「原発依存」「沖縄依存」から脱却を ─ 野田民主党政権の試金石
- 2011年 10月 2日
- 時代をみる
- 池田龍夫
野田佳彦政権の課題は山積しているが、「原発」「普天間」の打開策を国民は注視している。2つの難題に共通した〝差別〟の構造が、深刻な対立を生む要因と考えられるからだ。余程の決意を持って立ち向かわなければ、こじれにこじれた糸をほぐすことは難しい。本稿では、野田政権発足後の両問題に関する発言をベースにして分析、点検を試みたい。
「普天間の辺野古移設」に赤信号!
野田首相は就任後すぐオバマ米大統領と電話会談を行い、「日米同盟いっそうの強化、発展に取り組みたい」と強調した。そして、普天間問題についての日米合意を踏まえ、沖縄の負担軽減を図りたいと述べた。沖縄県民の理解を粘り強く求めていく考えのようだが、「県外移設」を主張する仲井真弘多知事らの反発はいぜん根強い。6月21日の日米安全保障協議委員会(2プラス2)では「普天間の辺野古移設」を再確認したものの、2014年までに移設するとの目標を断念、「できる限り早い時期に」と修正せざるを得なかった。
5月11日来日した米上院軍事委員会のレビン委員長らが、「国防省の再編計画は非現実的で実行不可能。巨額の費用をかけて辺野古に移設するよりも、嘉手納基地への統合を検討すべきだ」との新提案を示して、局面打開を図ろうとしたのに、辺野古案にこだわる日本政府の反応は鈍すぎた。鳩山・菅両政権の失政を挽回する起死回生の妙手を野田政権に期待したいところだが、具体策を練っている気配すら感じられない。
「辺野古への移設が進まなければ、米議会が在沖縄海兵隊のグアム移転の関連予算を認めず、合意そのものが頓挫する可能性もある。こうした事態を踏まえて、政府内には、来年になっても進展がない場合、米政府が普天間継続使用にカジを切るのではないか、との見方が出始めている。移設問題の原点である危険性除去の実現には、今後の半年、1年が正念場である。…毎日新聞は、辺野古移設の日米合意案を見直すとともに、移設が実現するまでの間、普天間の機能を県内外に分散するなど、危険性除去の具体策を検討するよう求めてきた。野田政権には、沖縄との溝を埋められなかった前政権の手法から脱し、現実的な打開策を打ち出してもらいたい」と、毎日新聞社説(9・5朝刊)が指摘する通りで、1996年のSACО(日米特別合同委)合意以来の手詰まり状態を打開しなければ、沖縄県民の同意は得られまい。
「原発再稼動」にも赤信号!
一方、福島原発事故(3・11)から半年経った今も事故収束の見込みが立たないばかりか、飛び散った放射線物質の拡大が懸念されている。メルトダウン(炉心溶融)した原発敷地内は高濃度汚染によって、内部の正確な実態が未だに分からない最悪状態。循環冷却装置の新設によって、炉心の温度上昇は収まっているようだが、放射能漏れは依然続いている。従って、原発周辺20~30㌔圏内の住民の不安は軽減されず、汚染物質の除去対策に四苦八苦。さらに回収した汚泥などをどう処理するか、中間貯蔵施設すら確定できない混乱が続いている。
当面、被災地復興に全力投球すべき時期なのに、〝電力不足〟を理由に、休止・点検中の原発再稼働への動きが気になる。9月末現在、全国54基の原発中稼働しているのは11基。来春にかけ休止・点検に入る原発が目白押しで、ストレステストの行方が気になる。「原子力安全庁」(環境省傘下)が発足する来年4月までの安全チェックは、従来どおり「原子力安全・保安院」(経産省傘下)が担当するが、地元首長・住民らの保安院検査への不信感が強いため、再稼働への道のりは険しい。野田政権は、このシビアな現状を冷静に見詰め、火力・風力も含む「新エネルギー政策」を国民に提示すべきではないか。
「原発」「沖縄」問題に潜む差別の構造
敗戦後27年も米国軍政下にあった沖縄が本土復帰したのは1972年(昭和47年)5月15日。それから数えて39年を経た現在も沖縄に、全国米軍基地の約75%が存在していることは、明らかに異常である。「安全保障も電力も、国民の生命と財産を守り、暮らしを豊かにするために欠かせない社会インフラであることは、誰しもが認める。本来なら、それに伴う負担は、その恩恵に浴する人々が、可能な限り公平に負担すべきだ。しかし、実際はそうなっていないところに問題の本質がある。沖縄の過剰な基地負担の上に成り立つ日本全体の安全保障。原発の電力は地元で使われることはなく、多くは人口密集地向けだ。民主党政権の公約破りは沖縄県民の、原発事故は福島県民や原発立地他県住民の、なぜ自分たちだけが負担を強いられているのかという不公平感を呼び覚ました。こうした地域の労苦は、負担を直接負ってこなかった多くの国民にとって他人事であり、負担を押し付けることに、あまりにも無神経で傲慢だったのではないか。政府ばかりを批判できない。それを許してきたのは、われわれ国民自身であるからだ。弱い立場に立つ人に押し付けて豊かさを享受する生き方を、そろそろ改めた方がいいのだろう。基地問題や原発事故の教訓は、そこにこそ見出したい。沖縄の米軍基地も原子力発電所も、今すぐに撤去することは現実的でないことは理解する。まずは、基地も原発も過渡的な施設と位置付けることから始めたい。その上で、新しい安全保障政策やエネルギー政策を議論し直し、実現のための工程表をしっかりと描かねばならない」との指摘(東京新聞5・16社説)を真摯に受け止めたいと思う。
大田昌秀・元沖縄知事は「東日本大震災への対応が急がれる中、5万人足らずの在日米軍のために、思いやり予算や駐留経費で計6千数百億円もの予算を毎年費やしている現実を知っているのか」と指摘し、「お金を与えて魂を買うような原発建設と同じ手法に、沖縄の人は怒っている。もし辺野古沖のアセスメントや工事を強行しようとしたら大騒ぎになり、人命に関わる事故が起こりかねない」と警告している。琉球新報(9・6社説)は、玄葉光一郎外相の就任会見を取り上げ、「玄葉外相は外務官僚の説明を全て真に受け、辺野古移設合意を推進することこそが強いリーダーであり、米国の期待に沿うと錯覚、信じ切っているのであろうか。外相が『日本の地政学的な位置、中でも沖縄の地政学的な位置を考えると日米合意を踏まえていくべきだ』とし、日米地位協定の改定について『一つ一つ解決策を模索していく』と具体的な言及を避けることで、安堵しているのは外務官僚であり、米国政府だろう。残念なのは、玄葉発言が歴代外相や官僚が述べてきたことの繰り返しにすぎない点だ。官僚にとっては模範回答だろうが、県民には先が思いやられる官僚依存発言としか映らない。この先の不毛な議論を予感させ、実に嘆かわしい。米議会も日米合意を疑問視している。外相は同じ政治家として何の疑問も持っていないのか。政府の主張こそが正しく、沖縄県民は感情的かつ非協力的と決め付ける、官僚にありがちなエリート意識、差別意識に陥っていないか」と、厳しい筆致で〝米国ベッタリ〟の外交姿勢を批判していた。
「カネばらまき政治」の罪
カネをばらまいて地元民を黙らせ、危険な施設を地方に押し付けてきた、長年の弊害が「福島」と「沖縄」で一気に顕在化してきた。その根底に〝経済至上主義〝で突っ走った〝差別の構造〟が潜んでいたことを、東日本大震災を契機に、多くの国民が気づき〝平和と安全〟を目指す方向へ目を転じさせられたことを、社会構造の変革の兆しと捉えたいと思う。原発事故を契機にエネルギー政策の大転換を志向すべきで、これと同時に沖縄に依存してきた安全保障問題を俎上に載せ、軍事偏重でない「日米友好条約」締結へ向けて舵を切り替えるチャンスにしたいと願っている。しかし、政治改革の先頭に立つべき民主党政権の政治手法は、自民党政治を踏襲しているように思えてならない。メディアは政局・官庁ネタに偏った報道姿勢を改め、政策をチェック・検証して、日本の目指すべき進路を考える材料を提供してもらいたい。
この際、「原発依存」「沖縄依存」から脱却し、戦後60余年繰り返されてきた〝悪しき慣行〟からの決別なくして、新生日本の構築は難しい。野田政権は何を改革すべきなのか、国民それぞれが永田町政治の動向を監視、チェックする努力も怠ってはならない。
(財団法人新聞通信調査会「新聞通信調査会報」2011 年10月1日号「プレスウォッチング」より許可を得て転載 ――編集部)
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