《未確認情報を如何に整理するのか?》(1)沖縄独立と韓国・日本21世紀の歴史的相克から(2)社会主義・世界革命・アジア革命外交的(3)人間解放までの歴史的整備術

鬼が笑う明日を語り続けよう。

過去の悲惨から学ぶことは出来ても変えることが出来ないからであり、変えられるのは、〔現在〕であり、明日であり、近未来でしかないからだ。

具体的で目に見えるわかり易さ、手に取れるものとして未知への不安を払しょくしていきたい。

その道筋が、繰り返し理解していかねばならない、鍛えなおさねばならないテキスト化であり、結集されるべき「ちきゅう座」知性の結集として期待されている唯一とも言える左派リベラル連携としての提言となろうからだ。

 

あっちもこっちも興味深いものが同時進行していてそれを如何に整理していくべきか「思考停止」に陥ってはいられない。苦闘を共有しながらも脱していかねばならない正念場がある様に思うのだ。

 

何が、優先課題であるのだろうか?

一人で背負い込むのではない、連携する可能性。社会主義的連帯と協力を庶民の中で築くことが出来るのか?

それが、ちきゅう座的にもオールジャパン的にも最大の問題となっているのであり、また、ちきゅう座と植草一秀氏の提言するオールジャパン連携、協力の可能性は、どの様に、開始されるのか?

または、他にも有効なる具体的な提言と実践をなしている組織や個人を見出し、輪を作っていけるのか?

「解釈するだけではない、変えていく」連携を密にできるのか?

時間との戦いとなっているのを感じるのだ。

 

憲法論議から考えるなら「平和」であり、運動の中心もある意味「平和」=「現状維持」=「保守」でもあるのだから、「戦争」も「革命」も「内乱」も畏怖として、捉えかねないから、「マルクス」も「社会主義的平和」も一面体制や権力側からのタブーとなっているだけではなく、庶民の側からも自制されて来た経緯があろう。

それをどの様に情報を整理して「真の平和と共生」たれるのか?

または、「混乱」させてきた教育や知性の沈黙、重い口を開き始めたちきゅう座の書き込みの数々を頼もしく感じ感謝の気持ちでいっぱいであったわけです。

 

成熟社会と社会主義(社会主義理論学会第69回研究会)のご案内

https://chikyuza.net/archives/53559

マルクス経済学に一言

https://chikyuza.net/archives/53596

スペイン「ポデモス」の大躍進:「勝てる左派」と「勝てない左派」

https://chikyuza.net/archives/53610

などなどです。

更に、

社会理論学会第23回総会・研究大会(自由論題の部)の案内

https://chikyuza.net/archives/53223

などもあり、細分化したるアソシエーション(自由連合)から組織と組織の対話を持って、連帯して、事に向かわねばならない局面に来ている様に思えるのは、日本の政治そのものが、野党の細分化に対して、官業アメリカ及び、自民党独裁と言う帝国の独占政治が、続いていると言う植草一秀氏の指摘が、的を射ている状況に対して、まさに、こちら側の「平和憲法」「平和運動」死守とする民衆側としても連帯して当たらねばならない根拠をピケティ氏も指摘して間がない、決して、喉元過ぎるブームとしてはならないのは、311や原発事故被曝問題と同じくその根底にある真の敵である「格差」「階級」「搾取」たる「資本主義」の問題点との対峙を忘れてはならない「人類解放」としての宿願であろうからです。

 

野党再編は数合わせでなく政策基軸に進めるべきだ

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-563c.html

植草一秀先生の指摘が、最も的を射ているものの様に僕には感じられてなりません。

 

さて、先ほどまで観ていた『池上彰緊急スペシャル!』(6月5日21時~23時)

http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/150601-170.html

からなのですが、韓国の嫌日本の歴史的本質論の解題からもやはり、日本人は、現代史を知らされずに来ている一面を垣間見せられているわけです。

池上彰氏でなくとも「これはまずいな」と思うでしょう。

しかし、韓国も10大財閥問題を抱えている資本主義(帝国主義)の日本の似姿を持っているのであり、「国家間の外交問題」と内政としての「民衆の社会主義的成熟」は、如何なる関係にあるのかと言う事、解決すべき優先順位とは何か?

それの整理術と実践とは何かの問題に他ならない。

 

同じ問題を抱えていたドイツの『言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集』(岩波書店)よりを引用したる池上彰氏の平明化したる解説は見事であり、「日本の無責任体制」としての「欠如」性を浮き彫りにしていた。

と言うよりも「ポツダム宣言」から憲法学者の揃いの違憲判断まで日本の政治と知性を貶め続けている指摘は後を絶つものではないのだ。

ポツダム宣言「当然、読んでいる」との 内閣答弁書の欺瞞

https://chikyuza.net/archives/53594

テント日誌6月3日…安保関連法案、すみやかな廃案を求める憲法研究者の声明

https://chikyuza.net/archives/53634

【集団的自衛権問題研究会 News&Review :特別版 第2号】 (2015年6月6日)

https://chikyuza.net/archives/53654

 

安倍内閣は、愚行を繰り返し、延命だけを目的としている。

 

池上彰氏は、日本の似姿鏡としての「日本」の帝国主義「財閥」「格差」政治的独裁性、民主主義破壊、政党政治破壊、植草一秀氏の言う既得権益「二大政党制」確立としての欺瞞へのすり替えの危険性を「韓国」政治史のひも解きから「日本」そのものとの収斂性として語る事に成功していたように思える。

 

今晩は、日本についての2時間SP「ニュースそうだったのか」(テレビ朝日系列)がある。

http://www.tv-asahi.co.jp/ikegami-news/

 

日本人としての全体主義の中に、民衆はあるのか?日本の「財閥」「格差」の構造とは。それは、大きすぎる問題であり、韓国を題材に語るのが精いっぱいでもあるだろう。そこから推し考えるばかりである。

地方自治としての「福島原発事故被曝問題」や「オール沖縄」連帯の問題があり、さまざまにデーターがあり、その整理と共有テキスト化が急がれているように思う。

 

【閲覧注意、日本が第1位】

http://tsguide.jp/?p=1889https://www.facebook.com/cienciahoje/videos/706346856061764/

絶望的時間との戦い、そして、政府や企業は、それを隠蔽しながら骨の髄までしゃぶり切って見捨ててでも自分たちだけでも海外逃亡すると良いくらいにしか考えていない「無責任政治史」を貫き続けている。

それは、これまでも繰り返し、断層的にも述べられてきたものであるだろう。

「韓国」と同じく、日本政府の「無責任支配」に怒らねばならない。同じ位相に、「屈辱の日」オール沖縄もあり、オールジャパンも独立宣言としての戦いを開始し、真日本としての民衆政治を開始しなくてはこのまま「飼い殺し」「奴隷」状態のままにあると言う怒りこそが今であり、遅すぎたと言う事に他ならない。

その遅れは、「教育の破壊」であり、知らされず、無知のままに放置されて来た民衆であり、政官業アメリカ支配に対する「既得権権益二大政党制」としての偽民主制へのすり替え支配であり、それを打破せよと言う植草一秀オールジャパンを明確に理解し広報していかねばならないと言う事である。

 

(1)沖縄独立外交は可能か?(沖縄大統領制独立へ!)

 

沖縄独立論から日本沈没論へ。沖縄独立で日本は滅ぶ。

http://revolutio.exblog.jp/21854723/

 

日本国民も日本政府の無責任体制、歴史的無責任政治に怒り、呆れて投票さえ拒否している状況であるのは、確かである。

日本は、このまま自民党に民主主義破壊政治、帝国独占としての政官業アメリカに独占、更に、メディア支配まで、独占し続けている「人間性破壊国家」に呆れて、沈黙し、賢明な人々も「投票さえ拒否」しだしている。

「ここに民主主義は存在しない」と唾棄し始めているように思うのだ。

 

独善的とならないギリギリの良心が、池上彰氏であり、植草一秀氏である様に、僕は、そこに結集していく必要を感じている訳である。

(不確かでありながら藁でもすがらねばならない知性としての一明の光を途絶えさせてはならない)

 

野党再編は数合わせでなく政策基軸に進めるべきだ

http://revolutio.exblog.jp/21854984/

 

数合わせではない政策基軸とは如何に可能であるのか?

 

(2)社会主義・民衆党と外交政策について。

(3)人間解放の知性・整備術

 

今回、インターネットやツイッターについての《未確認情報性》についてどう処理されるべきかを主題としていたわけですが、

阿修羅掲示板(ウィキペディア)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BF%AE%E7%BE%85%E6%8E%B2%E7%A4%BA%E6%9D%BF

山崎行太郎(ウィキペディア)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E8%A1%8C%E5%A4%AA%E9%83%8E

 

池上彰ファンクラブ

http://www.akiraikegami.com/book/

 

阿修羅は、植草一秀ブログリンクから飛べるからその内容によって興味深くもあるのですが、オウム的政府批判性?体制側中傷?などもあり、ちきゅう座の様に、顔の見える総会があるわけでもなく、2チャンネル的延長としての「巨大掲示板群」として、日本の不確かなインターネット使用の一つであるのかもしれない。

 

オレオレ詐欺被害もカジノ資本主義被害も拡大する中での「人間不信」社会たる資本主義から脱する未来としての「平和と共生」は如何に、取り戻せるのか?

それは、真の社会主義であり、植草一秀氏の6月12日の学習会への期待をつなぐしか今はないようにも感じる「絶望」がこの国の「独裁」と「格差」に向けられているのである。

 

マルクス経済学に一言

http://revolutio.exblog.jp/21854985/

 

更に、同時に、知性としての混迷、社会主義経済学の核たるマルクス経済学の暗礁は、痛いものであり、整合的再体系化を急がねばならない。

 

若干の読解にて、今回は、終えておこうと思う。