皇室典範を国会で改正して、女性天皇を認めてはどうだろうか。
- 2016年 3月 24日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
3月7日、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、日本政府に対する女性差別是正の勧告を含む「最終見解」を公表した。この報告書ドラフトの最終段階まで、「皇位を男系男子に限っているのは女性差別に当たるのだから、皇室典範を改正して差別をなくするよう求める」勧告が盛り込まれていたという。最終見解に盛り込まれていれば、世界の良識が天皇制をどう見ているのかを、日本の国民が知ることになったろう。所与のものでしかなかった天皇制のあり方が、実は国会の議論を通じて国民自身の意思で変更できるのだという、当たり前のことに気が付くきっかけになったのではないだろうか。
いったい、どうして最終段階ではこのドラフトが撤回されたのだろうか。いつか内情を知りたい。そして、今回は見送られたが、いずれしっかりした「勧告」がなされることを期待したい。
政府や自民党、右翼筋は、まったく逆なことを考えているようだ。3月14日の参院予算委員会で、この点に関わる若干の質疑があった。質問者は、右翼筋との関係深い山谷えり子である。
○山谷えり子 自由民主党、山谷えり子でございます。
国連女子差別撤廃委員会で、先頃、日本に対する最終報告案の中に、皇室典範改正を求める勧告が盛り込まれようとしておりました。皇位継承権が男系男子の皇族にしかないという、女性差別ではないかという勧告が盛り込まれようとしたんですけれども、皇室典範改正まで言及するというのは内政干渉でもありますし、また日本の国柄、伝統に対する無理解というのもあろうかと思います。外務省は、しっかりと抗議をして、説明をして、最終的な文章からはそれが削除をされましたけれども、日本の正しい姿を更に戦略的に対外発信していくということが大切ではないかと思います。
安倍内閣になりましてからは、昨年度、国際的な広報予算五百億円上積みをいたしまして、来年度の予算も七百三十億円取っております。この国際広報体制の在り方について、総理はどのようにお考えでございましょうか。
○安倍晋三 国際広報体制についての御下問でございますが、言わば日本の真の姿をしっかりと諸外国に理解をしていく上において、また日本の伝統文化、また日本が進めようとしている政策について正しい理解を得るために広報活動を展開をしていく必要があると、このように考えております。
我が国の皇室制度も諸外国の王室制度も、それぞれの国の歴史や伝統があり、そうしたものを背景に国民の支持を得て今日に至っているものであり、そもそも我が国の皇位継承の在り方は、条約の言う女子に対する差別を目的とするものではないことは明らかであります。委員会が我が国の皇室典範について取り上げることは、全く適当ではありません。また、皇室典範が、今回の審査プロセスにおいて一切取り上げられなかったにもかかわらず、最終見解において取り上げることは手続上も問題があると、こう考えております。
こうした考え方について、我が方ジュネーブ代表部から女子差別撤廃委員会側に対し、説明し、皇室典範に関する記述を削除するよう強く申し入れた結果、最終見解から皇室典範への言及が削除されました。
我が国としては、今回のような事案が二度と発生しないよう、また我が国の歴史や文化について正しい認識を持つよう、女子差別撤廃委員会を始めとする国連及び各種委員会に対し、あらゆる機会を捉えて働きかけをしていきたいと考えております。
典型的な狎れ合い質疑であって緊張感を欠くこと甚だしい。緊張感を欠く中での問題質問であり問題答弁である。首相と与党議員が、こんなレベルでしか「女性差別撤廃条約」の理解をしていないということが大きな問題なのだ。
山谷は、「皇室典範改正を求める勧告は内政干渉だ」という。「日本の国柄、伝統に対する無理解」という言い回しで、国連の勧告を拒否する姿勢を露わにしている。人権の普遍性を認めないいくつかの後進国とまったく同じ姿勢で、滑稽の極みというほかはない。
安倍も呼吸を合わせて、いかにも安倍らしく「日本の伝統文化」については、国連にはものを言わせないという姿勢。
しかし、日本が締結し批准もした「女性差別撤廃条約」は、すべての締約国のあらゆる部門において、男女差別を容認している「傳統・文化」を是正しようとしているのだ。「我が国の傳統・文化に対する無理解」ということ自体が筋違いも甚だしい。
したがって、「伝統に基づく文化としての女性差別が国民の支持を得ている」ことも、国連の勧告を拒否する理由にはなりえない。多くの場合、女性差別は伝統や文化として定着し、国民多数派の支持を得ているからこそ頑迷固陋でやっかいなのだ。それなればこそ、国連や国際社会が是正に乗り出す意味があるのだ。
「そもそも我が国の皇位継承の在り方は、条約の言う女子に対する差別を目的とするものではない」というのもまったくおかしい。安倍は、条約は「女子に対する差別を目的する」制度や傳統・文化だけを問題にしている、と理解しているのではないか。明らかに間違いである。
究極の問題点は、「我が国の歴史や文化について正しい認識を持つよう国連」に働きかけるという点である。国連や国際社会の見解に耳を傾けようというのではなく、「我が国の歴史や文化」を正しく認識せよ、とは独善性の極み、思い上がりも甚だしい。
女性差別撤廃条約(正式名称は、「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」)の一部を抜粋しておこう。
「この条約の締約国は、国際連合憲章が基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の権利の平等に関する信念を改めて確認していることに留意し、
世界人権宣言が、差別は容認することができないものであるとの原則を確認していること、並びにすべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳及び権利について平等であること並びにすべての人は性による差別その他のいかなる差別もなしに同宣言に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明していることに留意し、
人権に関する国際規約の締約国がすべての経済的、社会的、文化的、市民的及び政治的権利の享有について男女に平等の権利を確保する義務を負つていることに留意し、
しかしながら、これらの種々の文書にもかかわらず女子に対する差別が依然として広範に存在していることを憂慮し、
女子に対する差別は、権利の平等の原則及び人間の尊厳の尊重の原則に反するものであり、女子が男子と平等の条件で自国の政治的、社会的、経済的及び文化的活動に参加する上で障害となるものであり、社会及び家族の繁栄の増進を阻害するものであり、また、女子の潜在能力を自国及び人類に役立てるために完全に開発することを一層困難にするものであることを想起し、
衡平及び正義に基づく新たな国際経済秩序の確立が男女の平等の促進に大きく貢献することを確信し、
国の完全な発展、世界の福祉及び理想とする平和は、あらゆる分野において女子が男子と平等の条件で最大限に参加することを必要としていることを確信し、
社会及び家庭における男子の伝統的役割を女子の役割とともに変更することが男女の完全な平等の達成に必要であることを認識し、
女子に対する差別の撤廃に関する宣言に掲げられている諸原則を実施すること及びこのために女子に対するあらゆる形態の差別を撤廃するための必要な措置をとることを決意して、
次のとおり協定した。
第一条 この条約の適用上、「女子に対する差別」とは、性に基づく区別、排除又は制限であつて、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう。
第二条 締約国は、女子に対するあらゆる形態の差別を非難し、女子に対する差別を撤廃する政策をすべての適当な手段により、かつ、遅滞なく追求することに合意し、及びこのため次のことを約束する。
(a)男女の平等の原則が自国の憲法その他の適当な法令に組み入れられていない場合にはこれを定め、かつ、男女の平等の原則の実際的な実現を法律その他の適当な手段により確保すること。
(b)女子に対するすべての差別を禁止する適当な立法その他の措置(適当な場合には制裁を含む。)をとること。
(c)女子の権利の法的な保護を男子との平等を基礎として確立し、かつ、権限のある自国の裁判所その他の公の機関を通じて差別となるいかなる行為からも女子を効果的に保護することを確保すること。
(d)女子に対する差別となるいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの義務に従つて行動することを確保すること。
(e)個人、団体又は企業による女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとること。
(f)女子に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。
(g)女子に対する差別となる自国のすべての刑罰規定を廃止すること。
第三条 締約国は、あらゆる分野、特に、政治的、社会的、経済的及び文化的分野において、女子に対して男子との平等を基礎として人権及び基本的自由を行使し及び享有することを保障することを目的として、女子の完全な能力開発及び向上を確保するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとる。
以上のとおり、この条約は、あらゆる場面での女性差別撤廃という観点から、各締約国の、憲法にも法律にも切り込むことを任務としている。そのことを承知で、日本も締結しているのだ。内政干渉という非難は筋違いである。
また、第1条に「女子に対する差別」の定義がある。
皇位の承継が男系男子に限られ、女子が皇位を継承できないのは、「社会的、文化的分野」における、「性に基づく区別、排除又は制限」であることは自明である。しかも、象徴とされた天皇が男性に限られ、天皇の子として生まれても、女性は皇位の承継から排除されている現状は、国民意識に男尊女卑の遺風を残存させることに影響は大きい。
仮に、皇室典範の立法者である国会に、典範作成の目的が女性差別にはないとしても、国民意識に男尊女卑の遺風を刷り込む、その効果さえあれば、「是正されるべき女性差別」なのである。
「女性は天皇になれない、これは女性差別だ」。女性差別撤廃委員会(CEDAW)はそう考えて、差別を是正するよう勧告案を起草したのだ。今回は手続的な不備があったのかも知れない。今回は撤回となったが、次の機会にはこの勧告が現実のものとなり、さらには国会の審議で皇室典範の改正が実現することを望む。
私は、天皇制不要論者である。だが、現行憲法に天皇の存在が明記されている以上は、天皇制廃棄は将来の課題でしかない。天皇制打倒が喫緊の課題とは思われない、そのような時代に、女性天皇はあってもよいではないか。皇室典範は不磨の大典ではないのだ。国会の過半数の賛成で皇位承継のルール変更は可能なのだ。そのようにして女性天皇が就任すれば、性差に関する国民意識を大きく変えることになるだろう。女性差別撤廃委員会(CEDAW)の慧眼に敬意を表したい。
(2016年3月23日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.03.23より許可を得て転載
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