エリック・ホブズボーム『20世紀の歴史(上)(下)』を読んで
- 2019年 12月 18日
- 評論・紹介・意見
- 大谷美芳
「『短い20世紀』は、問題を残したまま終わりを迎えた。これらの問題の解決策をもつ者はおらず、もっていると主張する者さえいなかった。世紀末、市民たちは世界全体を覆う霧のなかを第3千年紀へ向かってあゆんでいきながら、ひとつの時代が終わった、ということだけは確信していた。それ以外についてはほとんど何もわからなかった。」(下p542)
なぜこんなに悲観的なのか? その原因はソ連論と中国論にある、と私は考える。
①「長い19世紀」と「短い20世紀」
前作に、「長い19世紀」と総括する3部作がある。解説(Wikipedia)からすると、①革命の時代(1789~1848年)は、「下から」のブルジョア革命と産業革命の時代である。1789年=フランスだけでなく、アメリカもイギリスも含めて17世紀からの継続だろう。1848年=ドイツにおける「下から」の革命の挫折が終点で、また次の始点だろう。②資本の時代(1848~1875年)と③帝国の時代(1875~1914年)は、ドイツと日本に代表される「上から」のブルジョア革命と国家をテコとする資本主義化、資本主義の帝国主義化と植民地主義の時代である。
それを受けて、本書は、3期に区分して「短い20世紀」と総括している。①破滅の時代(1914~45年)は、植民地の再分割をめぐる2回の帝国主義世界戦争とロシア革命だけでなく、中国革命が含まれるべきである。戦争と革命、帝国主義と社会主義革命、これが、マルクス・レーニン主義と国際共産主義運動における時代認識であった。
ここまでは納得できるが、現実は社会主義革命の時代ではなかった。どう総括する?
②ソ連崩壊=社会主義終焉では21世紀の展望は見えない
②黄金時代(1945~70年代初め)は、米ソ東西冷戦である。西側は、アメリカ帝国主義を盟主とし、新植民地主義的支配を基礎に、周辺=資源と中心=工業というシステムで、資本主義の高度成長(西ヨーロッパと日本は戦後復興)とブルジョア民主主義の確立があった。東側は、ソ連を盟主に東ヨーロッパが従属し、経済的にも発展した(これも戦後復興)。
③地滑り=危機の時代(1970年代初め~1991年)は、現在世界であるが、本書は、軽工業→重化学工業→耐久消費財工業という産業循環=経済成長が終了した西側資本主義の行き詰まり、およびソ連の崩壊までである。
時代区分は納得できる。しかし、ソ連を社会主義と見ている。それは誤謬である。たとえ「現存社会主義」とし、「他にもっと望ましい社会主義があるかもしれないが、実際に機能しているのはこの種の社会主義のみだということを含意・示唆している。」(下p190)としても。これでは、ソ連崩壊で「社会主義の終焉」(下p357)と絶句することになる。
③ソ連も中国も官僚制国家資本主義
「ソ連崩壊に伴い『現存社会主義』の実験は終わった。中国のように共産党政権が生き残りに成功した国ですら、本来の理念、つまり集産主義が行き渡った国家に基盤があり、中央が統制する単一の国家計画に基づく経済で、市場が実質的にない状態で協同組合が支配する経済制度といった理念は破棄されたのだから、再び始まることがあるのだろうか? ソ連で展開された形で再開することがないのは明白だ。いや、それ以外のいかなる形であっても、再開はないだろう。」(下p422)。
現在の中国の国家=社会の性格を全く規定できていない。そもそもソ連・ヨーロッパに比して、アジア・中国の総括が弱い。アジアの民族解放闘争がロシア革命後の世界革命と国際共産主義運動の中心であったのに。
国家所有や計画経済など、社会主義が形態論になっている。そうではなく、問題は実質である。ソ連も中国も、官僚階級が国有の生産手段を独占して労働者階級を搾取し支配している。官僚制国家資本主義である。1960年代、中国はソ連の変質をそう規定した。現在、中国の変質をそう規定できる。そして、官僚制国家資本主義は、「計画経済」=統制経済が発展のテコから桎梏に転化した時点で、市場経済への移行が必然である。
ソ連は、移行に失敗し、経済の停滞と、従属国および被抑圧民族と人民の民族闘争と民主化闘争で崩壊した(私的資本主義化)。社会主義の崩壊ではない。帝国主義の崩壊である。東ヨーロッパの従属国とソ連国内の被抑圧民族にとっては民族解放・民主主義革命である。
中国は、市場経済化して経済発展し、1989年の天安門事件=人民の民主主義闘争の圧殺の上に、帝国主義超大国としてアメリカと世界覇権を争闘している。
④20世紀はどうどこまで社会主義革命に接近した?
ロシアも中国もブルジョア革命に直面していた。プロレタリア階級は、農民と同盟して革命を主導し、「プロレタリアートと農民の革命的民主主義的独裁」(レーニン)(「NEP」の実際)、「人民民主主義独裁」(毛沢東)を樹立して社会主義革命へ前進しようとした。弁証法的唯物論の主観的能動性。プロレタリア階級が指導する「新民主主義革命」(毛沢東)である。
機械制大工業が、社会主義の物質的基礎として必要であり、建設された。しかし、ここで、その管理と運営の必要から官僚と官僚主義が生み出され、社会と国家は官僚制国家資本主義とブルジョア階級独裁へ変質し転化した。それが、ソ連の1920・30年代、スターリン主義であり、中国の1960~80年代、文化大革命の破綻と改革・開放への転換であった。
ソ連は1920~30年代、中国は1950年代、工業化・国有化と農業集団化が実行された。そこでは、プロレタリア階級は、まだ管理・運営の実権を握る官僚を統制し、それを通じて大衆的自主的な管理・運営へ移行する持久戦が必要であった。それがプロレタリア階級独裁への転化と社会主義革命への前進であった。しかし、主客の諸条件で実現できなかった。革命はブルジョア革命に終わり、資本主義化した。社会主義革命へ前進する主観的能動性が、資本主義化の唯物論的必然性に包摂された。
⑤社会主義論
社会主義論が形態論になるのは、資本主義論が商品経済・市場経済や私的所有といった形態論だからだろう。資本主義は「労働と所有の分離」、生産手段を独占する階級への労働する階級の奴隷的従属である。社会主義は、「労働と所有の再結合」であるが、労働者階級が生産手段を真に共同所有するには、生産を自主的大衆的に管理・運営しなくてはならない。
⑥21世紀は帝国主義と社会主義革命の時代
現在のグローバリズムの中心もアジアである。中心=金融(帝国主義の「寄生性」と「腐朽性」)と周辺=工業という新しいシステムが出現している。中国・ベトナムは官僚制国家資本主義、韓国・台湾とASEANは開発独裁(「上からのブルジョア革命」で新植民地主義的従属から脱却)、この2つの典型的な道で20世紀の後発国の資本主義化は達成された。この上にアメリカと中国を中心とする帝国主義の世界覇権をめぐる対立と闘争がある。
資本主義は社会発展の必然である。資本主義の矛盾が発展して社会主義革命を必然化する。ソ連と中国を総括してマルクス・レーニン主義の理論と社会主義・共産主義の思想は必ず再興される。21世紀は今度こそ帝国主義と社会主義革命の時代になるだろう。(おわり) 2019.12.17
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9271:191218〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。