異論なマルクス 宇野「原論」索引Bの意義 岩波文庫版刊行に寄せて
- 2016年 4月 8日
- スタディルーム
- ブルマン!だよね
先般一月に宇野弘蔵「経済原論」が岩波文庫から刊行され、これで「恐慌論」とあわせ宇野の代表的論考二著が文庫本化されたことになる。わが暗黒面の師、竹内靖雄によれば中野正は一流の学者たるものは後世に残るべき代表作として生涯に3冊は著すべきという「生涯三作主義」を折に触れ唱えられたそうだが1)、宇野のあと一作があるのかと言えば、それは「経済政策論」であるとするに異論はなさそうではある。が、20世紀初頭の帝国主義なかんづく、ドイツ金融資本をもって、資本主義の世界史的な没落期を代表するものとして、「これにて打ち止め」的規定は余りにもおざなり、第一次世界大戦後のアメリカを中心国として再編された世界資本主義の1970年代初頭にまで至る過程を「新たな段階規定をなすものとは考えられない」として正面からの考究を避けてしまうことにつながり、筆者としては、文庫本として刊行するか否かは別として、代表作に推すのはためらわれる。むしろ「価値論」あたりが、時を越えた魅力を失っていないのかもしれない。
1)中野正著作集第一巻「価値形態論」 解題P451 なおその中野正にしてどうだろう
か。あと一作ならば無論「産業循環論」をあげてよいのではないか。流通労働に関
するユニークな見解が提示されていて、現在こそ読まれるべき論考だろう。
で、その文庫版「原論」なのだが、本体は原本の岩波全書版そのもので、筆者は当然そっちを所持している行きがかりから、字体の一段と小さいこちらの購入はためらわれたが、伊藤誠の解説が付されているのにいささかの引っ掛かりを覚えて、おもわず「プチ」としてしまった次第。伊藤の解説自体には一言も二言も言いがかりを付けたいところで、例えば空前絶後の大著間違いなしの「資本論」を、10分の1以下にまとめたコンパクトな入門書として好個のものだという評価など、マルクス内在派からすれば「資本論」の真髄である物神性論を一切切り捨てた、たんなる「経済理論」であると直ちに異論が出されるだろうし、そもそも伊藤自身が現代資本主義の格差貧困、失業などが市場の赤裸々な作用の発現だとして、だからこそ「原論」を今読む意義があるとしているのにもかかわらず、当の著作にはそういう諸問題は一切捨象されていて、宇野はそうした問題は原理的には解けない、「資本論」の書かれた時代の特異性だとしていたのだから、何か大きな齟齬があるようにも思える。
そうではあるのだが、その解説の「二 宇野原論の独創性」(文庫版P254-255)で
巻末検索Bに著者は、「本書で採りあげた『資本論』における問題点」として二四の事項
をその該当ページとともに提示している。それらの論点は、それぞれに宇野が生涯を通じて取り組んでいた『資本論』研究の独自の成果であって、それぞれになお熟考に値する。
という一文を目にして、えっとばかり不意を衝かれてしまった。全く不覚ではあるが、「索引B?Was ist das?」状態に陥ったのである。大体にしてそういわれてあたりのページをめくっても見当たらない。なんとその解説のさらに後に置かれている索引Aとの間に1ページだけ割かれてそれは配列されているのだ。これは伊藤に指摘されるまで、今まで全く気づかなかった。恐れ入りました。さらに驚くのはもちろんその中身で、以下煩雑をいとわずそのまま引用してみると、
B 本書で採りあげた『資本論』における問題点
価値実体論 25
価値形態論 31,34
貨幣形態 37
「商品の変態」 49
労働の二重性 62
価値法則の論証方法 66-70
資本の流通過程論の方法について 95-7
資本主義に特有なる人口法則の展開について 121-2
いわゆる窮乏化法則 125-6
商業利潤論の位置 153
利子論と商業利潤論との関係 153
市場価値論 175
特別剰余価値の源泉としての「強められた労働」 181-2
利潤率の傾向的低落の法則に反する諸要因について 184
恐慌の根拠としての資本主義の矛盾について 187-90
資本の過剰の解消の仕方について 189-90
生活水準の歴史的規定 190
土地私有制と資本主義 193-5
「競争論」の問題 211-2
手形割引に関するマルクス、エンゲルスの見解 216-8
利子論における資本の商品化と貨幣の商品化との同一視 220
利子論の前提としての「貨幣資本家」と機能資本家 220-2
商業資本論と利子付資本論との関連 227
社会主義の必然性の論証について 244-6
となっているが、さすがである。このコンパクトな著作の中に確かに「資本論」の急所難所ともなっている点が見事に凝縮されて列挙されている。これらの一点一点をモノグラフ的に考察しても本格的な論考を要するのは、判る者には直ちに判るくらいなものだが、そういう深い論点を一冊の「原論」に盛り込んでいるのだから、そこからしてもドッコイ中々簡単に「資本論」の入門書とは行かない、「素人さんお断り」的な世界が垣間見えてこようというものではないか。伊藤自身が例えば、「商業資本論と利子付資本論との関連」についての宇野の見解を、論理的思考の極致とも言うべき境地において読解論評しているほどである。2)
2)セミナー経済学教室1 鈴木鴻一郎編「マルクス経済学」日本評論社 1974年 所
収「株式資本」参照のこと
先に指摘した、格差・窮乏化、失業などは「人口法則」「窮乏化法則」「生活水準の歴史的規定」で原理的にはどう扱うべきかが明快に述べられているが、基調は「原論」は純粋資本主義社会3)を対象とした、「永遠に繰り返すがごとき」調和的な均衡論であるべしという観点で一貫している。
3)「純粋資本主義」ではなく必ず「社会」を伴っていることに注意。理由は「経済原
則」と「経済法則」の区別と連関に関わっている。これ以上は自分でお考えくらはい。
はっきり言って、この24の事項すべてによどみなく資本論と宇野の論点を対比した上で、自己の見解を披瀝できたら、原理論でblack-belt皆伝となるのは保証してもよい。さてさて、この国でそれが果たして何人いるのか、片手に届くか否か・・・・
「永遠に繰り返すがごとき」調和的均衡論の世界を宇野「原論」は厳しい論理を極めつつ描き切っている。その限りでは「資本論」のように資本の労働者階級に対する搾取抑圧の諸相をこれでもかとばかりおっかぶせてくるような迫真力のある書物では決してないが、資本主義の運動法則とは何かを根本から考究するには、まずは取り掛からなくてはならない関門であることは間違いない。
変革のアソシエで、解説者伊藤による「宇野弘蔵『経済原論』と現代世界」と題して、5月11日から月一で講座が持たれることが、下記URLで告知されているので、乾いた論理の合間に垣間見える、底知れず深い論点をいささかでも汲み取ろうという有徳の方は、ぜひとも参加されるとよいだろう。
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〔study724:160408〕
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