T・トランストロンメル(スウェーデン)の人となり――子規の「写生」が北欧の現代詩人に再現
「TT」という愛称を持つトーマス・トランストロンメルは1931年、ストックホルムで生まれた。十代の頃から優れた詩才で注目を集め、デビュー以来スウェーデンの抒情詩表現に驚異的な革新をもたらし、北欧の代表的詩人となった。
心理学者の彼は、少年刑務所で働いていた。二十三歳の年に、最初の詩集『十七編の詩』を刊行。スウェーデンの文壇を震撼させた。彼の職業と詩の関係は遠くない。<詩というのは少年犯みたいなものでは>と穿った見方をする向きもある。彼は遅筆で、生涯に僅か百編余りの作品しかなく、全集にまとめても精々小さな一冊に終わる。が、ほとんど全てが素晴らしく、これは奇跡と言っていい。
彼は己の詩作の特徴について、「簡潔で練れていること」「言葉は簡単だが、意味が深遠であること」と述べている。そして、「私の詩は音楽言語の影響を深く受けている。形式上から見ると、私の詩は絵に近い。私は絵を描くことが好きで、少年時代からデッサンを描き始めた」と言う。
そして、「一編の詩を完成させるには、長い時間をかける必要がある。詩は<瞬間的情緒>を表してそれで終わりではない。真実の世界とは一瞬で消えた後のその持続性と全体性、及び対立するものとの結合である」としている。また、「詩は内心から来ている何らかのもので、夢と兄弟のようなもの、いわば幻想だ。一編の詩は私が目覚めさせる夢である」とも言っている。
トランストロンメルは1990年暮れ、五十九歳の折に脳卒中で倒れる。右半身が不随になり、言葉も失ってしまったが、詩を書くことはやめなかった。左手で書いた詩集『悲しみのゴンドラ』を1996年に出版。豊かなイメージと隠喩を以て、内面の更なる深い世界を形作る。
彼は大病後、益々俳句形短詩に心を寄せる。明治の俳人、正岡子規について<死の板に命のチョークで書く詩人>と記す。非凡な言及である。稀有な詩質には北欧の情感が濃い。ストックホルムよりバルチック海に至る水路に浮かぶ母方の家の自然との接触が、その起原であろうか。
――蘭の花の窓/滑り過ぎ行く油槽船/月の満ちる夜
『悲しみのゴンドラ』に収められたトランストロンメルの俳句詩の一つだ。蘭の芳醇な甘い香りが漂う部屋から、カメラの視点は窓の向こうに飛び出す。そこに横たわっているのは、タンカーの武骨な黒い体躯。「油槽船」の字面から、石油の臭いも鼻をかすめる。
この「蘭の花」を起点とする華やかで甘美な世界と、「油槽船」を中心とした機械的な憂鬱な世界との対立が、先ずこの詩の核になっている。これは、俳句の「取り合わせ」の方法も彷彿とさせる。
――つがいの蜻蛉/固く絡んだままの姿/揺らぎ揺らいで飛び去る
などは、子規の「写生」が遥か北欧の現代詩人の言葉の上に再現されていることの、何よりの証左だろう。
病臥の俳人であった子規への共感は、脳卒中後に心身不如意になったトランストロンメルの経歴に照らして納得できるが、何よりも作品が子規の影響を物語っている。
モダニストの詩人は普通の市民や外国人が読んでも理解できる詩を書いてきた。日常的な題材に始まり、突然、詩的な魔法によって全く別なイメージに変容する。読者を人生の呪縛から解き放つ。異なった要素を持つ言葉を結び合わせ、簡素な日常語に最大の機能を与えて描き出すその絵柄は、読む者の心に深い共感を呼び起こす。
この詩人の目くるめくメタファー(隠喩)は「トランストロンメルの隠喩」として知られる。異なった要素を持つ言葉を結び合わせ、簡素な日常語に最大の機能を与えて描き出すこの絵は、読む者の心に深い共感を呼び起こし、その痛みを慰める。
この稀有な詩質には北欧の情感が濃い。ストックホルムよりバルチック海に至る水路に浮かぶ母方の家での自然との接触が、その起原であろうか。氏はその作品の中でも、憩いのためにも、しばしばこの多島海に回帰する。
トランストロンメルはインタビューに応え、
――(詩を書くときに)自分は幸運な、あるいは受難した楽器のようで、私が詩を書くのではなく、詩が私を探し出し、強制的に私にそれ(詩)を展開させる。
と告白している。そして、詩の本質について、「事物に対する感受、認識ではなく、幻想だ」「詩の最も重要な任務は、精神生活をかたち作ることと、神秘さを明示すること」と述べている。
初出:「リベラル21」2025.6.23より許可を得て転載
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