これは前回(2012年5月28日)に発信しました『シリア軍事介入を熱望する者たちによる 最も残虐な大嘘』の続編です。6月4日の部分訳に続いて、松元保昭さんのご協力を得て和訳(仮訳)を完成させましたので、改めてご紹介します。
現在、西側世界のマスコミでは、シリア西部の町ホウラHoula(またはフーラHula)で5月25日に発生した大勢の幼い子どもたちを含む大虐殺事件が、あたかもシリア政府軍(および親政府武装集団シャビハshabbiha)によってなされたかのような報道が続いています。しかし実態は真逆であり、殺害された100名を超える人々はシリア政府支持派の住民家族たちであり、その許されざる犯行はNATO(+イスラエル+湾岸諸国)に後押しされたならず者たちと外国人傭兵たちの集団によるものだったのです。
この史上最大級の残虐な大嘘は、世界をまたしても血みどろの戦争へと導こうとしています。
ここでご紹介するは、その事件の事実を記録するグローバル・リサーチ誌の記事です。
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=31184
THE HOULA MASSACRE: Opposition Terrorists “Killed Families Loyal to the Government”
Detailed Investigation
by Marat Musin Global Research, June 1, 2012
ANNA NEWS (Original Russian) and syrianews.cc
関連する情報はこちらのROCKWAY EXPRESS誌(日本語)にもありますのでご覧ください。
20年以上も前に、世界は、駐米クウェート大使の嘘つき娘による米国上院での偽証言とその報道にたぶらかされて、第1次湾岸戦争を経験することになりました。それを口実に米欧の軍産複合体は、バブル崩壊にのた打ち回る日本から1兆7千億円をむしりとったのですが、その戦争での嘘はそれにとどまらず、「油まみれの水鳥」だの「サダム・フセインによる石油放出作戦」だのといった大嘘が後になって明確にされました。
大嘘は必ず戦争と一緒にやってきます。現代という時代ほど、大掛かりで残虐な政治神話に覆われたときは、人類史上に存在しないでしょう。湾岸戦争の後に起こったユーゴスラビア解体・バルカン再編の戦争でも数々の大嘘が明らかにされています。つい最近のアフガン・イラク戦争の大嘘はもはや言うまでもないでしょう。近代の戦争の歴史は西側諸国政治家とメディア、そして民間の「政治神話の憲兵」たちによる大嘘の歴史なのです。
そしていま、再び目の前に、シリアへの軍事介入を熱望するNATO(+イスラエル)とそのメディアによって、ホウラ住民虐殺に関するとんでもない大嘘が登場しています。このような大嘘を「真実である」と吹聴する輩は、きっと、嘘と幻覚で観察眼と思考回路を破壊された単なる愚か者か、何らかの薄汚い魂胆で戦争を待望する者たちかの、どちらかなのでしょう。
シリアのNATO(+イスラエル)傀儡「反政府勢力」は6月4日、ついにその本性をむき出しにしました。こちらのRTニュースによりますと、彼らはコフィ・アナンの和平提案を拒否して(というか最初から和平など考えていないわけだが)国連に「飛行禁止区域」を要求したようです。要するにリビアでの政権挿げ替え工作と全く同じ戦法でやろうとしているわけです。
原発も、経済不況も、戦争も、嘘から出発して嘘を経由し、そして嘘ですべてを支配し破壊するという、同じ構造から現れてきます。その嘘を根底で支えるのが、「進歩」とか「繁栄」とか「民主」とか「自由」などといった大嘘、米欧マスコミが吹聴する単なる幻覚なのです。誰かがこれを言わないと人類全体が破滅させられる!
現在のところ、このNATO(+イスラエル)の「人類破壊」を食い止めることができるかどうかは、ロシアと中国の決意だけにかかっているという情け無い状況のようです。そのなかでシリアでは次々と新しい虐殺事件が発生し続けています。
(6月7日 バルセロナにて 童子丸開)
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ホウラ虐殺事件 反政府テロリストが「政府に忠実な家族を殺した」
詳細な調査
マラト・ムシン著
Global Research, June 1, 2012
ANNA NEWS (Original Russian) and syrianews.cc
グローバル・リサーチ編集者からの注釈 ロシアの独立ジャーナリスト、マラト・ムシンによるこの独占記事は、西側メディアの嘘と捏造をはねつける。
この記事は目撃者証言と同時に時系列の事件記録に基づくものである。ホウラに住む親政府派住民家族が皆殺しにされた。テロリストは、西側メディアによって一斉に吹き込まれているような親政府軍事組織シャビハではなく、大部分が、自称「自由シリア軍(FSA)」の庇護の下で動く傭兵たちとプロの殺し屋たちだったのだ。
『反乱者たちが町の中心部にあり地方警察署の隣に位置する一般検問所を掌握したときに、彼らは近隣の住宅で、政府の役人たちに忠実な家族を一掃し始めた。それには老人、女性たち、子どもたちも含まれる。
アル・サイエドの数多くの家族が殺されたが、そこには20人の幼い子どもたちとアブドゥル・ラザクの家族が含まれていた。人々はナイフと至近距離からの射撃で殺された。
そして彼らは殺害された者たち(死体)を国連と国際社会に対してシリア軍の砲撃による犠牲者であると紹介したが、その死体にはそのことを示すどんな印も無かったのだ。』 我々は読者に、この記事を遠く広く伝えフェイスブックに掲載するように呼びかける。
シリア政府はこのホウラでの虐殺で何の明らかな証拠も無いまま非難を受けつつある。そのようにする目的は、シリアを政治的・経済的に孤立させることばかりでなく、シリアにおける「人道保護責任(Responsibility to Protect :R2P)」の戦争の口実と正当化を広げることでもある。
米国の国連大使スーザン・ライスは、もし安保理事会が動かないのなら、米国とその同盟国は「アナン和平計画や(国連安保)理事会の権威の外側で行動を起こす」かもしれないという考えを示唆している。
このマラト・ムシンによる記事は、人道に対する犯罪がテロリストの軍事組織によってなされつつあることを明確にする。
戦争を起こす口実として一般市民の死を利用する戦争プロパガンダの流れを逆転させることが肝要だ。それらの市民殺害は政府軍ではなく米国・NATOの支配下で活動するプロのテロリストたちによってなされたからである。
ミシェル・チョスドフスキー、 グローバル・リサーチ、 モントリオール 2012年6月1日
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2012年5月25日は週末(金曜日)だったが、午後2時ごろになって、ホムス地域の町アル・ホウラを大勢の武装グループが占領した。アル・ホウラにはタルドゥ、カフル・ラハそしてタルダハブという3つの地区があるが、それぞれには元々2万5千人から3万人の人々の家庭があった。
その町が、700人にのぼる悪党・傭兵グループからの襲撃を受けたのである。その武装集団は、アル・ラスタン(テロ集団アブドゥル・ラザク・トラスに率いられた自由シリア軍のアル・ファロウク部隊、250人)、アクラバの村(テロ集団ヤヒヤ・アル・ヨウセフに率いられる)やファルラハの村の地方のならず者たち、そしてアル・ホウラの者たちによってなりたっていた。
アル・ラスタンの市街地はほとんどの市民が長い間住んでおらず放置されていた。いまやレバノンから来たワハビスがそこを支配しているが、彼らは国際テロの主要な組織者の一人サアド・ハリリから資金と武器を供給される。この男は、反シリア政治運動「タッヤール・アル・ムスタクバル」(「未来運動」)の指導者である。アル・ラスタンからアル・ホウラへの道はほとんど政府軍のコントロール外であるベドゥイン地域を通っているため、シリア政府にとってこのアル・ホウラへの武装襲撃が寝耳に水だったのだ。
反乱者たちが、町の中心部で地方警察署の隣に位置する一般検問所を掌握したときに、彼らは近隣の住宅で、政府の役人たちに忠実な家族を一掃し始めた。それには老人、女性たち、子どもたちも含まれる。アル・サイエドの数多くの家族が殺されたが、そこには20人の幼い子どもたちとアブドゥル・ラザクの家族が含まれていた。殺された人々の多くは、スンニ派からシーア派にあえて改宗したという事実によって「有罪」だった。人々はナイフと至近距離からの射撃で殺された。そして彼らは殺害された者たち(死体)を国連と国際社会に対してシリア軍の砲撃による犠牲者であると紹介したが、その死体にはそのことを示すどんな印も無かったのだ。
国連の監視団が夜中にホムスのサフィル・ホテルでアル・ホウラに向けて発射される砲声を聞いたなど、私にとっては悪い冗談以外の何ものでもない。ホムスとアル・ホウラの間は50kmもあるのだ。どんな戦車や大砲の射程距離になるのだろうか? そう。午前3時までホムスで重火器を含む集中した砲撃があった。しかし、一例を挙げるなら、月曜日から火曜日にかけての夜にあった砲撃は、ダマスカスへの道に沿ったタリク・アル・シャムの治安回廊のコントロールを回復させるために、治安部隊によって行われたものであった。
アル・ホウラの視察の後では、新しい破壊や爆撃や砲撃の痕跡を見つけることは不可能である。日中にはタルドゥの検問所で最後に残る兵士たちに対して、狙撃手による数多くの攻撃がなされている。武装勢力は重火器を用い、プロの傭兵からなる狙撃兵の動きは活発だった。
次のことに注意せよ。シュマル(ホムス)で全く同じ挑発行為が失敗して兵士と女性と子どもたちの49名が殺されたが、そのときにはコフィ・アナンの訪問が行われる寸前だった。その際には、それらの死体があらかじめ誘拐されていた人々でアラウィテスに所属していたことが明らかにされてすぐに、挑発行為であると判明してしまった。今回の挑発行為では同様に重大な矛盾が現れた。その犠牲者たちの名前が国家の指導者たちに忠実な人々のものであったこと、また爆撃の後が何も無かったこと、などである。
しかしながら、その挑発マシンはすべて全く同じ走りをしている。今日、NATO諸国はシリアを爆撃すると直接に脅迫している。そしてシリア大使たちの一斉追放が始まっている…。今日はすでに、アル・ホウラの中には全く軍隊がいないというのに、自動小銃の射撃音が絶えず聞こえている。おまけに、武装勢力同士が戦っているのかどうか、あるいはバシャール・アル・アサド支持者たちが消し去られているのかどうか、はっきりとはしない。
武装勢力はその国境の町に近づこうとする実際上全ての人に銃火を浴びせた。我々の以前に、国連の車両が銃撃され二つの国連監視団の武装ジープが被害を受けた。彼らがタルドゥにある軍事検問所に向かって進もうとしたときである。
この車両への攻撃では、ある20歳のテロリストがチェックされた。銃口は最初のジープの無防備なスロープが狙われ、2台目の武装した車の後ろのドアに破片が引っかかった。それらの随行員の中に複数の負傷者がいる。
負傷した兵士の話によれば:
『翌日、国連監視団は検問所にいる我々のところにやってきました。そして彼らが到着するやいなや、銃を持った男たちが彼らに発砲しました。そして我々のうち3人が怪我をしたのです。一人は脚に、一人は背中、そして私は腰をやられました。
監視団がやって来たとき、彼らにはそばに立っていた一人の女性の泣き叫ぶいている声が聞こえました。その女性はそこで監視団員に助けを求めたのです。悪党どもから守ってほしいと。私が怪我をしたとき、監視団員は私が倒れるのを見たのですが、誰も私を助けようとしませんでした。我々の検問所はもう存在しません。タルドウにはもはや住人はいません。武装集団がいるだけです。我々と地元の人たちとの関係はすばらしいものでした。彼らは我々に良くしてくれ、軍をタルドウに入るように求めました。我々は狙撃兵に襲われたのです。』
不幸なことに、武装集団の多くはプロの狙撃兵である。我々TVクルーの集団から100~200m離れた場所で、武装集団は、検問所の兵士を交代させるためにやってきた戦闘車両を襲った。この間に一人の召集兵士が倒れたが、彼は狙撃手の弾丸で頭に軽い擦り傷を負っていた。その穴の開いた防弾ヘルメットを見ながら、彼は生きているのが奇跡的であることすら信じられないようだった。
狙撃兵たちは検問所で毎日10人にのぼる警察官と兵士を殺している。ホムスで治安部隊の1日の死者は何十人にもなっていた。それは本当だ。そして不幸なことに午前10時には6人の兵士が死体置き場に運ばれた。ほとんどの者たちが頭を打ち抜かれていた。しかしその日は始まったばかりだったのだ…。
そしてこれが5月29日の早朝に狙撃手に殺された兵士たちの名前だ。
1. 軍曹イブラヒーム・ハルユーフ
2. 軍曹サルマン・イブラヒーム
3. 警官マハマッド・ダナベル
4. 召集兵アリ・ダーヘル
5. 軍曹ビッサーム・ハイダール
6. 死んだ兵士の姓は明らかではない
その悪党どもは我々ジャーナリストのグループにすら自動火器を浴びせた。武装していない民間人からなる普通の撮影クルーであると明らかであったにもかかわらず。
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襲撃がどのように始まったか
5月25日の午後2時ごろに金曜日の祈りが終わった後で、アル・アクシュ一族のグループが検問所の治安部隊に対して、迫撃砲からロケット榴弾まで用いて、攻撃を開始した。反撃するBRDMからの弾丸がモスクに当たり、このことがより大きな挑発を導くという狙い通りになってしまった。
続いてテロリストのニダル・バッコウルとアル・ハッサンに率いられたアル・ハラク団の2つの武装集団が、傭兵部隊に援護されて、市の東側郊外にある上級検問所を攻撃した。15時30分には上級検問所が攻略され、捕虜たちは皆殺しにされた。スンニ派の召集兵の一人がのどを掻き切られた一方で、デイル・ゾールのアブドゥラ・シャウイ(ベドゥイン)は生きたまま焼き殺された。
東側にある上級検問所の攻撃の間に、武装集団の25人が死んだが、それは民間人の死者108人といっしょに国連監視員の前に運ばれた。その108人はシリア軍の爆撃と砲撃によって殺害された「体制の犠牲者」だとされたものだ。幼い子ども38人を含む83人の遺体について言えば、彼らは武装集団によって処刑された家族たちであった。これらの家族はすべてシリア政府に忠実だったのである。
治安部隊員へのインタビュー
「私の名前は、アル・コサーム、治安部隊員です。私は、ホムス州アル・ホウラ地区タルドゥ村の担当でした。金曜日にわれわれのチェックポイントは、武装集団の大規模なグループに攻撃されました。何千人もいました。
Q:どのように身を守ったのですか?
A:簡単な武器だけです。我々は20人でした。我々は助けを呼びました。人々がやって来たときには私は負傷しており、病院で意識を回復しました。襲撃者たちはアル・ラスタンとアル・ホウラの者たちでした。反乱者たちタルドゥを支配しています。彼らは家々を燃やし人々を家族ごと殺しました。政府に忠実な人たちだったからです。女たちをレイプし子どもたちを殺しました。」
負傷兵へのインタビュー
「私は、マンベイ市のアフマド・モハンマド・アルカーリィです。タルドゥで負傷しました。私は仲間を助けるための支援部隊に属していますが、彼らは検問所にいたのです。
武装集団は検問所の外にあった一台の装甲車と二台の歩兵戦闘車両を破壊しました。我々は負傷した仲間を連れ出すために歩兵用戦闘車両(BMP)で検問所からタルドゥに向かい街の中に入りました。我々は彼らをBMPの中に連れ戻し、彼らと交替しました。
そしてしばらくして国連監視団員が来ました。彼らが我々のところへ来たので、悪党どもに切り殺された家族の家々に案内しました。
私は一つの部屋で3人の兄弟とその父の一家の死体を見ました。別の部屋では死んでいる幼い子どもたちとその母を見つけました。そして別にもう一人老人がその家の中で殺されていました。男は5人だけで、あとは女たちと子どもたちです。女性はレイプされ、頭を撃ち抜かれていました。私はその女性に毛布を覆せました。委員会メンバーはそれらのすべてを見ました。彼らはそれらの死体を車に乗せ走り去りました。私はどこへ連れて行ったのか知りませんが、たぶん埋葬するのでしょう。」
警察本部の屋上で、タルドゥの担当官
「金曜日の午後、私は家にいました。銃声が聞こえたので、何が起きたか見ようと外に出たら、軍の検問所の位置に向かって北側から発砲されているのがわかりました。軍が撃ち返さなかったので、彼らは家々に近づき始めましたが、その結果としてその家族は殺されました。軍が撃ち返し始めたとき、彼らは女たちや子どもたちを人間の盾として利用して検問所に向かって銃撃を続けていました。軍が反撃を開始したら、彼らは逃げていきました。その後、軍は生き残っている女たちや子どもたちを連れ出し、安全な場所に運びました。この時にアルジャジーラは、シリア軍がアル・ホウラで大虐殺を起こしたと語り映像を放映したのです。
実際には、彼ら(武装集団)がアル・ホウラで民間人や子どもたちを殺害したのです。ならず者どもは、自分の仕業を実行するためには誰であろうと容赦しませんでした。彼らは手に入れられるものは何でも盗みました。麦でも粉でも石油でもガスでも。大部分の戦闘員はアル・ラスタン市の者たちです。」
街を占領したあと彼らは、死んだ仲間の遺体を、彼らが殺害した子どもたちや人々の遺体といっしょにモスクに運びました。KIAの集配用トラックで遺体を運びました。5月25日の午後8時前後、すでに死体はモスクの中にありました。翌日の午前11時に国連監視団員がモスクに到着したのです。
メディアのニセ情報
ロシアと中国の世論に圧力をかけ立場を変えさせるために、ロシア語と中国語で書かれた記事と解説が前もって準備されていた。こうだ。「シリア―ホムス―ホウラ市。ホウラの街でシリア政府の軍隊によって民間人に対する恐るべき大虐殺が犯された。何十人もの犠牲者が出てその数は増え続けているが、主に女性と子どもたちが残酷にも都市の無差別爆撃によって殺害されたのである。」
2日後の5月27日に、住民の話とビデオ記録によって、砲撃と爆撃という主張が事実とは相容れないことが明らかにされた後、あの悪党どものビデオには重要な変更が為された。説明の最後に次の後書きが加えられたのだ。「そして幾人かはナイフで殺害された。」
マラト・ムシン、オルガ・クリギーナ シリア、アル・ホウラにて
Original text / source: http://maramus.livejournal.com/86539.html
video: Russian
http://www.youtube.com/watch?v=3o-79NY56hE&feature=player_embedded
【以下省略: 翻訳ここまで】
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1966:120608〕