1968年は何処へいった(1) ―『思想』の鼎談を読んで考えたこと―
- 2018年 6月 27日
- 評論・紹介・意見
- 1968半澤健市小熊英二
2018年は、明治150年である。
それを記念する公的な行事が計画され実施されている。(内閣府のサイト参照)
《忘れられた「1968年」》
しかし、「1968年」は、忘れられている。
1968年とは何であったのか。
それは世界的な「異議申立・反乱・闘争」の年であった。
「ベトナム反戦・いちご白書・68年フランス革命・紅衛兵・ベ平連・全共闘・反戦青年委・羽田闘争」、これが「1968年」に関する私の記憶でありキーワードである。
日本の「1968年」は、内ゲバと連合赤軍に帰結した。それはよく言っても痛ましい悲劇として、悪く言えば過激な暴力主義の自滅として人々に記憶されている。
1968年に、青年の異議申立に共感した人びとは、半世紀後のいま、異議申立という言語のない日常性のなかに埋没している。2018年の現在における異様な日本の政治状況は、1968年の結果に大きく関わっている。これが私の認識である。
《「1968」特集の鼎談に注目する》
雑誌『思想』(岩波書店)の2018年5月号は、全200頁を特集「1968」に充てた。
10人ほどの研究者が、日・米・独・仏の「1968年」を論じて有益な情報を与えている。私は、この特集のなかから、歴史社会学者小熊英二(おぐま・えいじ、1962~、慶大教授)の問題提起をめぐる鼎談に注目した。それは、小熊、ドイツ現代史の井関正久、アメリカ史の梅崎透により行われた。
小熊英二の問題提起(正確には〈提起〉)は、「『1968』とは何だったのか、何であるのか」と題して次の三つの視点を提示する。
1 メディアの台頭
2 近代化の進展
3 冷戦秩序の揺らぎ
「メディアの台頭」で、小熊は「1968年」の国際性、関連性が過大評価されてきたとする。地域・テーマ・運動に、そんなに相互の関連性はなかった。過大評価の要因の多くは、視覚に訴えたテレビ映像の特性とそれの解釈にあるという。
たとえば紅衛兵はビートルズを知らなかった。毛沢東思想に共鳴したフランス学生は中国の抱えた問題を理解していなかった。日本でも、全共闘・水俣病・金嬉老事件・永山則夫事件の当事者同士は、相互に無関係であった。視覚的映像は、運動を過激化したり劇場型にしたこともあって多数派の獲得につながらなかった。
《小熊英二が提示した三つの視点》
「近代化の進展」とは、経済成長と消費社会の浸透を指している。メディアの台頭自体がその結果である。それは大衆社会の出現であり、サブカルチュアの興隆である。マンモス大学の不正経理、医学部の独善的な運営が、日大闘争と東大闘争の原因になった。小熊はこれを一般化してこう表現している。
「これらの状況は、急激な社会の近代化に対し、組織の運営や人々の意識が追いついていなかったこと、そのために大きな緊張と摩擦が生じたことを示している。ここでいう近代化は、急激な経済成長であり、消費物資の浸透であり、大学進学率の上昇であり、人権意識の高まりであった」。
小熊によれば、近代化は通信技術の発展を通して運動形態にも変化をもたらした。べ平連や全共闘のような新しい組織化、国際化にもつながった。近代化への反発は脱成長、自然回帰志向、エコロジーへの関心も広げた。近代化に関してのある種の「アンビバレンス」が生じた。
「冷戦秩序の揺らぎ」に関しての小熊の論理は次のようになる。
若者たちは目的を共有しなかったが、意図せざる結果として一つの方向性を共有することになった。それは冷戦秩序への批判である。米ソ及びそれと結ぶ各国の政権や共産党への批判である。そして「日本では新左翼セクト、ノンセクト活動家、べ平連がアメリカへ従属する政権に反発するだけでなく、ソ連や自国共産党に批判的だった。『反帝・反スタ』は米ソ双方への感情的反発の表現だった」と書いている。次の言及は小熊の姿勢をよく伝える。
「エマニュエル・ウォーラースタインは『1968』を評価する理由として、それがアメリカの覇権とそれに妥協したソ連によって築かれた世界システムへの抵抗運動だったからだという認識を示している。彼の認識は、広い意味では(小熊の)本稿と重なるものといえる」。
《「1968」とは何だったのか・何なのか》
〈提起〉の「おわりに」で、1968年は「何だったのか」、「何なのか」について「概略の仮説」を述べている。
まず「何だったのか」である。
近代化は旧来の秩序を変容させる。その過程には暫定的な安定期があるが、ある時点では地震を起こす。20世紀前半から半ばに作られた国内秩序・国際秩序が各地で共振しながら変動していった。「1968年」とはその地震を集合的に捉えようとしたフレームだった。
「1968年」後も、衛星通信の発達や消費文化の浸透とその影響が、アジアからアフリカまでを覆った一連の民主化過程に及んだとみる。しかし金融危機を経て現在に及ぶ世界秩序の動揺は、「長い1968」というより、近代化の進展であると捉えている。
次は「何なのか」である。
小熊は、2018年から見ての「1968年」を改めて考察する。「メディア、学生、国際性、マイノリティー、フェミニズム、エコロジー、若者文化、新自由主義へのある親和性」などをキーワードとして高い評価をする論に対して三つほどの留保をつける。
第一に、当時の小さくて無関係な現象を先駆的なものと評価する「記憶の創造」が混在すること。
第二に、近代化の成果と「1968年」の影響との混同があること。それを次のように書いている。
「一九六八年以降、女性の社会進出やマイノリティの権利獲得が進み、運動の国際化が一般化し、インターネットが世界を結び、ネットワーク型の組織原理がもてはやされ、新自由主義が台頭した。だがこれらすべてを『一九六八年の運動の成果』とみなすのは、どう考えても過大評価である。(略)近代化のプロセスが、より進んだことを示していると考えた方が適切だ」。
第三に、「これは最も重要なことだが」と断って、歴史は後世の視点で書かれることを強調している。「他国では現在の変化の原点として『1968』が語られるが、日本では一過性の現象としてしかみなされない傾向が強い。まさに歴史とは現在の鏡であり、歴史をどう記述するかは、私たちがとのような現在を生きているかにかかっているのだ」というのである。その理由を七〇年代における不況期の欧米と「ジャパン・アズ・ナンバーワン」時代の日本の違いに求めている。
小熊〈提起〉の結論は次のように結ばれている。
「結論を述べよう。『1968』とは、近代化のプロセスが、既存の秩序にもたらした『地震』だった。そして現在において、どのように『1968』を表象するかは、私たちがどのような現在を生き、どんな社会を作っているかにかかっている」。
《力作の紹介で終わってしまったが》
「鼎談に注目する」つもりの本稿は、小熊〈提起〉の紹介だけに終わった。しかも端折ったものである。自分のまとめ力をタナに上げていえば、〈提起〉が力作であり、読者は『思想』本誌へさかのぼって欲しい。次回は、鼎談の紹介と私の「1968年」論を述べたい。(2018/06/23)
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