潘基文(パンギムン)国連事務総長 西サハラ難民キャンプ、アルジェ、ベルリン
- 2016年 3月 9日
- 評論・紹介・意見
- サハラ平田伊都子潘基文難民
敬愛する隣国韓国の国連事務総長はいまいち評判がよくない、、かねがね、やっかみに過ぎないと思っていた筆者は、反論の機会を狙っていました。 そして、そのやっかみを吹飛ばす好機がきました。 2016年3月5日の朝、パン・ギムン国連事務総長は難民との約束を守って、西サハラ難民キャンプを国連事務総長として初訪問したのです。 そして、、
西サハラ難民キャンプ訪問 :
西サハラの隣国、モーリタニアから飛んできた国連専用ヘリコプターが、アルジェリア最西端にあるティンドゥフ飛行場に着陸した。降り立った国連事務総長ご一行は、パン・ギムン国連事務総長と、クリストファー・ロス国連事務総長個人特使、キム・ボルドクMINURSO(国連西サハラ住民投票監視団)特使など、西サハラ問題を担当する国連の高官たちだ。
一行は空港から直接、80キロ離れたスマラと名付けられた難民キャンプに入った。国連底一行を出迎えた、数千人の西サハラ難民から熱烈な歓迎を受けた。難民たちは「この長期にわたる紛争を解決する最良の策は、国連住民投票だ。約束した国連に施行の責任があるのは明白だ。我々は国連の作業延滞にうんざりしている」と、国連事務総長に訴えた。そして、「西サハラ人の民俗自決権要求、占領当局による人権侵害反対、占領当局による西サハラ天然資源略奪反対、」と、第14回民族大会で決定したスローガンを、パン・ギムン国連事務総長に提出した。一行の接待係はモハンマド・ハッダードMINURSO西サハラ側交渉団員、ハマ・サラマ内務大臣、そしてスマラ難民キャンプ代表などで、一行はUNICEF(国連児童基金)が創った小学校に案内された。このスマラ難民キャンプには6万人が住んでいる。その他、同じ規模の難民キャンプが4つ、サハラ砂漠に点在している。
キャンプ訪問の後、パン・ギムン国連事務総長は予定通り、ラボニ西サハラ難民センターでアブデル・アジズ西サハラ難民政府大統領兼ポリサリオ戦線書記長との会談に臨んだ。
2016年3月5日の夕方(日本時間3月6日の早朝)、
ご一行はラボニ西サハラ難民センターから約150キロ砂漠に入った ビル・ラハルに飛んだ。ビル・ラハルとは、甘い井戸という意味のアラビア語で、名前の通り、地下水のある小さいオアシスだ。1991年、国連が西サハラ住民投票を提案してモロッコと西サハラ・ポリサリオ戦線が停戦した直後、モロッコはビル・ラハルを空爆し、井戸に毒薬をばら撒いた。
その後、ビル・ラハルに泥小屋の基地を建てた西サハラ難民政府は、モロッコの妨害を避けるため、電気も電話もないこの奥深い砂漠で作戦を練っている。
国連事務総長ご一行の接待係は、アハメド・ブハリ西サハラ難民政府の国連代表とビル・ラハル難民軍幹部が務めた。
左、アジズ西サハラ難民政府大統領、右、パン・ギムン国連事務総長
パン・ギムン国連事務総長の記者会見 :
当初、モロッコ入りを予定して、国連政治局アフリカ第2課は3月17日まで西サハラ地域視察スケジュールを組んでいたのだが、モロッコから訪問を拒絶された。2012年以来、国連主導の和平工作を頑なに拒否し続けるモロッコは、今回も国連事務総長のモロッコとモロッコ占領地・西サハラの視察を断った。そこでご一行は、西サハラ難民キャンプの後、アルジェリアの首都・アルジェに飛んだ。
アルジェの記者会見でパン・ギムン国連事務総長は、「私は、西サハラ難民キャンプから直接アルジェに入った。私はこの目で、西サハラ難民キャンプの実情を見た。1975年、モロッコに祖国を占領されて以来、西サハラの人々は想像を絶する苦難な生活を強いられている。西サハラの人々には、人間の尊厳と民族自決権がある。国際社会はもっとこの人々に、注視し行動を起こさなければならない。
40年前に難民キャンプで生まれた子供が、今も難民キャンプで生活しているということは、同じ地球に住む者として見過ごすわけにはいかない。メデイアのヘッドラインを飾る紛争や事件のみを、国際社会は追いかける。その一方で西サハラの人々のような、何百万という不幸な人々が無視されている、、悔やまれてならない。国際社会が怠ってきた西サハラ紛争の解決に向け早急に行動を起こすことを、私は、西サハラ難民キャンプの人々に約束してきた」と、国連のトップは熱く語った。
パン・ギムンという人 :
パン・ギムンは1944年6月13日、韓国忠清北道陰城郡遠南面上唐里杏峙村で生まれ、
忠州市近くの町で育ったが、父の働いていた店が倒産し、苦学してソウル大学外交学科を卒業した。1970年2月、卒業と同時に外交官試験に合格して、外交官の道に入る。その後、各国の大使館勤めを重ね、2004年1月に韓国外交通商部長官(外務大臣)に任命される。
2006年10月14日、国連事務総長に当選する。2007年1月1日から5年間、事務総長職を務める。2011年、国連加盟国192カ国の全会一致で再び国連事務総長に選ばれ、現在に至っている。
2015年12月14日、ニューヨークで開かれた国連報道協会の忘年会で、プライベート・ビデオを流した。一日の睡眠時間は2時間未満(マジ?)、食事やトイレの最中も事務を行い、スーツのまま就寝するという、苛酷な事務総長ライフを紹介したそうだ。
上司にへつらう「イエスマン」、「米国べったり」、「本音を出さず、無色無臭で生き残った」等と、パンさんの評判は悪い。が、会ったことはないけど、そんな柔い人ではないと思う。パンさんは、乾布摩擦を頑固に毎朝欠かさない隣のお父さん(73才)にそっくり、、モロッコ国王必死の妨害にも拘らず、パンさんは難民との約束を死守した強者だ。
「抗日戦争勝利70周年」の記念式典にパン・ギムン国連事務総長が出席した時、日本は「国連は中立的な姿勢を示すべきだ」と、抗議した。これに対しパンさんは、「<国連は中立>という誤解があるが、国連は中立でなく公平・公正な機関である」と反論した。その通り!
フォーリンポリシー(アメリカ外交専門誌)は、「人権擁護者として活動するどころか、難民を助けようともしない」と酷評した。とんでもない、パンさんは忘れられた難民に手を差し伸べ、国連初の<世界人道サミット>を2016年5月23日、24日にトルコのイスタンブールで開催する。
見事なパン国連事務総長の筋が通った働きぶりに、早くも2016年ノーベル平和賞候補の呼び名も高い、、オット!すみません、ひいきの引き倒しかな?、、
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5950:160309〕
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