藤田嗣治は、戦争協力画家ではないのか
- 2018年 11月 6日
- カルチャー
- 熊王信之
相当以前から藤田嗣治の戦争画については、擁護される言説があり、絵心が無い者ながら一言附言したいと思います。
特に、十五年戦争の後半に描かれた戦争画に関わる言説が最近の復古傾向にある世情に適合しているかのようにも見えます。 具体的には、アッツ島とサイパン島での戦闘に係る画です。 以下、少し見て行きたいと思います。
まず両者とも「玉砕」とされているのですが、この語の意味が「全滅」と言うことならば、実際には、戦闘の結果に基づく兵士と島民の捕虜が存在します。 従って、「玉砕」とは当時の大本営発表の最たるものです。
アッツ島での戦闘は、当時の大本営、と言うよりも、早期に戦果獲得を焦る海軍主導のミッドウェー島攻略と米海軍空母群への打撃を目指す作戦の一環として米本土であるアリューシャン列島への侵攻を機序としたものでした。
キスカと共に日本陸海軍共同での侵攻でしたが、米軍の本格的反攻は、ミッドウェーでの戦闘後になりました。 特に差し迫った米本土への脅威も無かったからです。 米軍としては、暗号解読に基づきミッドウェー海域での日本の海軍空母機動部隊との決戦に備えるのが順当とされたのでした。
日本軍が何故この時期に両島を占領したのかは判然とせず、更には、両島の戦略的価値も判然とせず、ただ米本土への侵攻と言う名目的戦略価値のみを求めた、としか考えられません。 しかも結果的には、日本の海軍機動部隊を分割する結果に繋がり、日本軍伝統の「戦力の逐次投入」と言う愚を実践する結果となり、近代海戦に稀に見る一方的な空母四隻を失う大敗北を喫しました。
当時は、大本営発表でミッドウェーでの大敗北は隠されたのですが、その後、日本軍が敗退を続ける情勢に鑑みて敗退自体を隠し、戦陣訓(「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」)を実践させるべく「アッツ島玉砕」の絵は機能したのです。 これを戦争宣伝画と言わずに何と言うのでしょうか。
藤田嗣治の画の基調が変わったのは、画材そのものが変わったことが元です。 即ち、近代軍制と武力を欠く戦争初期の中国軍を相手の戦闘と真珠湾直後の植民地駐留軍相手の楽勝路線から米軍主導の下の近代的軍制と武力を相手にした敗北の路線へ、と変わったことが。
そして、「サイパン島同胞臣節を全うす」です。 軍人のみでは無く、民間人にも「玉砕」を強いる酷薄極まりない天皇制帝国が手掛けた宣伝の極致と言える全滅路線の一大宣伝ですが、実際の戦闘場面は画の世界とは似ても似つかずの阿鼻叫喚の場となりました。 ただ、玉砕を強いる帝国に逆らい多くの民間人と軍人が投降したのが救いです。
藤田嗣治の画と下記に挙げました当時の記録映像とを比べれば、絵画の世界と現実との相違が明らかです。 ただし映像には残酷なものがありますのでご注意を。 「万歳突撃」(Banzai charge)と言う戦略的にも戦術的にも何の価値も無い日本軍の集団自殺後のものです。
Aftermath of Japanese Banzai charge on Saipan, Mariana Islands during WWII HD Stock Footage CriticalPast https://www.youtube.com/watch?v=TJto2UoQfvE
終わりに、レニ・リーフェンシュタールの「オリンピア」にも言えることですが、いくら映像や絵画の技量に長け、優れた表現と雖も、ナチスや侵略戦争の宣伝道具と化した類のものに何の価値があるのでしょうか。
さて、蛇足ですが、藤田嗣治にとっての画材の一つである「猫」について一言言いたいのです。 彼が多く残した猫の画を見る限り、猫も画材の一つであり、特定の猫に限りない愛情を注ぐことも無く、況や終生飼養はしなかったのではないでしょうか。 画材になった猫も彼を特段の人とは見ていなかったように思えます。
と言いますのも、私にとっては、共に暮らす猫は家族であり、掛け替えの無い存在なので、猫の方も似たように思うようになるのか、例えば、下の映像のような寝姿をも見せるのでした。 特定の猫を愛した人がその特定の猫を描くならば、このようにもっと違った姿も描く筈、と思えます。
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