無給の司法修習制度は、苦学生を閉め出すことになる
- 2016年 12月 22日
- 時代をみる
- 澤藤統一郎
わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く
よく知られたこの啄木の歌。詩的な情緒に欠けて無味乾燥ではあるが、この世の真理を衝いている。自分の身に当て嵌めて思い当たる。私の抱く思想も、すべて金なきに因して形づくられた。金あるものは金あるにふさわしい考えを、金なきものは金なきが故の思想を抱くのが、世の常ではないか。
私は、典型的な苦学生だった。その苦学生に、法曹は魅力的な進路だった。司法試験の受験資格は誰にも開かれている。法学部の学生ではなかった私も受験に差し支えはなかった。これに合格すれば、司法修習生として採用され、給与を得ながらの修習ができる。その身分は、準公務員である。修習専念義務を課せられるが、その見返りに定額の給与を保障されて、みっちり2年間、法曹としての見習いができるのだ。
費用のハードルを意識することなく、苦学生だった私は司法修習生となり、修習終了時に弁護士への途を選択して職業生活を開始することになった。こうして、金なきに因して形づくられた思想を抱いたまま私は弁護士となることができた。今は昔の話である。
金なきに因した思想を抱いた若者を法曹にさせたくないとすれば、法曹資格の取得までに多額の金がかかるような制度設計をすればよい。そうすれば、金のない苦学生などは、費用のハードルに足をすくわれてゴールできなくなる。法曹界への「悪い思想」侵入に対する防御策となり得る。
制度設計の意図はいざ知らず、現在の法曹養成の制度は、貧乏学生を閉め出すものとなっている。そもそも苦学生は、法曹を目指す意欲をもてないだろう。私も、今の制度では弁護士を目指さなかった。仮にその意欲あっても、実現できたとは思えない。
今、法曹を志す者は、大学卒業後に法科大学院での2年ないし3年の就学を必要とする。もちろんこの間の学費の支払いが必要である。司法試験に合格さえすれば給料がもらえたのが昔の話。今は、法科大学院の入学試験に合格すれば、学費を支払わねばならない。
法科大学院を卒業すれば、司法試験の受験資格を得ることができる。首尾よく司法試験に合格して司法修習生となっても給与はない。修習専念義務だけがあって、アルバイトは禁止だが、生活費の保障はない。希望者に生活費の貸与はあるが、当然借金となり返還の義務を負うことになる。
貧乏学生は、「学部時代の奨学金」「法科大学院での奨学金」、そして「司法修習時代の貸与金」返済の債務を背負って職業生活を始めることになる。その額1000万円を超える者もいるという。債務弁済のために、若手の弁護士が金の儲かる割のよい仕事を漁ることにもなり得よう。
司法修習が無給になったのは、2011年からである。私はこの制度変更は、法曹の性格と修習生の意識を変えたと思う。それまで、裁判実務に携わる法曹(裁判官・検察官・弁護士)とは、公的な理念に支えられ、公費で養成されるにふさわしい使命を持った職業と位置づけられていた。司法修習生には、自ずからその自覚が求められた。
ところが、2011年以来、司法修習生の給費制度が廃止されるや、弁護士はビジネスになった。人権擁護と社会正義を擁護する使命はかたちだけのものとなり、司法修習生の意識も、「弁護士となって高給を食み、弁護士になるまでのコストを回収しなけばならない」と変わった。
だから、日弁連も、心ある市民も、司法修習の給費制復活を願った。ことは、けっして法曹志望者に酷だからというにとどまらない。国民の権利擁護に直接携わる実務法律家の質や意識に関わる問題なのだ。法曹の出身階層を、一定以上の経済的地位にある者に限定して、経済的に困窮の立場にある階層を閉め出すことの問題性は明らかではないか。
この問題に、ようやく明るさが見えてきた。一昨日(12月19日)、来年の司法試験合格者から「給費制」を事実上復活することを法務省が発表した。現在の案では、月額に一律13万5000円を支給し、アパートなどを借りる必要がある修習生に対しては、住居費として月額3万5000円を上積みするという。制度導入にあたり必要となる裁判所法改正案を、来年(2017年)の通常国会に提出予定とのこと。
これを受けた、日弁連会長談話の抜粋を引用しておきたい。
2011年に司法修習生に対する給費制が廃止され、修習資金を貸与する制度に移行してから5年が経過した。この間、司法修習生は、修習のために数百万円の貸与金を負担するほか、法科大学院や大学の奨学金の債務も合わせると多額の債務を負担する者が少なからず存在する。近年の法曹志望者の減少は著しく、このような経済的負担の重さが法曹志望者の激減の一因となっていることが指摘されてきた。
司法制度は、三権の一翼として、法の支配を社会の隅々まで行き渡らせ、市民の権利を実現するための社会に不可欠な基盤であり、法曹は、その司法を担う重要な役割を負っている。このため国は、司法試験合格者に法曹にふさわしい実務能力を習得させるための司法修習を命じ、修習専念義務をも課している。ところが、法曹養成の過程における経済的負担の重さから法曹を断念する者が生じていることは深刻な問題であり、司法を担う法曹の人材を確保し、修習に専念できる環境を整備するための経済的支援が喫緊の課題とされてきたものである。
このような状況を踏まえ、法務省が新たな経済的支援策についての制度方針を発表した意義は重要である。日弁連はこれまで、法曹人材を確保するための様々な取組を行ってきており、その一環として、修習に専念しうるための経済的支援を求めてきたものであり、今回の司法修習生に対する経済的支援策についてはこれを前進と受け止め、今後も、法曹志望者の確保に向けた諸々の取組を続けるとともに、弁護士及び弁護士会が司法の一翼を担っていることを踏まえ、今後もその社会的使命を果たしていく所存である。
修習生の側が、社会からの拠出を原資とする給付であることを自覚して、職業生活を通じて社会に還元すべき責任を果たさなければならないことは当然である。が、法曹を志す者だけの問題ではなく、国民の裁判を受ける権利をよりよく実現する制度設計の問題として、また、裁判を受ける際には接することになる実務法律家の質をどう確保するかの問題としてお考えいただきたい。金なきに因する思想を持つ法律家を閉め出すような法曹養成制度は甚だしく歪んでいるのだから。
(2016年12月21日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.12.21より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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