日の丸とエジプト国旗(2) -読者のコメントに触発されて-
- 2011年 2月 26日
- 評論・紹介・意見
- 信条の自由半澤健市思想の自由日の丸
有り難いことに「日の丸とエジプト国旗」(2月18日)に対して読者から多くのコメントをいただいた。それに触発されて再考し確認したことを次に掲げる。おおむね繰り返しになった。
《国旗への感情移入は自然だろうか》
国旗に対する人々の抱く感情は好意的であるという指摘が多い。そのこと自体も好意的に受け取られている。その通りであろう。その事実を私も認める。しかし「そうなんだよな」だけでよいか。留意すべきことが三点ほどあると思う。
一つは、自然な感情といってもそれは造られた感情であるということである。
国旗は近代国民国家という「想像の共同体」の一要素でありすぐれて人工的な作物である。「日の丸」のようにデザインが不変な国旗は例外ではないかと思う。たとえばドイツ国旗と比較をしてみればよい。ウィキペディアを見ると十数種のドイツ国旗が現れる。ナチス時代の「ハーケンクロイツ(鈎十字)」は完全に廃止されている。「大東亜共栄圏」時代のアジアの人々―日本人を除く―から見れば、それは日本版「ハーケンクロイツ」に見えたであろうと私はいったのである。
彼らにとって愉快ではなかっただろうといったのである。それは日本人にとっても愉快なことではない。しかし愉快でない原因を考えないで問題を国旗一般への敬意に飛躍するのは歴史認識を欠いている。歴史認識を欠いているから、未だに「歴史認識」が外交上の大きな問題になるのである。
二つは、にも拘わらず、「造られた感情」であっても「人工的な作物」が人々の情念に訴える力は極めて強いことである。これはいくら強調してもし過ぎることはない。その上、そういう感情の強弱で愛国の度合いが試されるという仕掛けになっているのである。
《社会主義者にとっての日の丸》
たまたま清沢冽(きよさわ・きよし、1890~1945)の文章を読んでいたら次の一節に出会った。清沢は戦前に活躍したリベラルなジャーナリストである。このくだりに続けて清沢は共産主義者片山潜についても同じことがあったと書いている。
▼一体日本人と生まれて本当に国家のためを思わないものがあるかどうかという問題であります。石川三四郎という社会主義者があります。/木下尚江さんとか、安部磯雄さんと一緒に社会運動の初めの頃運動をした人でありまして、その後この人が一番左の方へ寄りまして、いろいろな圧迫があってヨーロッパへ逃げていった。/欧州に行って暫く田舎におったが、どうも日本人というものが懐かしくてたまらぬ。或る時に久しぶりで日本の大使館のある処へ行った。その上にへんぽんとして翻える日本の国旗を見た時に、自分はたただ泣けた。懐しい。西洋人の間におって日本人の顔も見なくて淋しい。故国に満腔の不平をいだいて外国へ漂浪したその人が、日本の国旗を見た時に涙が出て仕方がなかったというのです。(『混迷時代の生活態度』、1935年【註】)
《「であること」と「であるべきこと」》
三つは、しかし、そういう感情移入はすなわち「正しい」とも「価値がある」ともいえないということである。「であること」と「であるべきこと」とは違うのである。
感情移入が、個人の自由に任されている限りでは問題は生じない。
しかしその「限り」が破られたときに、自由の問題は個人の内面に達する。「思想の自由」、「信条の自由」の問題になるのである。
東京都による国歌斉唱の強要は、教員と東京都の国旗争奪戦は結着していることを示している。国歌は自明の前提であり、それを拒否することの是非が問われているのである。
日常においても政治においても、「形式」はしばしば「内容」を規定する。
私は子供時代にバスが宮城(皇居の旧称)の前を通る時、頭を下げさせられたことを覚えている。戦前・戦中には公式の席で「畏(おそ)れ多くも」という言葉が発せられると座の人々は「直立不動」の姿勢を取った。そのあとに「天皇陛下」という単語が続くからである。その実態を、若い人たちは、戦後の反戦映画でも見て知って欲しい。「日の丸を掲げたからといって生徒たちに何の影響も持たないのであるから、いくらでも踏み絵を見せればよい」などという話ではないのである。
《「問答無用」の精神構造とどこが違うのか》
1936年2月26日に起きた陸軍青年将校たちのクーデターは失敗したのであろうか。天皇親政による「昭和維新」は実現しなかったという意味では失敗といえるであろう。その四年前の5月15日には、海軍の青年将校たちが犬養毅首相を「問答無用」といって射殺した。226は515の続きである。
国歌斉唱の強要と「問答無用」は同じ精神構造に発すると私は思っている。
時代の風景は瞬時に変わることを忘れてはならない。
【註】『清沢冽評論集』(山本義彦編、岩波文庫、02年)の264~266頁
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