内閣の柱を自認する仙石由人官房長官は馬渕澄夫国交相とともに参院で過半数を握る野党各党から突きつけられた問責決議を可決され、窮地に立った。プライドの高い仙石長官はいまのところ「辞任する考えは全くない」と、首相官邸にとどまり菅直人首相を支え続ける決意を隠さないが、国会の先例は問責を可決された閣僚はしばらくポストにかじりついても結局、辞任に追い込まれることを示す。
菅首相が本心から仙石官房長官を守り続けるのか、それとも当面は守りながらもいずれは内閣改造を大義名分に、例えば田中真紀子元外相の推す江田五月前参院議長ら有力候補と交代させられるのか。菅首相の至上課題は2011年度政府予算案と関連法案の成立にあり、官邸の主柱はどうしても仙石由人氏でなければ内閣そのものが危ういという判断は、必ずしも菅首相の念頭に確固として固まっているわけでもない。
半面、仙石官房長官の強気と、弁護士時代に培った変幻自在のレトリック手法が6ヶ月近くに及ぶ菅内閣を支えてきたのも事実であり、いざ仙石氏を更迭するとなればただでさえ支持率急降下中の内閣そのものが倒れないとは限らない。
これと並んで野党側が攻撃材料とする小沢一郎元代表についても、国会招致に追い込むための巨額資金疑惑が新たに浮上しており、こちらに火がつけば仙石氏への風圧も少しは弱まるかもしれない。
仙石問責問題は民主党政権と自民党はじめ野党とのつばぜり合いの焦点である。解散―総選挙を嫌う公明党・創価学会が菅―仙石ラインに救命ブイを投げ与えるのか、それとも弱体化ぶりをひたすら露呈する菅政権を公明党も見放すのか。綱渡りはひたすら続く。
▽名ばかりの東大全共闘
仙石由人なる政治家がこれほど強面で傲慢だとは、昨年夏の政権交代より前まで、近しい友人らを除いてあまり知られていなかった。ところがことし6月、鳩山由紀夫前首相から菅直人首相にバトンタッチし、仙石氏が内閣官房長官に就任すると、その「本性」が予算委員会答弁や定例記者会見の場で連日のように明らかになった。
ああ言えばこう言うーとは仙石氏のために作られた表現なのか。東大全共闘から弁護士として法廷へ。引き続き当時の社会党から代議士に初当選するや、弁舌と押しの強さが野党議員にしては際立った。かつての野党時代と違って予算委員会が法廷に化けたかのような「仙石式答弁」が連日、発射され続ける。
東大全共闘とは名ばかり、比較的過激度の弱い「フロント」に所属し、安田講堂に立てこもる闘士たちに支援の差し入れをすることはあっても、自ら立てこもるなどの行動には加わらない。専ら司法試験に合格するための勉強に重点を置き、見事、在学中に合格した。
▽カミソリ後藤田に食い込む
それでも社会党から国会への展望が開かれると、「わしは東大全共闘の闘士やった」とそれとなく全共闘ブランドを活用した。同じ選挙区の徳島には自民党のカミソリ後藤田正晴元副総理兼官房長官がいたが、すばしっこい仙石氏は進んで指導を受け、政治家としての心得を吸収した。後藤田氏のほうは社会党のくせにやたらとじゃれ付いてくる元全共闘闘士に不信感を抱くこともあったが、そこは自民党の権力と良識を代表する大物、仙石氏にいろんな助言を与えた。
そのうちに社民党左派とは袂を別ち、民主党へ。昨年は代表でありながらゼネコン絡みで秘書逮捕―代表辞任に追い込まれた小沢一郎氏とは接近を避け、専ら菅直人、枝野幸男、前原誠司各氏らと「脱小沢路線」で行動をともにした。
▽小沢恐怖で顔歪む
それでも小沢氏に対する恐怖心はこっけいなくらいだった。ことし1月、小沢氏の秘書3人が東京地検特捜部に逮捕された直後、反小沢の一斉蜂起の意思を聞かれた仙石氏は「そんなことしたら全面的な権力闘争になりまっせ。その覚悟がみんなにあるのか」と口走った仙石氏の顔は、小沢氏への恐怖で歪んでいた。現在の強面ぶりはかけらもなかった。
その仙石氏は官房長官就任で別人のように変わった。恐怖の的である小沢氏が検察審査会の二度目の「起訴すべし」議決と強制起訴で縛られると、もう怖いものなしである。
衆参の予算委で仙石官房長官は、時には菅首相を押しのけるように答弁席に立ち、尖閣諸島周辺海域での中国漁船による海上保安庁巡視船への体当たり、その場面のビデオ封印、そして流出などの相次ぐ不祥事について、「柳腰」外交などと弁護士出身にしては珍妙な弁明も含めて、首相や柳田法相に成り代わって答弁を続けた。
▽旧左翼用語の暴力装置
そこに突発した北朝鮮による韓国領の島への砲撃。興奮気味の仙石官房長官はこれに先立ち、「自衛隊というある種の暴力装置」と、奇天烈な答弁を口走った。
自民党の谷垣禎一総裁は即座に「暴力装置とは旧左翼の用語だ」と元左翼の官房長官が馬脚を現した、と非難。仙石長官は暴力装置はまずいと思ったのか「実力組織」などと修正したが、時、既に遅し。
自民党など野党は補正予算成立は許したものの、問責される前に更迭された柳田稔法相の後任兼務の仙石長官に的を絞り、参院過半数を活用して補正予算成立の直後、仙石長官と馬渕国交相をセットにした問責決議を可決した。
▽ねじれ国会ではもたない
1998年、当時の橋本竜太郎首相の下で防衛庁長官を務めた額賀福志郎氏は同年夏の参院選での自民党惨敗の後遺症で、約1ヶ月間は辞めずに頑張ったものの、野党の審議拒否戦術に耐え切れず辞任した。問責された防衛庁長官が出席している本会議や委員会では「審議できない」というのが、野党側の理屈である。
問責決議に閣僚辞任の文句が書き込まれているわけではない。その点、衆院の内閣不信任決議案とは重みが違う。こちらは可決されれば解散か内閣総辞職を法的に義務付けられる。
ところが、一見無力に見える問責決議案は、額賀氏の辞任で意外に強力であることが立証された。その後、2008年には福田康夫首相への問責決議を民主党など野党が可決。福田首相はこれを無視したものの、3ヵ月後には政権を投げ出した。要するに野党が参院で過半数を握るねじれ国会においては、問責された閣僚がいくら頑張っても、いずれ「もたない」のである。
▽内閣改造も難事だ
まして仙石官房長官は首相官邸で菅首相を支える支柱だ。来年1月末から2011年度予算案の審議に入ろうとしても、自民党を中心に「官房長官はわれわれが問責した仙石由人氏だ。本会議にも予算委にも仙石氏が座っている以上、われわれは出席を拒否する」として、本会議場にも予算委員会の第一委員会室にも、入ってこない。
いくら民主党が300議席を武器に単独で審議入りしようとしても、冒頭の施政方針演説から野党空席で様にならないのである。結局、仙石官房長官はいずれかの時点で辞任せざるを得ない。
かといって、支持率が20%そこそこにまで低落した菅直人首相が、年末か年初にすんなりと内閣改造を断行できるのだろうか。政権末期の内閣改造が裏目に出るのは、過去の自民党政権の痛い経験則なのである。(了)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1107:101130〕