本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(191)
- 2018年 5月 22日
- 評論・紹介・意見
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道に食あり、食により道を失う
最近の「官僚の不祥事」については、まさに、「食により道を失った状況」とも言えるようだが、このことは、「禅」の言葉である「道に食あり、食により道を失う」というものである。つまり、「道」という、「本来、自分が為すべきこと」を実行していれば、必ず、「食」という「生活に困らない状況」に恵まれるものの、反対に、「自分の名誉や地位、あるいは、お金を追求する態度」に終始すると、その時には、「正義や道徳が失われ、不祥事などが発生する事態が待っている」という事実である。
戦後の日本人は、まさに、「道に食あり」の状況だった。「焼け野原の状態」から、「自分にできることは何か?」を考え、必死に生きてきたが、現在では、「お金がなければ生きていけない」と考えるようになり、「お金や地位のためなら、どのようなことでもする態度」に変化してきたようである。
そして、この分岐点が、1980年代に発生した「バブル」だったようだが、この時に発生したのが、巨額の不良債権だった。具体的には、約2500兆円にまで達した「土地の時価総額」に関して、「約一割の不良債権」が発生した状況のことだが、最初に、「民間企業や個人が、大きな被害を受けた」という状況でもあった。
その結果として、「民間企業」において「食により道を失う状況」となり、さまざまな不祥事が発生したが、その後は、「民間金融機関」に不良債権が移行し、同様の不祥事が発生した。そして、現在では、「政府」や「日銀」に、不良債権が移行した状態となっているが、この結果として発生したことが、冒頭の事件とも考えられるのである。
別の言葉では、「日本人の堕落が窮まり、世の中の膿み出しが、最後の段階にまで達した状況」のことだが、現在は、まさに、「真っ暗闇の状態」とも言えるようである。具体的には、「少子高齢化」や「巨額の国家債務」などの問題に直面しながらも、「政府や官僚が、信用できない状態」であり、また、「百歳までの寿命があったとしても、お金が心配だ」と考える人が増えたからだ。つまり、「夜明け前に、必ず、最も暗い瞬間を迎える」という状況のことだが、現在は、まさに、このような時を迎えているものと考えている。
そして、今後は、「窮まれば変じ、変ずれば通ず」という「易経」の言葉とおりに、大きな変化、あるいは、大事件が発生し、その時に、「夜明けの光」が照らし始めるようだが、このことは、まさに、「道」を求め始める「人々の意識変化」とも言えるようだ。(2018.4.23)
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本丸と外堀
世の中は、現在、大混乱の状況である。まさに、「内憂外患」という言葉のとおりに、国内だけではなく、国外でも、さまざまな事件や問題が多発しているが、同時に、「天変地異」という言葉のとおりに、地震や火山の噴火などにも、多くの人々が、頭を悩まされており、このことは、やはり、「世の中が窮まった段階」、あるいは、「時代の大転換期」を象徴するような状況とも言えるようだ。
つまり、「文明法則史学」が教えるとおりに、「西洋の時代」から「東洋の時代」への大転換期を迎えている状況のことだが、この点を理解する人は、現在でも、ほとんど存在しないようにも感じている。別の言葉では、「訳が分からないために、過度の恐怖心が支配している状況」とも言えるようだが、今後は、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」というような展開も想定できるようである。
具体的には、「現在の混迷は、ほとんど全ての原因が、『マネーの大膨張』にある」という点が理解でき、また、「お金の性質」や「歴史の法則」などが理解できた時に、恐怖心が消え去り、心の安寧が生まれるものと思われるのである。つまり、「世界の実情」、そして、「歴史的な推移」が、正確に理解される状況のことだが、この点に関しては、やはり、「現在のマイナス金利や超低金利状態が、歴史的に、どれほど異様な状態なのか?」を考える必要性が存在するようだ。
あるいは、「外堀の問題」と「本丸の問題」を分ける必要性のことでもあるが、現在の「官僚の不祥事」などについては、「外堀の問題」だと考えている。つまり、「世界の膿出し」において、今までは「外堀」が埋まってきた状況であり、今後は、「大膨張したマネーの崩壊」という「本丸」に、問題が移行するものと想定されるのである。
具体的には、「コンピューターマネー」に変化した「現代の通貨」が、実は、「影も形も存在しない、単なる数字である」という事実に気付くことであり、また、「お金に振り回されない人生」を確立することである。(2018.4.23)
別の言葉では、間もなく、これらの事実に気付かされるような大事件の発生を想定しているが、この点については、「150年前の明治維新」や「70年ほど前の敗戦」も、似たような状況でもあったようだ。そして、この時に、本当の意味での「日本人の覚醒」が始まるものと考えているが、現在では、きわめて近くなった段階のようにも感じている。(2018.4.23)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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