屈しない――5・17県民大会に参加して
- 2015年 5月 23日
- 評論・紹介・意見
- 市来哲雄沖縄
沖縄小景5
沖縄に暮らすようになって20年が過ぎた。この間、大規模な「県民大会」のほとんどに個人として参加してきたが、今回の大会には感慨深いものをいくつか感じた。「大阪都構想」の住民投票などの影響で、さほど詳しく報道されなかったように聞くので、少し遅くなったが、今回の県民大会を振り返ってみたい。
2014年、名護市長選挙、名護市議会選挙、沖縄県知事選挙、衆議院選挙(小選挙区)の全てで、普天間基地の辺野古移設に反対する民意が示された。12月10日の翁長雄志知事就任後、会談を望む知事側に対し、3月ごろまで「その必要はない」「辺野古でのボーリング調査は粛々と進める」と返す政府側の態度は、その逐一が沖縄では報道されていた。「辺野古に新基地は造らせない」を前面に掲げ大差の勝利を果たした新知事に対する、この「知らぬ存ぜぬ」的態度は、沖縄では日に日に反感の度を増していったように、私は感じる。4月に入ってだったろうか、地元テレビ局のローカルニュースで、「(辺野古への)移設容認派も反感」との報道があり、街頭インタビューが数本紹介されていた。新知事就任後の政府側の姿勢はむしろ対象を、「多数を占める移設反対派」から「沖縄をないがしろにする官邸側に不満を持つ大多数の県民」へ増やす結果となったように思う。官房長官との会談が行われたのは4月5日だった。
辺野古新基地建設に伴う海底ボーリング調査の始まった昨年8月から、新基地建設反対の集会は過去7回あった。琉球新報5月16日付特集版によれば以下の通り。
8月23日(土)の「止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。」(名護市キャンプ・シュワブゲート前、3600人=主催者発表、以下同)
9月20日(土)「みんなで行こう、辺野古へ。止めよう新基地建設!9・20県民大行動」(辺野古の浜、5500人)
10月9日(木)「止めよう新基地建設!10・9県庁包囲県民大行動」(那覇市県庁前、3800人)
12月4日(木)「止めよう辺野古新基地建設!12・4県庁包囲県民大行動」(2200人)、 2015年2月22日(日)「止めよう辺野古新基地建設! 国の横暴・工事強行に抗議する県民集会」(キャンプ・シュワブ前、2800人)
3月21日(日)「止めよう辺野古新基地建設!美ら海を守ろう!県民集会・海上行動」(名護市瀬嵩の浜、3900人)
4月28日(火)「止めよう辺野古新基地建設!民意無視の日米首脳会談糾弾!4・28県民屈辱の日 県民大会」(県庁前、2500人)
私は、そのどれにも参加できなかったが、単純に合算すると、2万4300人。すでに多くの反対する意思が集会で示されている。以上を見れば、「県民大会」と銘打った今回の「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」(主催、同実行委員会)の意味合いが分かるだろう。
大会は5月17日(日)午前十一時半ごろから、那覇市の奥武山公園にある沖縄セルラースタジアム那覇で開催された。これまでもそうだったが、県民大会の本編の前には必ず「アトラクション」と呼ばれる歌を中心にした芸能が、いわば幕開けとして披露される。今回もたしか5組による歌が披露された。特に、海勢頭豊さんの「月桃」は、軽やかな三拍子の明るい旋律で沖縄戦を物語る歌詞が会場全体に静かに響いた。最後に登場した四人姉妹のベテラン民謡グループ「でいご娘」のおなじみ「艦砲ぬ喰ぇー残さー」では、歌い出しからすぐに手拍子が聴かれた。この県民大会がこれまでと違うのは、会場外から聞こえてくる右翼、民族派団体の「ばかやろうー」などの言葉が混じる怒号、怒声だろう。私の感覚では、今の政権前後から目立つようになったと思う。
こうした雑音が聞こえてくる中、会場では芸能が披露される。この好対照にはきわめて鮮やかな印象を覚えた。琉球新報は「沖縄セルラ-スタジアム那覇の周辺では17日、右翼団体などの街宣車が大会の開催に抗議した。演説をしたり音楽を流したりして街宣車が低速で会場周辺を走行した」(18日付)と報じている。同日付沖縄タイムスのコラム「大弦小弦」には、「前日の辺野古でも、似た光景があった、日の丸と星条旗の一団が、(新基地建設への)抗議行動の現場までデモ行進し、挑発を試みた。ところが、抗議の市民は笑顔でカチャーシーを踊っていたのだった。行進団は振り上げた拳の下ろしどころがなく、なぜか『まじめにやれ』と怒った」とあった。
私がスタジアムに入った11時過ぎ、屋根のある内野スタンドはすでに8割くらいは埋まっていた。その後、ぞくぞくと入場は続き、大会の始まった午後1時には、外野の芝生席、グラウンドへの入場が切れ間なく続いた。翌日の地元紙によれば、入りきれない参加者もかなりの数に上った模様で、沖縄タイムスは「沖縄都市モノレールは臨時増便しても乗車できない人であふれ、周辺道路は渋滞した。それでも会場へ向かう人の流れは開始1時間を過ぎても途絶えなかった。(大会テーマカラーの)青色の波は会場周辺も埋め尽くした」(18日付)と報じている。どうやらスタジアムのある奥武山公園自体が会場と化していたのかもしれない。
大会終了直前に発表された参加者数は3万5000人。スタジアムの収容人数が3万人とのことだから、グラウンド、通路を含めるとかなり実数に近いと感じた。会場外の様子を知ったのは翌日の報道なので、だとすると、軽く3万5000人を超えていたのかもしれない。主催者発表が実態を下回っていたとすれば、これは初めてのことだろう。共に参加した妻とも話したのだが、那覇市中心部にある会場ということで、車での移動が難しい分、あらかじめ参加を諦めた人も多いだろう。こうしたことまで考えると、「ゆうに5万人を超える規模だった」というのが、われわれの感覚的だ。
大会最後のメッセージボードアクション。ボード裏面には「屈しない」
もう一つ、印象に残ったのは、大会運営の気配りだ。アトラクションのころから、およそ「参加の平等を確保するため、のぼり、横断幕、旗などはしまってくださるようお願いします」とのアナウンスが何度か繰り返されていた。大会開始の1時には、参加団体ののぼりの類いは全て降ろされ、見晴らしのいいこと。これも私の知る限り、初めてのことだった。
私の見た範囲では、参加者の平均年齢は50代後半くらい。団体での参加が多くを占めるが、若い世代やうちのような家族連れも多く目にした。
さて、大会はこれまでにない熱気に包まれていた。何しろ、登壇者のあいさつの1フレーズごとに拍手が続くのだ。大会共同代表5名のうち、大城立裕さんは体調不良で不参加。これは前日に報じられていたが、そのメッセージ「沖縄の歴史始まって以来の快挙だ」(司会代読)にも拍手が起こっていた。
共同代表の1人、中山きくさん(86歳、白梅同窓会会長)は次のように述べた。
「70年前の沖縄戦当時、陸軍の野戦病院で傷病兵を看護した白梅学徒隊の一人としてどうしても思いを伝えたくて参加した。軍命によって、お国のためにと県民総出で軍事基地造りをしたことが思い出される。しかし、それは抑止力にならず、むしろ沖縄戦に直結した。その結果、かけがえのない20万余の命、大切な郷土の自然、文化遺産も全て失い、戦争は人類にとって最も不幸な行為であることを思い知らされた。私は沖縄戦で22人の仲間を失った。私の生涯の悲しみです。(中略)武力を伴わない平和が一番。戦争を知らない皆さんはそれを分かってほしい。基地を強化しては戦争はなくならない。きょうは日米両政府、全国民、他の国々の方にも沖縄県民の思いを訴える大会。すぐに結果を得られなくても粘り強く取り組んでいこう。行動しなければ現状を黙認したことになる」(沖縄タイムス18日付)
淡々と聞こえるさわやかな口調は、会場外から聞こえてくる罵声とは正反対、格調すら感じるあいさつだった。
このほかにも、登壇者からは力のこもったあいさつがあった。以下、登壇順に抜粋を列挙する(琉球新報18日付)。
平良朝敬さん(大会共同代表、島ぐるみ会議共同代表)「安倍総理、菅官房長官、中谷防衛大臣と翁長雄志知事との対談を見て、私なりに原点と歴史認識の違いを感じた。日本政府は普天間飛行場が19年前に日米で全面返還合意されたことが原点だと言っている。沖縄県民のパワーは私たちの誇りと自信、祖先に対する思いであり、これまでのさまざまな出来事の中での70年前が原点だと思う」
呉屋守将さん(大会共同代表、辺野古基金共同代表)「辺野古基金に寄せられた寄付は総額2億1100万円に達した。全国から1万6千件の善意が寄せられた。その7割近くが本土から送金されており、これまでオール沖縄だった闘いが、オールジャパンの闘いに変化してきた。同胞の闘いが燎原の火のごとく全国に広がっている。辺野古に新基地を造らせない闘いは、決して孤独な闘いではない」
大城紀夫さん(大会共同代表、連合沖縄会長)「安倍政権は巨大な力で沖縄に襲い掛かっている。恐れてはならない。安倍政権が一番恐れているのは民衆の団結だ。私たちは稲嶺進名護市長を誕生させ、翁長雄志知事を誕生させた。だからこそ安倍政権は知事に会いたがらなかった。怖がっていた。全国の国民に、世界の市民に安倍政権の強硬な民主主義を否定するような姿を思い起こされたくないとの危機感だ」
稲嶺進さん(大会共同代表、名護市長)「戦後70年、復帰43年で(基地の過重な負担は)何も変わっていない。国民は『臭いものにはふたをせよ』『見ざる聞かざる言わざる』の状況でわれわれを苦しめている。われわれは黙ってはいけない。だからこうして集まっている」
安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会代表)「あの痛ましい95年の米海兵隊員による少女乱暴事件から20年になる。20年たっても現状は変わらないではないか。世界一危険な普天間飛行場を閉鎖してほしいという県民の要求を無視し続けてきたのは歴代の政権ではないか。絶対に許すことはできない。菅義偉官房長官は『日本は法治国家・法治主義だ』という言葉を記者会見で出すが、普天間問題を『放置』してきたのはあなたがただ。菅官房長官が言うのはそういう『放置主義』だ」
松田藤子さん(辺野古・大浦湾に新基地はいらない二見以北住民の会会長)「私たちの目の前には悠久の昔から手つかずの自然そのままの大浦湾がある。その海で連日『海を壊さないで』『サンゴやジュゴンを守って』『新基地建設反対』と必死に声を上げて阻止行動をしている皆さんと防衛省がにらみ合い、争いが展開されている。民主的な手続きの下で圧倒的に示された民意を、安倍政権が無視し、問答無用で県民をねじ伏せ、蛮行を繰り返す中で工事を強行しているからこそ『ゆるさらん、がってぃんならん』と抗議している」
佐藤優さん(作家、元外務省主任分析官)「沖縄は過去の沖縄人のものであり、現在の沖縄人のものであり、未来も沖縄人のものだ。中央政府は沖縄アイデンティティーの確立を恐れている」
古堅智美さん(沖縄国際大学4年生)「安全で静かな大学生活を送るために普天間飛行場の即時閉鎖・撤去が必要であることは言うまでもない。しかし、辺野古に新基地を造ることは、名護市民に基地被害や不安を与え、同じことの繰り返しで県民が切に求めている真の解決にはならない。これ以上、基地で県民を苦しめ、自然を壊してまで基地建設をするのはやめてほしい」
オリバー・ストーンさん(映画監督、司会代読)「あなたたちの運動は正当なものだ。『抑止力』の名の下に建つ巨大な基地は一つのうそだ。アメリカ帝国が世界中を支配する目標を進めるためのもう一つのうそだ。この怪物と闘ってくれ。世界中であなたたちのようにあらゆる分野で闘っている人たちがいる。それは、平和と、良識と、美しい世界を守るための闘いなのだ」
鳥越俊太郎さん(ジャーナリスト、辺野古基金共同代表)「安倍政権は特定秘密保護法、集団的自衛権、安保法制、原発再稼働のどれを取っても民意を無視して自分たちの政策を進める独裁政権だ。生半可なことでは独裁政権を打ち倒すことはできない。しかし、それをやらなければ辺野古の基地は造られる。この県民大会を新たな一歩として、絶対に辺野古に新基地を造らせない新たな闘いになることをあらためて皆さんと確認したい」
翁長知事のあいさつは約12分間、3200字を超えるが、きわめて力の入ったものだった。ぜひ全文を参照していただきたい。その一部分を紹介する。
「沖縄の基地問題なくして日本を取り戻すことはできない。日本の安全保障は日本国民全体で負担する気構えがなければ、沖縄1県にほとんど負担させておいて、日本の国を守ると言っても、仮想敵国から日本の覚悟のほどが見透かされ、抑止力からいってもどうだろうかなと思っている」
「これは強調しておかなければならない。政府は普天間基地の危険性の除去がこの問題の原点だと言っているが、沖縄から言わせると、さらなる原点は普天間基地が戦後、米軍に強制接収されたことだ。何回も確認する。沖縄は自ら基地を提供したことは一度もない」
「オスプレイはあの森本元防衛相がこう述べていた。5年前、著書の中で平成24年に12機、平成25年に12機(が配備される)。『沖縄にオスプレイが配備されるだろう』と。見事に的中している。そしてその中に何が書いてあったかというと、新辺野古基地はオスプレイを100機以上持ってくるために設計はされている。これから全てオスプレイは向こうに置かれるんだということが森本さんの著書に書いてある。ですから今、本土で飛んでいるオスプレイも一定程度が過ぎたら、みんな沖縄に戻ってくる。これが私は日本の政治の堕落だということを申し上げている。どうか、日本の国の独立が神話だと言われないように、安部総理、頑張ってください。うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」
最後のうちなーぐちの部分では、右手拳を上げていた。訳ではおとなしい印象を受けるかもしれないが、声を張り上げてのもので、この後、即座に会場中が1分以上、スタンディング・オベーションとなった。この熱狂感、私は初めて経験した。琉球新報、沖縄タイムス共に18日付で知事あいさつ全文を掲載しているが、どちらも「うしぇーてぇー」あるいは「うしぇーてぃー」を「ないがしろに」と訳してるが、沖縄生まれの妻に言わせると「ばかにしては」ととった人が多かったはずだという。おそらく「ないびらんどー」が敬語表現なので、それを生かしたのかもしれないが、文字よりもかなり強めの意味合いだったと感じた。
この後、大会決議が提案され、拍手で承認された。その後段には次のようにある。
「辺野古新基地建設を巡るこの19年間において、今まさに正念場である。今新基地建設を止めなければいつ止めるのか。私たち沖縄県民は2013年1月に安部総理に提出した建白書を総意として『オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念』と強く求めている。保革を超えて私たち県民がつくりあげた、この沖縄の新たな海鳴りは、沖縄と日本の未来を拓く大きな潮流へと発展しつつある。道義と正義はわたしたちにあり、辺野古に基地をつくることは不可能である。子どもたちや孫たち、これから生まれてくる次の世代のためにも、私たち沖縄県民は決して屈せず、新基地建設を断念させるまでたたかうことをここに宣言する」
ガンバロー三唱の後、約1時間半の大会は終わった。道義と正義があっても、この先楽観はできないというのが参加者の実感だろう。そうであっても、多くの県民の強い反対の意思が、この大会で明確になったのはまちがいない。整然と退出する列に並びながら、そう感じた。会場の外では、相変わらず街宣車のがなり声が聞こえていた。
大会後、政府の態度は変わらないように見える。20日には、海上保安庁の佐藤雄二長官が記者会見で、辺野古新基地建設をめぐる辺野古沖での抗議活動への対応に過剰警備との批判があることについて、「私が知る限りでは、現場の対応というのは非常に冷静にかつ丁寧にやっている。現地での報道ぶりが非常に事実関係より、誇張されている部分があると感じている」(沖縄タイムス21日付)と述べた記事があった。記事では、沖縄タイムス編集局次長、琉球新報編集局長はそれぞれ「指摘当たらない」「知る権利への挑戦」との反論コメントもあった。
21日には辺野古沖で、「抗議する市民らのカヌーを海上保安官がすでに拘束しているにもかかわらず、『落とせ』との指示で転覆させた」(沖縄タイムス22日付)との記事(写真付き)。長官の「冷静に丁寧に」とは、カヌー拘束後漕ぎ手を海に落とすことらしい。しかも、漕ぎ手のライフジャケットをつかんで転覆させたという。海の安全を啓発する海保が、その最も基本となるライフジャケットをこのように使うとは、もはや異常が常態化していることをうかがわせる。同日付沖縄タイムスには「基金2億5千万円突破」の記事も。2004年から辺野古での座り込みを継続するヘリ基地反対協と、今年1月から毎日那覇から辺野古へのバスを運行する島ぐるみ会議に支援金を送るという。使途が決まったのは基金が4月9日に設立発表されてから初とのことだ。
明確な多数の意思は示されたが、状況はきわめて厳しい。戦後70年の「慰霊の日」(6月23日)は一月後に迫っている。
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