《異沌憤説》6 「やまゆり園事件」の裁判と死刑判決で考えさせられたこと ~死刑の無効性、自己否定と自己攻撃、優生思想とケア労働の状況など~

神奈川県の知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)での、施設職員による残虐な殺傷事件。その裁判で横浜地裁が言い渡した判決は「死系」だった。裁判で「真実」が明らかになるとは、思えるはずもなかったが、多くの考えるべき課題は残された。

死刑の根本的矛盾が曝されるとともに、優生思想に対峙する困難さ、植松聖被告(当時)を歪んだ観念を持つに至らしめた職場環境(特に介助・ケア労働への正当ではない社会的評価)、人は何かの目的を持って生まれてきたのか(何かに役立つ必要があるのか)などなど、いくつもの難問が思い浮かぶ。

そんな問題の一端について、死刑への仏教の立場からの批判的問題提起をされてきた知己の禅師への手紙で触れてみた。やっと考えた論考なので、投稿する。

 

❖【「殺さしめる」ことと死刑制度】

まず、あらためて、仏教では「殺すなかれ」だけではなく、「殺さしめるなかれ」としていることの重みを考えました。「殺す」ことと「殺さしめる」ことは同一、もしくは「殺す」ことよりも「殺さしめる」ほうが罪が重いのかもしれません。そして「死刑」とはまさに「殺さしめる」制度です。権力(国家)が、または社会大衆の合意が、「殺さしめる」のです。

権力が「殺さしめる」行為の典型は「戦争」です。戦争では、多く殺せば栄誉が与えられる、という形で「殺す」ことが奨励されます。 こう考えると、戦争に反対しながら死刑を認めるのは、矛盾しています。憲法9条を守れと言いながら死刑を認めるのも、同じだと思います。

 

津久井やまゆり園での凄惨な殺傷事件の横浜地裁での裁判。審理をするまでもなく、どれほど審理を尽くしても、結論は「死刑」しかありえない裁判だったと思います。たとえ心神喪失であったとしても、こじつけのようでも死刑、無罪などありえないことだったでしょう。そうでなかったら、横浜地裁は社会大衆による非難で“炎上”し、判事と裁判員は身の危険に晒されかねなかっただろう、という気がします。

つまり、社会大衆の多くは恐らく残虐な殺人者を許すな、勝手な妄念を振りかざし狂気の殺傷を実行した、とんでもない考えの奴は人間じゃない、ああいう奴がこの社会に居ては困る、だから死刑にして当然と考えているでしょう。死刑制度支持の世論(せろん)は8割ほどもあるのですから。社会大衆の多くは、「殺さしめる」ことに加担しており、そのことに気づいてさえもいないのです。

 

付け足せば、死刑判決に批判を持つ人の多くは、死刑制度に反対の立場だと思いますが、たぶん、それ以上に、植松聖という人(今は死刑囚)の妄念と同じ優生思想観、差別観、能力主義観などが、自分の中にはないとは言えないという想い、自覚そして自責の念を持っています。それ故に、彼を死刑にして事が済むとは考えられないのだと思います。

 

❖【「生きる価値」を奪う死刑】

植松という多数を殺傷した人が、死刑囚となり、本人も自らの意志でそれを受け入れました。裁判は終わりました。この犯罪の真相が解き明かされないままに終わってしまった、とも言われています。しかし、それを裁判に求めるのは、無理なことだったという気がします。というよりもむしろ、もしかすると、植松(死刑囚という“敬称”には馴染めないので、ここからは敬称抜きにします)による「劇場」とされ、彼のもくろみ通りの展開と結末となってしまったのではないか、という気もいたします。

植松は、自分の信念(つまり妄念ですが)を主張し続け、自説を撤回もせず心神喪失も否定し、反省もしませんでした。「正気」で実行した殺傷だと、自ら言い張ったのです。そして、その結果として死刑判決を受け、控訴を拒んだのでした。彼は、目的を果たしたのではないか、と思わずにはいられません。

 

死刑判決を下されたということは、植松は「この社会に存在することが許されない者だ」と判定されたことになります。死刑制度は、生きる価値を国家社会の名で奪い取る制度です。「生きる価値のない存在がある」という考えを認めなければ成立しない制度です。生命を奪われてもいい(殺されてもいい)存在があることと、国家・社会には「殺す権限」があることとを認める制度です。そして、8割の人びとが、それを認めていることになります。

 

植松は、彼自身の気持ちの奥底(心底)でおそらく、コミュニケーション(意思疎通)ができず(解かってはもらえない)、役に立たず(生産性が乏しい)、生きる価値がない存在だという「自己否定感」という自己認識に囚われていたのではないか思います。だから、その自分が死刑になることは、彼の中では矛盾のないことと受け止め得るのではないでしょうか。

だとすれば、「生きる価値のない存在」は殺してもいいと、死刑判決によって国家が認めたと、彼には思えたのではないでしょうか。「おれの考えは、本当は正しいのに、世の中は本音を隠して、建前で覆われているのだ」と。国家や社会にとって「生存を許せない存在=社会に居てもらっては困る存在=存在価値のない人=生きる価値のない存在」を社会から排除・抹殺するのを認めているではないか、死刑制度で、というわけです。そして、その制度の適用の判定は国家・社会、または社会大衆の世論によりますから、世論の動向によっては障碍者やユダヤ人が対象にされたりもするわけです。

 

◆【自殺願望?を果たすことになる死刑執行】

植松の残虐な殺傷行為は、彼の妄念の現実化としての実行という側面とともに、もしかすると、意思疎通不全、役立たずで存在価値のない自分自身の影を障碍者の上に見て、障碍者を攻撃することで自分自身を攻撃したのではないか、と感じています。その意味では、ある種、自傷・自殺行為という側面があったのではないか、という気がしてならないのです。

彼が死刑判決を自ら受け入れたのは、津久井やまゆり園での凶行の彼にとっての締めくくりが死刑判決、つまり自分の死だったからではないか、と思わずにはいられません。自殺願望を彼は果たせた、ということです。死刑判決には、こんな意味もあるように思います。

 

彼は恐らく、施設における障碍者、特に重度の障碍者の状態を見ながら、施設の「職員の」対応に、どこか批判的に見ていた時期があったようです。と同時に、自己否定感が蓄積されていく中で、その自分と重度障碍者が重なって感じられるようになっていったのではないでしょうか。しかし、社会に自分の存在を示さずには死ねないと、事件を引き起こしたのではないかという気がします。それ故に事件は、彼にとって、「意思疎通不全・役立たずで存在価値のない重度障害者」を「処分(殺害)」することで「社会の役立った」自分を示すとともに、同様の自分自身をも「処分(死刑)」することと、本人は自覚してもいたのではないか、と考えてみたいと思います。

 

◆【妄念に陥れた、生産力・成果主義の価値観の社会と職場】

横浜地裁での裁判の過程でとても気になったことは、植松という人が職場である津久井やまゆり園で、仕事をしながら、変貌していく姿、その経過です。知的障碍者が集団で生活する福祉施設で、当初は障碍者に対して優しい気持ちを示したり同僚職員の態度を批判的に見たりすることもあったという植松が、「意思疎通できない重度障害者は不幸」「生きる価値がない」「安楽死させるべきだ」などと、なぜかズブズブの優生思想に染まっていってしまうのです。

 

だとすれば、この福祉職場に、彼を変貌させた、何か大きな要因が潜んでいると、考える必要があるのではないかと思います。

福祉施設の職員の障碍者への乱暴な扱いや態度は、時折伝えられます。津久井やまゆり園でも、そのようなことがあったらしいことは、植松の法廷での発言からも伺えます。でも、それが彼の変貌の要因だとは考えられません。あえて言えば、そのような職員の障碍者への態度を正すことのできず、きちんと伝えることも止めさせることもできない自分の無能力感や役立たず感、不全感へのいら立ちが、彼の意識を歪ませていったのかもしれません。

 

しかし最も大きな要因は、福祉(ケア)の仕事に対する社会の見方や評価の在り方にありそうな気がします。もしかすると植松の目には、福祉の仕事が献身的で慈愛的で尊い仕事とされる一方で、何も生産しない「無駄遣い」の、だから社会の役に立たない仕事、と見えるようになっていたのではないか、と考えることができそうな気がします。これは、社会に潜む見方の反映だと考えてもいいのではないでしょうか。

これは、障碍者福祉や介護などケア労働の仕事への処遇が、つまり賃金が低いのは、もしかすると社会の底流に、このような見方がひそかに流れていることの表れではないか、という気がしてなりません。生産力主義、成果主義、生産性要求の社会の価値観です。新自由主義の社会で強まってきた考え方です。最近は学校教育に於いても、役立つ知識、生産性などの能力が強調されるようになってきています。

商品価値、流通的価値、金銭的(資本的)な価値を産出することに、何の意味もないとは言いません。物質的な価値も必要でしょう。しかし「いのちを支える」仕事、精神をエンパワーする仕事は、そうした価値を作り出しはしないかもしません。しかし、ケア労働が生み出す価値は、人間社会にとって限りなく尊く重いもので、もっと尊敬されるべきなのです。こうした見方考え方が植松に届き支えていたなら、と思うと残念です。

 

◆【自分の主としての「自己」の崩壊と妄念への依存】

もう一点、植松の精神、意識、ものの考え方、無意識など(それを「心」と言っていいでしょうか)が、歪んでいくとともに、彼自身の主体としての「自己」が崩壊していったことを見落としてはならないと思います。

「自己こそ自分の主である。他人がどうして主であろうか?」「実に自己は自分の主である。自己は自分の帰趨(よるべ)である」(いずれも『ダンマパダ』から)の「自己」です。自分をコントロール(制御・統御)する主体としての「自己」です。邪念・盲信に乗っ取られていく自分の「心」を制御すべき自己が、逆に「心」に浸食され支配されて、自分を暴走させてしまった、という構図です。植松は、心神喪失ではなく、「自己不在」で凶行に及んだのだと思います、まるで自分が載った自動車が、自己という運転手がいないまま、無人運転で走っているように。

そしてこの「心」とは、善も悪も正も邪も清も濁も、魔や鬼や欲望も、優しさや利他心も、すべてがないまぜになった、火山のマグマのような混沌なのだと思います。だから、道徳教育で良い心を育てたり、清浄な心を作ったりなどできないのだと、考えています。大切なのは、そうした「心」を制御できる「自己」をどう育て、確立することだと考えます。

植松はケア労働に取り組む中で、「自己」を育てる機会を、どこで見失ったのでしょうか、もしかすると、「自己否定感」の心性が邪魔をしたのかもしれません。たとえば同僚の不適切な行為への批判的な受け止めを、近くの誰かが肯定的に励ましていたら、良きケア労働者として育つ道を選び得たのかもしれない、という気もします。

(意味をよく理解しているわけではないのですが、お寺の法要でお唱えする『修証義』の第1章「総序」が、ふと思い浮かびます(註)。また、子どもを食い殺してきた鬼子母神の話も思い浮かびます。鬼子母神はお釈迦様の導きで、母子を守護する神になりました)。殺人者の転身です。殺人者の植松には、この可能性はないのでしょうか? どちらにしても死刑は、その可能性をも奪います。

 

よくわからないままに、長々と思い考えたことを書き連ねました。

仏教思想による障碍・障碍者観、ケア労働観、生産性や役立つことの捉え方(人は何かに役立たねばいけないのでしょうか)、そして病気観〈心神喪失とは何かなど)についても、社会に発信していただければいいな、と願います。

(註) 『修証義』の「総序」の冒頭 「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に仏あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく涅槃として欣うべきもなし、是時初めて生死を離るる分あり、唯一大事因縁と究尽すべし。人身得ること難し、仏法値うこと希れなり、今我等宿善の援くるに依りて、已に受け難し人身を受けたるのみに非ず、遇い難き仏法に値い奉れり、生死の中の善生、最勝の生たるべし、最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。……」

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〔eye4738:200606〕