〈市場経済と資本主義〉の解明は「ブローデル」による経済理論の発展で

11.16現代史研・永谷報告へのコメント              矢沢国光(世界資本主義フォーラム)

「市場経済と資本主義」に絞って、コメントしたい。「資本主義・市民社会・国家」も重要な論点ではあるが、〈資本主義と国家の関係〉は、資本主義が(先行する長い市場経済の歴史を経て)なぜ18-19世紀イギリスにおいて産業資本主義・国民経済としての成立を見たのかという問題に関わってくるので、〈市場経済と資本主義〉論の中で言及したい。

1 永谷氏の〈市場経済と資本主義〉と「ブローデル」

「…資本は本来流通形態であり、生産関係をなすものではない。しかし労働力の商品化によって(資本は)生産関係の役割を担い、一社会を構成できるようになる。それが産業資本であり、またその一社会が資本主義にほかならない」永谷144P

このような「市場経済と資本主義の区別」に異論はない。資本(価値増殖する運動体)には、カネ貸し資本、商人資本、産業資本の3種類があり、いずれも市場経済を基盤とするが、産業資本の成立によって初めて「資本主義」となる。市場経済から資本主義を区別することによって、資本主義の本質に迫れるからだ。

だが中谷氏の所説を読んでも、「なぜ産業資本は(13-16世紀のイタリアではなく、17-18世紀のフランスやオランダではなく)18世紀末のイギリスに生まれたのか」が不分明である。

永谷氏は「ブローデルをはじめフランスの歴史学者は、両者[市場経済と資本主義]の違いを認識して、資本主義の形成期を分析している。しかし両者がどう違い、どのように関連しているか、となると各人の見解はばらばらになってしまう。…私は、それは歴史学では正確に捉えられないのではないか、原理論においてこそ初めて捉えられる、と考えている」と言われるが、今必要なことは、むしろ、ブローデルから学ぶということではないか。宇野「純粋資本主義・原理論」が〈市場経済と資本主義〉の関係を解明する、世界資本主義の内的叙述(岩田弘『世界資本主義』)になるためには、「ブローデル」の経済史的な方法と知見が不可欠ではないか。

2 資本主義を生み出した「市場経済」とは?

一口に「市場経済」というが、資本主義の成立に関わるのは、いかなる市場経済か。ブローデルは「市場経済」を2種類に分かつ。市場経済Aは売り手(生産者)と買い手(消費者)が相対する「透明な交換」であり、地方的市場である(ただし、バルト海・ダンチヒからアムステルダムへの穀物海上輸送のような広域の定期的取引も含む)。商人や貨幣が登場するとしても、交換を媒介するだけである。市場経済Bは、商人(カネ)が主導する「反市場的」取引(ときに詐欺的、投機的)であり、その典型は遠隔地取引である。資本主義を生み出したのは市場経済Bの方である。[ブローデル『歴史入門』(1995太田出版)による]

3 市場経済Bとは何か?

市場経済Bは「世界=経済」を構成する。「世界=経済」はブローデルの独特の概念で、〈中心-中間地帯-周辺〉の三層構造を持つ一つの経済単位であり、「世界経済」の一部である( 例えば1650年代の三層構造は、中心=小国オランダ、中間地帯=ヨーロッパ(ポーランド、ドイツのライン川、エルベ川、北イタリアまで)、周辺=東ヨーロッパ、南ヨーロッパ(南イタリアも)、米大陸。インドやイスラム圏や中国は別の「世界=経済」である。)

市場経済Bを特徴付ける「商人(商業)・カネ(金融)」は、「世界=経済」の中心たる都市にあって、「世界=経済」を統轄し、中間・周辺の富を中心に集める活動のための神経中枢である。中心都市は、時代とともに変遷する:

[1380年代以降]ヴェネチア→[1500年代に移行]アンヴェルス(アントワープ)→[1590-1610年代に移行]ジェノヴァ(中心であったのは1571-1621の40年間で、国際通貨を支配していた)→[1550-1650年代に移行]アムステルダム→[1780-1815年代に移行]ロンドン

ロンドンで「資本主義」が確立し、その後1929大恐慌で、「中心」はNYへ移行した。

市場経済Bの特質は、その「中心」たる都市の性格と都市を基盤に活躍する世界商業・世界金融のはたらきによって示される。[ロンドン以前の]中心都市は、ヴェネチアにせよジェノヴァにせよ、アムステルダムにせよ都市国家であり、衣食住を自給できず、「交易による金儲け」に依存するしかない[パリは、フランスの自己完結的な広い経済領域の故に、中心になれない]。金儲けの手段は、海運(船舶、海軍力)とカネに加えて、商業・金融のノウハウ(貸付、手形、為替、決済システム、複式簿記…)と支店網(ヨーロッパ中に散らばる同郷出身者)である。中心都市は、ヴェネチアからアムステルダムまで「中心の移行」を繰り返し、そのつど旧い「中心都市」の金融・商業の担い手集団は没落するが、世界商業・世界金融のノウハウと組織(制度)は、引き継がれ、洗練されていく。「世界=経済」の神経中枢としての「世界商業・世界金融のノウハウ・制度」こそ、資本主義を生み出した市場経済Bの実体である。

4 「中心」のアムステルダムからロンドンへの移行が、「資本主義の確立」にとって決定的に重要である。ロンドンがそれ以前の「中心」と異なるのは、①「都市国家」ではなくイングランドという農業・工業を持つ経済領域の「領域国家」である、②戦争費用の調達のための公債の発行と税収による利払いという国家財政を巧みに作り上げ、「国家市場」(国民経済)が成立した、③[おそらく前項と関係のある]ポンド・スターリングの価値の安定性、④世界金融に加えて、〈アメリカ産綿花の輸入―マンチェスターの綿工業―ヨーロッパ・インドへの綿製品輸出〉という世界商業を収益源として持つことができたことである。

5 市場経済は、領域国家のすきまに根を張り領域国家(の産業)に外的に関わる経済から、領域国家(の産業)をその内部に取り込むに至った。その過程で、商人の金融システムは国家の金融システム(公債・租税、中央銀行)を産みだし、商業・金融は、国家的商業・金融(英帝国のインド支配など)と私的な商業・金融に二重化した。

6 領域内の「主権」を相互に認め合う「主権国家」は、18世紀末から19世紀にかけて、「国民」と国民経済による戦争体制としての「国民国家」になった。19世紀後半、ドイツ、フランス、アメリカ、日本等の領域国家の資本主義的工業化は、国民経済と一体となった軍拡競争を促進し、20世紀の二つの世界大戦に行き着いた。その中で「中心国」イギリスは、産業の衰退からシティの金融力に依存する「金融立国」へますます傾斜していく。第二次世界大戦後のアメリカが、イギリスの後を追って、産業の衰退と「金融立国」にすすむ。今日世界経済を混乱に陥れている国際投機マネーの跳梁は、そのなれの果てである。

永谷氏のいう「脱資本主義」は、①戦争体制としての国民国家を不要にし、住民自治組織としての「政府」を再確立し、②産業から遊離したにもかかわらず産業を振り回している市場経済(ブローデルの言う市場経済B)を規制・解体し、「市民投票としての市場経済、需給を推定するコンピュータとしての市場経済」(ブローデルの市場経済Aに近いか)をも産業と経済生活を組織するツールとして利用して、国民経済・世界経済を再編する、ということではないか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔study600:131116〕