管孝行『commons』天皇制論を読んで
- 2019年 5月 14日
- 評論・紹介・意見
- 大谷美芳
新左翼は、日和見主義に転落した共産党を批判して登場した革命派であったが、天皇制廃止を、日本帝国主義打倒・社会主義革命の重要な課題と見ていたとは言えない。
(1)革命性の継承
筆者など先進的な人びとが、昭和・裕仁から平成・明仁への代替りなどを大きな契機として、反天皇制闘争に本格的に取り組んだ。アジア侵略戦争、沖縄の併合と売り渡し、差別主義、アイヌ民族抑圧など、天皇制に対する批判と闘争は拡大した。
新左翼が70年代に後退あるいは崩壊した後、80・90年代に、民族・女性・部落など差別の問題や労働者階級「下層」の問題などに取り組み、「体質」を変えて人民大衆と結合する「偉大な努力」が存在した。それが、21世紀の今日、人民闘争に結実していると思う。
戦前の共産党の革命性は、天皇制打倒にあった(天皇制は絶対主義ではなくボナパルティズム、日本革命は民主主義革命ではなく社会主義革命であったが)。本格的な反天皇制闘争も、共産党の革命性を継承して「体質」を変える「偉大な努力」であったと思う。
(2)国家権力の問題
「近代国民国家の統治は……第一が資本制、第二が政治権力、第三が幻想の共同性である。」「象徴天皇制の政治的機能は……政治権力と自らの霊性を結合し、その正統性を国民に承認させる幻想の共同性を喚起する機能に特化される。」
象徴天皇制は慰問と慰霊を二大行為としている。慰問は、資本主義社会の階級的な分裂・対立と階級支配の現実を隠蔽し、身分差別の頂点から人民を慰撫し、幻想の共同性を演出している。慰霊は帝国主義の植民地支配・侵略戦争の歴史的責任を隠蔽している。現憲法は、天皇主権を否定した国民主権と言われるが、第一条の象徴天皇制は国際的に見れば「君臨すれども統治せず」の立憲君主制である。本質は資本主義を護持するブルジョア国家の憲法である。第九条の絶対平和主義は侵略戦争の否定にも、逆にあいまい化にも通じる。
このように機能する象徴天皇制は、イデオロギーの問題もあるが、まずは国家の制度と機構、その頂点である。国家財政が充てられ、官僚機構が設置されている。したがって、天皇制に対する闘争では、まずは国家の問題として根本的な態度を打ち出し、君主制の廃止と共和制の実現として最終的な目標を打ち出さなくてはならないと思う。
論理的には民主主義であり、必ずしも社会主義革命を意味しない(例えばドイツのカイゼル帝政の打倒とワイマール共和制の成立)。しかし、現実的には、社会主義革命、ブルジョア国家の打倒とプロレタリア階級独裁国家の樹立によってしか達成できないだろう。
(3)階級社会の歴史的根本的な批判と廃絶
「だから、天皇制との闘いは、主権者に内面化された国家の宗教的権威との闘い、つまり、支配階級の私的利害や価値意識を普遍的一般的な価値として内面化した主権者自身の集合的感情との闘いである。」
帝国主義の危機が迫りきている。天皇制は、政治権力に密着する元首制など、国民を戦争と反動、民族排外主義に統合・動員する新たな機能になるだろう(安倍政権の改憲)。
国家権力の問題だが、そのためにも人民にも「内面化」したイデオロギーの問題がある。象徴でも元首でも、国民を統合・動員するテコとなる天皇制の「霊性」「宗教的権威」の基礎は、日本における奴隷制・封建制・資本主義へ至る階級社会と階級支配・差別主義の連続性だろう。それが隠蔽されて外形的な民族の連続性にすり替えられる(皇国史観)。
天皇制は、専制君主制国家として、古代には「国家独占奴隷制」と言える律令制社会を実現し、近代では資本主義を移植・育成(殖産興業・富国強兵)し帝国主義化した。しかし、それより長く、貴族社会(奴隷制)と武家社会(封建制)の時代、直接的な政治権力は有しないが、階級支配に不可分な身分制の頂点に立って、支配階級の国家的支配(摂関体制と幕府体制)を権威づけてきた。現代の天皇制もそうである。
したがって、天皇制の批判には、日本における階級社会と階級支配の土台から、その上部構造として批判する唯物史観が必要で、これが皇国史観を圧倒しなくてはならない。天皇制の批判と廃止は、「人の上に人はなく人の下に人はない」だが、政治的民主主義を超える。資本主義の廃止を通して全ての階級社会と階級支配を廃絶し、無階級社会を実現する社会主義・共産主義の思想と革命、これによってしかできないと思う。 (おわり)
2019.05.07
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8640:190514〕
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