沖縄返還(1972年)の密約文書をめぐり、NPO法人「情報公開クリアリングハウス」三木由希子理事長が、国の不開示決定取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は3月15日、一審東京地裁判決に続き請求を退けた。
三輪和雄裁判長は、文書は1971年6月ごろには外務省にあったが、2006年4月の不開示決定時点では存在が確認されなかったと認定。決定自体は適法としたが、「廃棄されたとすれば行政組織の在り方として極めて問題が大きい」と指摘した。
西山太吉・元毎日新聞記者ら25人が訴えた「沖縄密約文書開示」裁判の方が一般に知られているが、「情報公開請求訴訟」としての狙いは同じである。最初の訴訟は一審で原告が勝訴したが、国側が控訴した二審(昨年9月29日)で敗訴している。「密約文書の存在は〝推認〟されるが、いくら探しても問題文書は見つからなかった」という牽強付会な理由で、一審判決を覆したのである。
「無いものはない」と強弁
今回の控訴審では、一審に続き原告の敗訴となった。その判決理由を読み、両控訴審に対する司法判断の類似性に驚かされた。要するに、「密約文書を探したが見つからなかった。無いものはないのだから、文書は開示できない」ということだ。ただ、二審判決理由の末尾に「本件文書が通常の場合とは異なるごく特別な方法や態様により保管、管理されて、正規の手続を経ずに廃棄等がされたとするならば、このこと自体は、『法の支配』の下における行政組織の在り方ととしては極めて問題が大きいといえるが、本件の結論には影響しない」(原文のまま)との一文が付記されていた。昨年の西山氏らが原告の二審判決でも同趣旨の〝釈明〟的な文章が記されており、いずれも苦渋に満ちた判決理由だったことに、この「密約訴訟」の暗部を感じるのである。
情報公開請求訴訟の厳しさ
三木由希子理事長は「無いものはないという『本件の結論』は裁判所の限界と、それを踏まえた裁判官の本音が垣間見えるような内容です。……正規の手続きではなく隠匿、廃棄等がされたことは、可能性を超えて蓋然性が相当ある。しかも、『隠匿』という言葉を使っているため、単なる廃棄以外の可能性を指摘している。それは『法の支配』の下にある行政組織として極めて問題が大きい。控訴人である私もそうですが、裁判所も外務省に行って探査、捜査ができないというそもそもの限界があるうえ、文書の存否についてはよほどのリーク等がない限りは、外務省に委ねるしかないという現実もあり、この辺は情報公開訴訟における裁判所の限界が垣間見えます。本来であれば、私が情報公開請求した時点での文書がこの訴訟訴訟での主要な争点なのですが、結論的には、現時点では存在しないので私の訴えは認めらないという判決になるのが、それを物語っているように思います」と、「密約文書開示」裁判の厳しさをブログに記していた。
「情報公開法」施行(2001年4月)前後に外務省が大量に文書を廃棄していた事実は明らかなのだが、国家権力の隠蔽体質は変わっていない。情報公開請求の権利を粘り強く行使して、民主社会の基礎を築く努力を怠ってはならないと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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