『リベラル』とは、「体制擁護」だったのか? 「菅内閣をもう少し使って…」を読んで、やっぱりと思う。
- 2011年 1月 6日
- 評論・紹介・意見
- 『リベラル』とは安東次郎
田畑氏の「菅内閣をもう少し使ってはどうか」http://chikyuza.net/archives/5635は標題の通り、菅政権を擁護するものだ。氏は菅政権に対して距離をおくような言い方しているが、失礼ながら、これはポーズで、まず菅政権擁護の「気持ち」があり、これに多少の「理屈」がくっついている、というのが率直な印象だ。
こういう言い方をするのは、田畑氏が菅政権を擁護する「理屈」というのが、さっぱり腑に落ちないからだ。
それで、以下では、私が「腑に落ちない」理由、つまり氏のレトリックと「現実」とがどう食い違っているか、を述べることにする。
田畑氏は次のように言われる。(以下、<>内は田畑氏の引用。)
<[この国は]立ち尽くしているように見える。そしてそれは菅内閣の姿に重なる>
しかし、はたして菅政権は「立ち尽くしていた」のか?
菅政権は立ち尽くしていた?
1.「沖縄」問題
まず、沖縄から。
仙谷官房長官が沖縄の基地負担について「沖縄の方々に甘受していただく」と発言したのは、12月13日。
http://www.asahi.com/politics/update/1214/TKY201012140446_01.html
菅政権が沖縄振興新法という 「アメ先行で普天間打開」を鮮明に(以下の産経の表現による)したのは、12月27日のことだ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101228-00000099-san-pol
そして、沖縄防衛局が、暗がりの中で米軍のヘリパッド(東村高江区)建設工事を再開したのは、12月22日。http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-24_13115/
沖縄にかんしては、菅政権は全然「立ち尽くして」などいないのだ。
2.思いやり予算
もちろん「沖縄」だけではない。「思いやり予算」(在日駐留軍経費の日本負担)はどうか?
政府は12月14日、H23年度から五年間で九千四百億円余を「思いやり予算」として支出することで米国と合意したが、現行協定は22年度で終了するのだから、その後どうするかは、本来白紙だったはずだ。菅政権がただ「立ち尽くしていた」だけなら、どうして日本から米国へ一兆円近いカネが渡るなんてことになるのだろうか?
以上はいずれも先月のことだが、田畑氏はもう忘れたのか?
3.グアム移転経費
海兵隊のグアム移転(2014年予定)について「米下院歳出委員会は7月23日公表の報告書で「2017年か、それ以降」との見方を示し、米側の移転予算を64%削減した(24日、朝日夕刊)。グアムの電力、上下水道など民間インフラ整備が間に合わない、との理由だ。米政府はグアム当局と日本政府にも延期を通知した(23日、読売夕刊)との報道もある。」
http://www.aera-net.jp/magazine/soul/100803_001828.html
つまり仮に「辺野古」に基地が出来ようと、「海兵隊のグアム移転」がどうなるかは、わからないということだ(そもそも「軍隊」は「戦略」、「戦術」によって、何処へでも動く)。
ところが、日本が支出するグアム移転経費のほうは、しっかり米側にわたるのだ。
菅政権は、「約370億円(約4億2千万ドル)を出資することで合意した。日本政府は[12月]24日に閣議決定する平成23年度予算案に出資金を計上する。政府が国際協力銀行(JBIC)に出資し、JBICが現地の上下水道や電力の整備事業を行う事業体に融資する」。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101221/plc1012212019011-n1.htm(この『融資』をまともに受け取る人はいないだろう。)もちろんこれは日本が負担するカネの一部で、総額は「60億9千万ドル」(約5千億円)である。
そもそも「沖縄から出て行くからカネを」ということ自体がおかしな話だ。しかし「カネはもらうけど、出ては行かない」というのは、なんといえばよいのか。
こういう菅内閣を「立ち尽くしている」と形容するなら、彼が「立ち尽くしている」間にも、日本はカネをかすめ取られていることは、ぜひとも付け加えるべきだろう。
それとも、ひょっとして「菅内閣をもう少し使ってはどうか」とは、ワシントンあたりでささやかれているフレーズなのか?
TPP(環太平洋協力協定)を批判するのは早すぎる?
田畑氏は<これら[TPP(環太平洋協力協定)など―引用者]にはいろいろ議論がある。しかし、結論はまだこれからだ。これをしたからだめ、というには早すぎる>という。しかし政権が結論を出してからでは、「遅すぎる」。
しかし、この点にかんしては、金子勝氏のサイトの記事「歴史の中の「自由貿易」:錦の御旗を立ててみたけれど…」を紹介するにとどめる。http://blog.livedoor.jp/kaneko_masaru/archives/1400692.html
(引用開始)
まずTPPが「国を開くか開かないのか」という選択だと、インチキな恫喝をかけるメディアがありますが、それは本当でしょうか。TPPにはロシアはもちろん、ASEAN+3でFTAを進めてきた中国は、米国主導のTPPには乗らないでしょう。また米国とFTAを締結した韓国も参加しないでしょう。実は、米韓FTAではコメが例外品目ですが、TPPではそれが許されませんから。今や世界で最も成長し、実際にも日本の輸出先として圧倒的に重要な中国などの東アジア市場でしょう。・・・これらの国々と個別にEPA、FTAを結んだ方が日本にとってずっと得です。
中国・韓国などとEPAやFTAをする際には、農業利害の衝突も起こりにくいのです。とくに中国は水田中心で平均耕作面積が1haにも満たない状態で、小麦・トウモロコシなどの穀物、畜産、砂糖などで競合せず、むしろ米や果物など日本の農産物の輸出の可能性が切り拓かれます。
[TPPで]日本の製造業品の対米輸出が本当に伸びるんでしょうか。どうも、それも期待できそうにありません。・・・オバマ政権は、今後5年間に輸出を倍増して雇用を200万人増やすと表明しています。つまりTPPは米国の輸出を倍増する計画の一環なのであって、決して日本の対米輸出を増やすものではないのです。
TPPは単なる輸入関税の話ではなく、より広範なパートナーシップを目指したものであり、さまざまな分野が協議の対象となるかもしれないのです。
①公共事業などの入札に関しては、すでに・・・政府調達へ海外企業の参加条件が決まっています。その金額の引き下げが求められてくるかもしれません。
②金融分野で門戸開放も含まれる可能性があります。・・・郵貯や簡保資金の運用に関して、米国金融機関への割り当てをよこせということになるかもしれません。
③BSE絡みで米国産牛肉は月齢20ヶ月という輸入条件がありますが、その条件の緩和が要求される可能性もあります。
④労働市場の開放によって、ベトナムなどから移民労働を受け入れる問題も出てくる可能性もあります。
まだ分かりませんが、米国が「年次改革要望書」であげる対日要求のどれが出てもおかしくないでしょう。
(金子氏よりの引用終わり。)
こういう次第で、TPPなどが現実化すれば、金を「かすめ取られる」ぐらいでは済まず、「身ぐるみはがされる」のでは?
朝鮮半島への自衛隊派兵の示唆
菅政権が決して「立ち尽くして」いないのは、朝鮮半島情勢についてもいえることだ。
「有事の際は韓国を通って北朝鮮まで自衛隊が出動し、拉致被害者を救出――。菅直人首相は[12月]10日、北朝鮮による拉致被害者家族会との懇談会で、そんな検討に入るとも受け取れる発言をした。」
http://www.asahi.com/politics/update/1210/TKY201012100621.html
さらに翌11日にも同様の発言を繰り返している。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101211/plc1012111737010-n2.htm
このような朝鮮半島への自衛隊投入を示唆する発言は、決して「失言」の類ではない。これもアメリカの戦略、すなわち「日本の菅直人首相にも電話をして、アメリカの太平洋における主要同盟国として、朝鮮問題に対処するアメリカの代理人としての役割を与えるべき」(ブレジンスキー)という戦略に基づいたものだろう。
(これについては、拙稿http://chikyuza.net/archives/5185をご覧いただきたい。)
前原外相が、「日韓同盟を提案した」と受け止められる発言をしたのも、この線上にある話だ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0104&f=politics_0104_015.shtml
ここでも、菅政権は「立ち尽くして」などいない。
ほんらい産経新聞やチャンネル桜が感激すべき「自衛隊の朝鮮半島での戦争」を(実質的に)提起しても、自称『リベラル派』が見捨てないのだから、菅首相はほんとうに『幸せもの』だ。
ほんとうの「政治とカネの問題」とは?
「政治と金の問題」については、田畑氏は小沢の政倫審出席を「前進」と見ているようである。
私にいわせれば、「政治とカネの問題を抱えたオザワ」といった人たちは、ほとんどみな、この言葉を政治の内容を語ることを止めるために使ったのだ。それはともかく、仮に小沢が金権政治家であるとして、小沢を葬れば、「政治とカネの問題」は、カタがつくのか?
ほんとうの「政治と金」の問題は、別のところにあるのではないか?
例えば、なぜ家電や自動車といった大企業の製品ばかりが「エコポイント」の対象となったのか?
なぜ、財政の危機が叫ばれ、一方で消費税の引き上げが提案されながら、ほとんど大企業だけが得をする「法人税減税」が易々と実現するのか?(「雇用の確保」を口実としているが、これで生産拠点の海外移転が減るわけではなし…。)
なぜ、環境問題がCO2問題にすり替わり、プルトニウムを生みだす原子力発電が「環境にやさしい発電」であると宣伝されるのか?
これらこそ『カネ』が政治を動かしている証拠ではないか?
もちろん直接財界が政治家を育成するシステム―「松下政経塾」など―もある。また原発に限らず、大企業は広告を通じて、マスコミに影響力を行使してもいる。(マスコミについては官房機密費の問題もあるが、もちろん「記者クラブメディア」はそんなことに触れはしない。)
しかしもう一つ民主党政権下で大きいのは、大企業労働組合の存在であって、それらは現実には企業に従属している、といっても不適切ではないだろう。したがって日本の政治は、「米国」や「官僚」に大きく左右されていると同時に、企業の『カネ』の力によって二重、三重に拘束されているわけだ。こうした問題こそ本質的な「政治とカネ」の問題ではないか。
尖閣問題で菅政権は何をしたか。
田畑氏は、菅政権の尖閣問題への対応についてつぎのようにいう。
<意図したわけではなかろうが、この事件はああするのが大人の態度であった。ほかにうまい解決策があったようには思えない。>
しかし田畑氏は二つの重大なポイントについて『見落とし』ている。
一つは、菅政権は「尖閣諸島には領土問題は存在しない」という閣議決定を政権発足後の初閣議で行ったこと。この閣議決定をふまえて、前原国土交通大臣(当時)は――アメリカが唆したとも推測される――現実に領土紛争が存在する「尖閣諸島」で逮捕・留置という形で公権力の行使を行った。しかし、これに対する中国のリアクションを考慮してはいなかったため(!)、菅政権はたちまち腰砕けになった。
もう一つ。菅政権が、検察が「外交上の判断をする」という茶番を演じたこと。政治上の判断で、被疑者を釈放する場合、法務大臣が「指揮権発動」を行うというのが、法に沿った対応だ。しかし「政治上の判断」にはとうぜん「政治的な責任」が伴う。この「責任」を回避するために、菅政権は法秩序を無視したわけだ(枝野幹事長代理に至っては「検察の悪意を感じる」とまでいった)。権力が法秩序を無視することの恐ろしさを忘れて、これを「大人の態度」などというのは、少し「おかしい」のではないか。
「首相交代は無駄」か?
田畑氏の論には、まだまだ触れるべき点があるが、最後に一点だけ。
<菅内閣を弁護しているのではない。誰に代えたところでそんなにましな政府はできそうもないと言っているのだ。だとすれば、ここは「政権交代」を仕分けして、ムダを省き・・・>
こういうのは究極の「体制擁護」論だ。誰がやっても同じだから「首相交代」はムダというのなら、「交代はムダ」という言説はもっと「ムダ」ではないか。いや、田畑氏は「首相交代というムダを省く」ことには効用があるという。
<2年目ともなれば、仮免を卒業して多少は運転もうまくなることを期待して、菅内閣をもうすこし使い込んでみてはどうか。>
ここまで来ると――「屁理屈」といえば失礼だろうから――まさに「暴論・珍説」(氏が称する通り)であると申しあげるしかない。
まず仮免許の件。クルマの場合「仮免許」で運転するためには、資格をもった「同乗指導者」が必要であるが、菅首相が「仮免」なら、だれが資格を持った「指導者」なのか。そういうひとがいるなら、そのひとこそが首相になるべきだし、そんなひとがいないのなら、菅政権は「無免許運転」ということになる。いずれにしても、田畑氏から見ても未だ「仮免」しか持たない菅直人(一体何年政治家をやっている?)は、即刻退陣すべきだという結論は避けられない。
しかしこうしたレトリックの破綻以上に、氏の言説が「暴論・珍説」である所以は、なにより氏が「首相交代がムダである」という点にある。たしかに、多くの首相が就任しては、早期に退陣した。主権者から見れば、その度に期待しては、裏切られてきたわけだ。
しかしこうした経験は単にムダだったのか?そうではない。仔細に観れば、この間の政治的な経験の「真実」もアパシーに帰するものではなく、ある内容をもっている。たとえば、主権者は、自民党の個々の首相への失望を通して、最後には自民党そのものへの失望という「内容」を獲得したのだ。
これから民主党が同様の過程をたどっても、全く不思議はないだろう。この先、「大連立」とか、「小沢新党」とか、様々の政治形態が現れるなら、それぞれが経験によって吟味されることにもなるだろう。
「そんなことを言っていると、そのうち政党政治そのものを否定する「ファシズム」が到来する、だからいい加減で『交代』などやめるべきだ」という人がいるかもしれない。
しかし「ファシズム」を招き寄せるものとはなんだろうか。
いま自称『リベラル派』は、「誰に代えたところでそんなにましな政府はできそうもない」と平然と言ってのける。そういう『リベラル派』は、今日も「飢え」や「寒さ」そして「孤独」とは関係のない暮らしをしているのだろう。しかし多くの「日本人」は――この島に住む多くの外国人労働者はもちろん――そうではない。就職できない若者、「ホームレス」になりかかった中年、だれにも頼ることができない「老人」が大勢いる。私には、自称『リベラル派』の――結局のところ体制を擁護する――言説こそ、「ファシズム」を手繰りよせる大きな力であると思えるのだ。
記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0284:110106〕
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