ドイツ通信第130号 2018年トルコの夏――その幻影と実態(2)
- 2018年 10月 8日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
1990年代半ばから2000年初頭にかけて、イスラム宗教をめぐる議論がメディア、TV、そして市民のなかで激化してきました。TVの政治トーク番組は、ゲストの顔ぶれをテーマに相応しく選択して、手を変え品を変え各チャンネルでほとんど連日、各家庭に届けられていたように記憶します。毎日毎日、怒鳴り散らすようなドイツ風の政治議論に付き合わされる暇も忍耐もないですから、週に一つ、二つ、できるだけ良識的な番組を選び、それを見て聞きながら、「そうだ!」「違うだろ!」「だからダメなんだ!」等々、私たち二人は相槌やヤジを飛ばしていたものです。
一つ確かに言えることは、〈ドイツの議論では、大声で話しまくらなければ、意見が通じない〉ということです。このへんのところは、ドイツ人のマリアンネもこれまでの職場、社会関係で痛い思いをしてきたようです。
しかし、2015年の難民問題以降、私たちは新鮮味がなく内容のない同じような議論の繰り返しに愛想をつかし、今年に入ってからはTVを見なくなってしまいました。
イスラム議論といいましたが、基本的にはドイツで圧倒的多数を占めるトルコ系住民と宗教問題です。
テーマは二つ。①女性のスカーフ問題。②モスレム系女生徒の体育授業、特に水泳授業拒否。
イスラム研究家の肩書をもつ女性が、もちろん、彼女はスカーフで頭と顔を覆っていますが、モスレム女性のスカーフは信仰の証で、女性の信仰心と自己意識を体現しているのであって、外部から強制されたモノではなく、イスラムの文化であり伝統があると強調すれば、「民主主義派」からは、スカーフはイスラム宗教のプロパガンダで、男性から強制されたもので、コーランのどこにも明記されてはいず、明らかに女性蔑視と差別であると反論がだされ、議論はいつも平行線をたどり最後は怒号に終始してしまいます。
学校の体育授業に関しても、一方が、イスラム社会では男女隔離が伝統であるといえば、他方は男女共同がヨーロッパの民主主義文化であり、生徒のみならず親たちも教育法、学校規則を守る義務があると、ここでも最後は同じです。
これらが信仰の自由、政教分離、男女平等をめぐる議論であるのはわかりますが、この種の議論の仕方は相互の理解を深めないばかりか、逆に、対立のみならず、そういってもいいと思いますが深い憎悪をも生み出してきたのではないかと思われてなりません。こうして長年蓄積されてきた憎悪が、現在の極右党AfD、ナショナリスト、人種主義者等の流れに合流していることは間違いのない事実であるように思われるのです。
なぜか?という疑問を、世俗主義のヨーロッパ側からの時間をさかのぼって現在の難民議論と合わせて考えれば、ある程度問題点が見えてくるのではないかと思われます。
そこで強調される〈ヨーロッパの価値〉からのイスラム批判は、その〈伝統と文化〉への確認事項として、ある時はキリスト教の宗教面が、またあるときは歴史的な民主主義の政治面が強調されてきました。ここには、宗教と政治への左右への揺れが認められます。それゆえに、その時々の状況に合わせて、本人が意識する、しないにかかわらず、強調するポイントが右・左にずれていくのでしょう。それが、議論の理解を困難にしています。
モスレムも民主主義を否定するものではありません。キリスト教とイスラムの宗教面が前面に出てくるときに、世界を二分するような抜き差しならない、出口のない迷路に陥っていきます。
そこからの脱出口が見つけられないまま昨年から始められたドイツの〈故郷〉論争では、この点がさらに明瞭になってきて、ポピュリスト、極右派への民族主義批判が目的とされながらも、私は危険な予感がぬぐい切れないでいます。むしろ彼らたちを煽っているようにさえ思われるからです。
ヨーロッパの故郷、ドイツの故郷が、こうして憎悪にまみれていくようです。
そんな議論のなかで、また、トルコでもイスラム主義が台頭してきているといわれ始めた時期に、私たちは初めてイスタンブールに行きました。そこで見たのは、ドイツでイスラム研究者たちを通して語られる女性像ではなく、解放された女性たちでした。いうまでもなく、黒衣装で身を包んだ女性たちも生活しています。そして、当時はトルコの大学での女子学生のスカーフ着用は、間違いなく禁止されていたはずです。それを、逆戻りさせようとしていたのが、エルドアンでした。
民主主義をめぐる議論は、確かに社会を少しずつ解放してはいますが、しかし、いつになれば宗教の規律と伝統に従う社会と人々が生活する世界に届くことができるのだろうかと考えざるをえません。考える素材を与えてくれたのが、友人の家族の話でした。
友人が住んでいるイスタンブールに2回目の訪問をしたのは、2000年の初頭です。
彼はトルコの外交官の息子で、父の勤務地のスイスで生まれ、後にトルコに帰り、そしてドイツの大学で勉強しています。マリアンネの大学時代の学友です。彼の奥さんはドイツ人で、同じ大学で共に勉強した仲ということになり、彼が空調システムの会社をトルコで設立して以降、私たちにとってトルコが身近になってきました。
両親から引き継いだ家で姉妹たちとボスポラス海峡が見渡せる高台に住んでおり、暇なときは、「今日も船舶の衝突事故があった」と、北の黒海につながる海運・通商の幹線となる狭い海峡を眺めているといいます。
彼のお姉さんはトルコの航空会社で働いたことがあり、日本によく仕事で行ったそうです。「日本人は親切で秩序・規律正しく、人も国も素晴らしい」と懐かしそうに話してくれました。私は、「ありがとう」という言葉しか出てきませんでした。フライト待機で丸一日くらいの時間しか取れず、「たくさん見られなかったのは残念です」ともいっていました。
その彼女はモスレムで、これまで毎年ラマダンをしてきたといいます。しかし、エルドアンから強制されるような圧力がかかってきている現状では、「もう、やる気がない!」と、日本について語っていたそれまでの言葉付きとは打って変わって、キリッとした物言いになりました。
個人の信仰、宗教に関して、外部から強制されるいわれは何もない、そんなものは宗教でも信仰でもない。宗教と信仰は、個人の内的な自由意思に従わなければ意味がないといいます。それを聞きながら私は、ドイツでのうんざりするような議論を頭のなかで反芻していました。
友人から、また、「イスラムの記念館や博物館にはいかないように」といわれ、「なんで?」と訝しがる私たちに、「訪問者数がカウントされ、イスラム主義者たちの(自慢の)プロパガンダに利用されるからだ」と。
街のなかには以前に比べて、黒衣装づくめ、そしてスカーフで頭を覆う女性の姿が増えてきているのが認められます。それは、単なる信仰、宗教生活ではありません。そのどこかに何とも言えない脅威、威圧を感じるのは、単なる私の思い過ごしというものたったのだろうか。
友人は週末に車でイスタンブールの中心部を紹介してくれました。郊外には高速道路に沿って高層住宅ビルが所狭しと建設され、周辺には新しい建築現場が見られます。年間の経済成長率が8%、9%といわれ、トルコ経済が驚異的なブームで沸き返っていた時です。「渋滞が大変で、家から市内の事務所まで少なくとも1時間半ほどかかり、毎日の通勤に神経を擦り減らす!」と友人は嘆きます。
2000年初頭から今日までのこうしたトルコの急速な移り変わりを見ていると、すぐにスペインの建築ブームを連想し、そのスペインで経済がクラッシュし、社会が崩壊していく過程を実際に体験した私たちは、「危ないな!」と直観したものです。
そして、2018年のトルコがそんな瀬戸際に立っていることを見ることになりました。
(つづく)
初出:「原発通信」第1532号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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