化住宅、アパート等でした。 貧富の差の哀しい現実を見たものですが、こうした現実を見る機会は、一般には稀です。
従って、米国程では無いものの、貧富の差が拡大しつつある日本においても格差拡大が一般大衆の関心を惹き、政治的命題になる可能性は無いでしょう。 それよりももっと目立つもの、例えば、中国の領土拡大と覇権主義的行動、韓国の日本への敵対的行動、等が誰にでも目立つ課題となることでしょう。 古から、近攻遠友と云う言葉どおりです。 即ち、尖閣と竹島の課題は、現政権にとっては解決せずに現状維持が望ましいことになります。 これ等の問題を自己正当化に有効活用出来れば政権が安泰することでしょう。 これも皮肉なことですが。
精々、その程度まででしょう。 ポチに出来ることは。 SONYがサイバー攻撃を受けたとして、直ちに、北朝鮮の枢要人物と機関に対して経済制裁をするのが米国です。
その前には、中国が尖閣諸島上空に航空識別圏を設けたとして喧々諤々の議論が沸き起こった国と比較して、さっさとB52を識別圏へ派遣して中国の出方を実際に観測したのが米国です。 どちらもポチには出来ない真似ですね。
詰まる処、今年も負け犬の遠吠えと、負けると決まった学生運動のような、但し、一際勢力の衰えた運動の掛け声を聞いているしか無いのでしょうか。 阿保らしい。 人気の衰えた大衆芸人のような、左前の政治人間ではどうし様も無い状況であるのは確かなようです、と自虐的にもなります。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion5101:150106〕
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