2015年ドイツ逗留日記(2)
- 2015年 7月 13日
- カルチャー
- 合澤清
1.このごろのドイツ(ニーダーザクセン州)の気候、その他
7月5日の日曜日、窓と部屋のドアを全開にして眠るがそれでも暑くて何度も目が覚める。朝食の後、さすがに疲れたので、少し昼寝をした。この時間だと窓(東窓)から涼風が入ってきて、昼寝には最適だ。眠りすぎないようにするのが難しい。
このところ日本から送られてくるメールには、日本は梅雨で、肌寒い日が続いていると書かれていた。ドイツ人にその話をしたら、目を丸くして驚いて、「日本に帰った方が良いのではないか」と冷やかされた。
午後からこの家の女主人(友人)が、車でVolkerode(フォルケローデという小さな田舎町)での手作り作品展に誘ってくれた。住まいから車で30分程度の距離だ。ハーデクセンと同様大変静かな町だ。日曜日とあって、人通りはほとんどない。目指す場所は、広い空き地を利用して、そこに手作りの花瓶、鉢、器、人形、金属細工もの、鉄製のベンチやいす、テーブル、あるいは植木などをいっぱいに並べての即売会場であった。即売会を手伝っているのは地元の人たちの様だ。僕らの友人は顔見知りの人がいたらしく、何人かの人と挨拶を交わしていた。
展示場をかなり時間をかけてぶらついた。珍しいのは、竹で編んだ丸い飯櫃の様な籠で、受けの部分と上蓋の中辺の四角な部分が竹網で、上蓋のその周辺部はなんだか漆塗りででもあるかのような装飾の施された板(竹の板か、薄板かは分からなかったが)でできていた。最初、金沢辺の民芸品でも置いているのかと思った。
欧米人には仏教に興味を持つ人が多いらしいのだが、この展示場にも小さな大仏様がいくつかおかれていた。奈良で見るような古い風格のある顔立ちとは雲泥の差の、お世辞にも良い顔とはいえない代物だったが、面白いのは、仏頭である。こちらは木型か金型に入れて作ったのであろうが、同じ顔のものが二種類あった。その一つは、どう見ても西洋人の女性のものだ。しかもなかなかの美形である。思わず、「うーん、釈迦族はインド=ヨーロッパ語族に属していたかもしれないから、ひょっとするとこれで正解なのかもしれないな」などと考え込んでしまった。
何かを買って帰りたかったのだが、何せドイツ人の作るものは武骨で重い、しかも、このところ空港の荷物チェックはますます厳しくなっていて、金属製品はことごとく検問に引っかかり、取り出されてチェックされる。おまけに所持者の身体検査まで厳重にやられる。こんな面倒な思いをしてまで買って帰りたい物ではないので、そのまま手ぶらで出てきた。
帰ろうとしたら、雨に降られた。天気が急変して、雷鳴がとどろいてきたのだ。ひょっとしたらGewitter(ゲビッター:小規模な嵐)かもしれないと思いながら車に乗って少し走っていたら、また晴れてきた。いつものドイツの天気だ。
晴れて来たので、帰途の途中で下車、彼女が前に住んでいたRosdorfというやはり小さな町のはずれの小高い丘に散歩がてら登ってみた。彼女は幼いころ、この辺で育ったためか、この丘の事はよく知っていた。丘の登り口に小さなユダヤ人墓地があった。周辺に野イチゴがなっていて、彼女はそれを摘み、帰ってから洗って食べるのだという。また登り道の途中にはサクランボがかなりたわわになっていた。それも摘む。ドイツには、道路のあちこちにリンゴの木が植わっていて、子どもはもとより、大人も適当にそれをちぎっては食べている。日本の田舎でも、昔はあちこちに無花果や夏ミカンの木があり、実をつけていて、同様な風景があった。
この時刻はまだ蒸し暑くて、登り道では汗びっしょりになった。老人が一人、途中の坂道に自転車を止めて読書を楽しんでいた。また小道で二人連れの中年の人たちとすれ違って挨拶を交わす。ドイツ人は道ですれ違っても、日常的に挨拶を交わしている。
彼女の話では、冬場はこの丘が一面の雪で覆われ、格好のゲレンデになり、子どもたちはスキーを楽しむのだという。また、祭りには大きな焚火をして、周辺でビールを飲み、バーベキューなどの食事をするそうだ。
再び車で帰途につく。お腹がすいたので、再び途中下車をして「Medici(メディチ)」という名前のイタリアレストランに入る。この頃から天候がかなり怪しくなる。ポツポツ雨が降り始めたため、建物の中に入る。とたんに本格的なGewitterがやってきた。窓ガラスをたたきつけるような大粒の雨と強風。それが波状的に襲ってくる。止んだかと思うと再び降って来ることを何度か繰り返している内に、だんだん外気が冷えて来る。家に帰りついた時は、出発した時とは様変わりで、寒かった。
外気はこの日を境にして急激に下がってきた。毎朝の買い物も、今までは陽だまりを避けながら歩いていたのが嘘のように、長袖を重ね着したうえで、陽だまりを選んで歩くようになった。
Kurpark
Hardegsen
2.ギリシャ問題、ウクライナ問題-中、ロ、米、EU
ここ何年間も、僕らがドイツ人の友人たちと会う曜日は決まっている。毎週水曜日の午後8時、いつもの居酒屋(レストラン)でである。7月8日(水)、この日はゲッティンゲンまで家主の友人が車で送ってくれた。彼女も腰痛のリハビリのため病院に行くついでがあったようだ。そのためかなり早くゲッティンゲンについた。時間つぶしにゲッティンゲン大学の図書館(ここはニーダーザクセン州の図書館でもある)に行く。地下のロッカールームに行って驚いたのだが、ついこの前まではコインロッカーだったのが、いつの間にかカード専用になっている。僕らはカードを持っていないし、学校などに通っているなら話は別だが、ニーダーザクセンに住んでいるという証明書もない。これでは結局この図書館を利用できないということだ。ここの読書室は広いスペースを持っていて、蔵書もドイツ有数の量を誇っている。しかも、自由に閲覧可能である。一部の稀覯本を除き、コピーも可能である。かつてはよくここに通って、ヘーゲル等の原書を拾い読みしていた。この図書館の利用を前提していたため、本を重い思いをして持参する必要がなかったのだが、今回でその予定は潰えたようだ。
仕方なく、本校舎の片隅の椅子に腰かけて雑談をしながら時間つぶしをした。
7時半ごろに、居酒屋に行く。外が小雨模様だったためか、この日は中は既に満員。知り合いのウエイター(実は全員と知り合いなのだが)に、どこか空いている席は無いのかと聞いて見た。探してくれた結果、一番奥の、ここで一番大きなテーブル席が空いているから使うようにという。これで安心してビールが飲める。
次々に顔見知りの客が来る。いちいち挨拶を交わし、握手をして回る。その内僕らの友人二人もやってきた。最初はよもやま話。一人の友人が今年の春、引っ越しをしたので、どんなところか、環境は良いのか、家は広いのか、などなどを聞く。車で15分ぐらいのところで、小さな村だという。環境は抜群で、家も庭もゆったりしているという。
ビールが進み、最初の話題は、日本の現状に対する質問だった。
原発の再稼働、沖縄、安倍政権下での急速な右傾化、などについて一応説明する。毎日デモが行われていることも付け加える。
やがてギリシャ問題に話が及ぶ。ギリシャのチプラスはなかなか政治的に事を運んでいるのではないか。中国とロシアへ流し眼を送りながら、EUとアメリカを牽制しているように思うがどうか、と尋ねる。
返事はまず、プーチン批判から始まり、プーチンはチプラスを見限ったらしい(という意味だったかどうか、いまいちよく理解できなかった)と言う。中国に対しては、確かにかなりの影響力があることを認めていた。
それでも、ウクライナ問題を抱えるプーチンとしては、ギリシャを味方につけることはNATOの包囲を退けることにつながるから、是が非でも必要ではないのか、またウクライナ問題でも、ギリシャ問題でも、アメリカが背後にいるのではないのか、と食い下がってみる。
彼らの答えでは、プーチンがウクライナを侵略し、その国境に核弾道を配備したことがそもそもの事の始まりである。先ず、プーチンが手を引くことが第一だ。ヨーロッパはアメリカとは一線を引いている。日本のようにアメリカの言いなりにはならない。
ギリシャ問題については当然ながら彼ら二人とも滔々と論じまくっていたが、こちらの語学力が残念ながらついていけないまま、10時半ごろお開きにした。途中から、一方の友人の彼女が参加。この人は古代から中世にかけての哲学の研究者で、大学の講師(?)を務めている。何故か、彼女のドイツ語の方が僕には聞きとりやすかった。
当然のことながらドイツにいて日本の新聞は読めない。いや、正確にいえば読めるには読めるのである。ゲッティンゲンの本屋に行けば、前日の日本語新聞が置いてある。但し、値段がバカ高いため、買う気になれないのだ。そのため、インターネットのオンラインを利用することになる。あるいは、こちらのDIE ZEITのオンラインやZDFの見出しを眺める程度は毎日やっている。DIE ZEITは、ドイツのインテリが愛読していると言われ、記事内容もかなり信頼されているようなので、僕らの友人の様な知識人たちと話をする際の予備知識の準備程度には役立つ。但し、これらを本格的に読もうと思うとかなり難儀する。彼らも、読まないまま部屋に山積みしているよ、と笑っている。
最近のDIE ZEITの記事の見出しだけを見る感じでは、ギリシャ国内では、「薬品と生活必需品」の不足がかなり深刻になっているようで、EU-議会議長シュルツは、人道的支援に基づく呼びかけを表明している。
また、EU内部でもギリシャに対する強気と弱気が交差していて、ドイツのメルケルは、少なくとも表面上は、ギリシャのGrexit(ギリシャのユーロ圏離脱)をやむなしと見ているようだが、フランスのオランドなどは、自分のこれからの政治生命に関わるため、何としてでもそれを認めたくないと考えているようだし、EU首相のユンカーは、国民投票がギリシャ人に新たな秩序をもたらしそうだと、それを支持さえしている。
こういうEU内部の事情を図らずも曝け出した記事が、「ブリュッセル(EU本部)は場当たり的に(その場しのぎで)やっている」のではないか、という表題で、「ギリシャ人のOxi(反対)に対してブリュッセルは何一つプランを持っていない。三番目の救済計画を示すのか?話し合いの参加者たちは、どんな態度で行くつもりか?」と怒りとイライラを募らせた論評である。
ギリシャのチプラスは国民投票の結果、60数%の支持をえて、EUからの「財政緊縮化要請」を一旦は拒否したが、ここにきて再びこの「財政改革案」を議会で可決した。530.5億ユーロの新たな借款をするためである。当然ながら、これに対する国民の反発は大きい。
「天国と地獄の間は700メートル」「絶え間ない不確実さ、絶望的な望み、諦め:5年間の危機による精神的な負担はギリシャ人にとってあまりに大きい」
ギリシャの金持ちは、税金逃れのためイギリスの「タックス・ヘイブン」地帯(ロンドンの銀行)に逃避しているという。ギリシャ経済を食い物にした投機マネーも、いち早く安全地帯へ逃避した。中国と、ヨーロッパでは悪名高いプーチンのロシアが後釜を狙っている(?)。ギリシャ問題はEU全体の、ひいては世界の今後を左右しかねない大問題である。当分目が離せない。 2015、7.11記
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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