「ショック・ドクトリン」は《惨事便乗型資本主義》と訳される。「ショック=大惨事」が多くの人を震えあがらせる事態に付け込む経済政策を批判的にいう。権力が国民を震えあがらせてその意思を貫徹することでもあり、資本主義の歪みが大きな惨事の際に増幅されて顕在化することでもある。
多くの人の心理的な不安に付け込もうという輩は、この世に満ちている。惨事便乗型悪徳商法、惨事便乗型政治手法、火事場泥棒的な改憲提案や立法策動が絶えることはない。惨事が蔓延する非常事態には、常にも増して為政者に欺されぬよう警戒が必要である。市民の側に、「ショック・ドクトリン」への耐性が必要なのだ。
コロナウイルス禍は、今や陽性者が増加し、死者も増えている。多くの人に危機意識が募っている。これは、戦時を除けば、滅多にない惨事であり非常事態である。このようなときにこそ、身構えよう。この危機意識に付け込まれてはならない、非常事態宣言がなされたとして、すべてを行政に委ねてはならない。口を封じられてはならない。批判を続けなければならない。
一昨日(4月3日)の毎日新聞夕刊『特集ワイド』が、「この国はどこへーコロナ禍に思う」シリーズとして島田雅彦のインタビュー記事を掲載している。
彼の危機感は、こう整理されている。
<新型コロナウイルスの政治利用例
1 検査をせず感染者数を抑え、対策は万全とアピール
2 政府の無為無策隠し
3 対策に乗じた関係企業への利権誘導
4 経済政策失敗の隠蔽
5 議員に感染即国会中止
6 緊急事態宣言、大政翼賛復活
服従は悪への加担。抗議するなら今のうち>
そして、島田はこうも言う。
「安倍政権は数の論理にあぐらをかいて、(自衛隊の中東派遣など)国の重要方針を閣議決定だけで決め、国家予算にしても私的な乱用が目立ちます。ナチス・ドイツや米ブッシュ政権もそうでしたが、政治が密室化し、限りなく独裁に近い状態です」。
《何をやってもヨイショしてくれるマスメディア、不正を常に不起訴にしてくれる検察、逮捕されそうな仲間を助けてくれる警察(中略)、これだけ揃えば……》
コロナ禍なくしてこのとおりなのだ。いま人びとの危機感高まりつつあるこの非常時には、「挙国一致」「国家総動員」などという国民統合への同調圧力が強まることになろう。その最悪の事態が、島田雅彦も言及する「緊急事態宣言⇒大政翼賛復活」である。
既に悪質な右派勢力から、「今、悠長に議論を重ねているときではない」「政党同士が角突き合わせている時期ではない」「政府が効率よく果敢なコロナ対策ができるよう環境を整えなくてはならない」という、大政翼賛型政治を望む論調が出始めている。
大政翼賛政治が政府の専横を許し、国の方針を誤らしめ、国民を塗炭の苦しみに陥れたことを忘れてはならない。
「ショック」たる事実を冷静に正確に受けとめて議論を重ねることで、政府の恣意的な専横を許容する「ドクトリン」を防ぐことが可能となる。「ショック・ドクトリン」の成果として、大政翼賛型政治を許してはならない。また、そのような議論と対決しなければならない。
(2020年4月5日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.4.5より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=14629
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9617:200406〕