背景を考えること、楽観的に見ること──先週の新聞から(12)
- 2011年 1月 19日
- 時代をみる
- ユーロ圏支援脇野町善造
1月11日の昼過ぎ、この日の閣議後の記者会見で野田財務相がアイルランド支援のための「欧州金融安定化債」を買うことを決めたというニュースに接した。「へぇ―」と思って、Webサイトを覗いてみた。Handelsblatt(HB)がこの件で早速長文の記事を載せていた。それに対して日本の新聞では、日経と毎日、そして読売は、財務相の発表を短文で伝えていただけ。朝日に至っては、前日10日のパリでの玉木林太郎財務官の発言(「日本政府はユーロ圏支援に向け、ユーロ圏国債の買い入れを検討する可能性がある」)をロイター電を引く形で載せていただけであった。
読売は「欧州では今後もポルトガルやスペインに財政危機が飛び火する可能性がささやかれ、円はユーロに対して高値で推移しており、日本企業の国際競争力を損ねる一因となっている。そのため、日本としても一層の支援に踏み切る必要があると判断した」と報じた。これは政府の見解を報じただけのことである。帰りがけ、何年振りかで日経の夕刊を読んだ。夕刊ではこの記事はトップニュースであった。その日経も、日本政府の支援は金融不安の拡大を食い止め、急激な円高を防ぐ狙いだとする。読売と同じである。2紙に揃ってそう言われると、一見妥当な「解釈」のようにも思えてくる。
もっとも日経の夕刊には、中国が既にギリシャやスペインの国債購入によってユーロ圏への支援を鮮明にしているとし、今回の決定で、「欧州支援で日本と中国が競い合う形になる」という、現象だけをなぞったような、いささか理解しがたい文章もある。この中国による欧州支援に関しては、10日のZeit-onlineが1月5日発行のペーパー版のZeitを転載している。中国は自分の利益のためにヨーロッパを支援しようとしているというシニカルな記事である。中国がユーロ圏諸国を支援しようとするのは、中国が保有している大量のユーロ建て国債の価格の下落を阻止し、中国にとっては第二の輸出先であるユーロ圏の経済の崩壊を食い止めるためであり、あくまでも自国の利害から出たものだとする。多分それが本当であろう。こうした背景抜きに、「欧州支援で日本と中国が競い合う形になる」と書くのは、読み手を眩惑させることになるだけであろう。
HBは、上記の野田大臣の声明を「欧州支援」だなどとはしない。それをヨーロッパの通貨危機のアジアへの波及と見る。そして、ユーロ圏国債の買い入れによって、金融不安の拡大が食い止められるというような報告も見当たらない。むしろ、アジアの株式市場は下落せざるを得ないだろうし、輸出企業は狼狽しているとする。そして、キャノンや日本板硝子の株価の下落等を報じている。HBは日本のユーロ圏国債の購入によるユーロと円の為替相場に与える短期的な影響よりも、ユーロの危機脱出のために、日本をはじめとする圏域外の諸国の力を借りなければならなくなったことの意味を重く見ているのかもしれない。
HBの報告からは、ユーロ圏国債の購入が単純に「日本企業の国際競争力」の改善に向かうのではなさそうだということになる。そういう見方もあることは、残念ながら日本の新聞からは分からない。12日のWall Street Journal(WSJ) は「EUによる救済、危機感染は止まらず」という社説を載せている。野田財務相の声明を考慮しての記事かどうかははっきりしないが(社説の中ではこの声明には全く触れられていない)金融支援では危機に陥っている国の財政を再建することは困難であるとする。危機がささやかれているポルトガルを例に挙げて、「同国経済を成長軌道に戻す信頼できるプランがなければ、ポルトガル救済はほぼ確実になるだろう。(しかし)これはポルトガル経済には何の効果もない」とする。それが事実だとすれば、日本によるユーロ圏国債の購入もまた、多分金融不安の拡大の防止にはほとんど役に立たないということになる。
こうした「解釈」を載せることがジャーナリズムの本質的課題の一つであると思うが、日本政府によるユーロ圏国債の購入を巡る日本の新聞にはそういう「解釈」はない。これをどう理解すればいいのか。また、この事件を11日の夕刊でも翌12日朝刊の紙面でも完全に黙殺した朝日のほうが、むしろ、それによって野田財務相の声明に対する一つの解釈を暗示したと理解すべきなのであろうか。
1月13日のGuardian は「フランスのフィヨン首相がイギリスのキャメロン首相にユーロ支援を要請した」と報じた。フィヨン首相はイギリスの経済政策を持ち上げる一方で、ユーロ圏はイギリスの輸出の半分を占めていて、その安定性を確保することはイギリスにとっても極めて重要な問題であるとくぎを刺す。政権与党である保守党の内部にユーロの解体を主張する動きのあることを知っての発言であろう。Guardianは、フィヨン首相の夫人はウェールズ出身で、同首相はフランスでも最も親イギリス的政治家だとし、だから、同首相の発言はイギリスにとっては重い意味があるとするのだが、日ごろのGuardianらしくない、奥歯に物が挟まったような記事である。Guardianはフィヨン首相が「主権と経済的独立性を確保するための唯一の責任ある選択は予算を規律あるものにすることだ」と語ったことを紹介するが、それが言いたかったのであろうか。
もしそうであるならば、国債の入札がうまく行ったことで、危機は乗り切ったと浮かれているスペインやポルトガルは全く話にならない。前号(11便)で陽気なラテン民族の国スペインにもペシムズムが広がっているという調査結果を紹介した。1月5日にそれを報じた El País だが、同紙は、1月13日には、「ユーロ圏は信用危機の重要な一週間を成功のうちに乗り切った」と上機嫌に報じている。心配された国債の入札に想像していた以上の応募があり、うまくさばけたことで、政府にも市場にも楽観ムードが漂っている。そのこともあってか、政府首脳からは、「スペインは援助は必要としない」という発言が繰り返されている。借金ができたことでここまで浮かれることができるものかと思うが、これがラテンの陽気さというものであろうか。上述の1月12日のWSJの社説がいうように、金融支援だけでは財政再建は困難である。借金ができたこともまた財政再建には何の意味もない。実際、借金はできたものの、その条件(金利)は以前よりも悪化している。El Paísは、その一方でドイツ国債との金利差が縮小したことを好意的に伝えるが、それはドイツ国債についても市場の見方が厳しくなったことを意味するとも言える。
1月13日のGuardianが伝えるフィヨン・フランス首相の発言(予算を規律あるものにすることが唯一の責任ある選択)はやはり重い。その予算規律に関してはEl Paísは一言も触れていない。それを言い出したら、楽観的気分は一気に吹っ飛ぶはずなのだが、「楽観的に考えようが、悲観的に見ようが、現実は変わらない。それならば、いやなことは考えない方がいい」、というのがEl Paísの、というよりはスペイン人の姿勢かもしれない。そんなことを言うと、スペイン人からは「税収よりも借金の方が多いという予算編成を数年にわたって見ながら、大した騒ぎにもならない極東の島国の人間の言えた義理か」という批判が飛んできそうだ。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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