「アサド以後」の中東はどうなるか? -ムスリム同胞団伸び、イラン後退-

有史以来中東世界で枢要な地位を占めてきたシリアは、今重大な岐路にさしかかっている。昨年3月以来、17カ月に及ぶ反体制派のデモと武力反乱を鎮圧してきたバッシャール・アサド大統領の政権の存続が問われるに至っているのだ。長期化したシリア内戦はこれまで1万8000人超といわれる犠牲者を出しながら、その帰趨は明らかでなかった。しかしこの7月以降、シリア国軍幹部や駐イラク大使が亡命したり、さらに国防相ら国軍の治安担当幹部4人が爆殺されるに及んで、「アサド以後」が公然と語られるようになった。

「アサド以後」の中東はどうなるか? 中東イスラム世界は、1972年の第4次中東戦争以来の「大変動」に突入することになりそうだ。まず2010年12月、アラブ世界の西方(マグレブ)の一角を占めるチュニジアで起きた「ジャスミン革命」は、チュニジアの長期独裁ベンアリ政権を倒しただけでなく、「アラブの春」と言われる民主革命をアラブ世界に花開かせた。以来、アラブ民衆は何十年も独裁体制を維持してきたエジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権、イエメンのサレハ政権を退場させた。その大波は、アラブで最も強固な治安体制を維持していると言われたシリアのアサド政権を追い詰めている。

ここで注目されるのが、ムバラク追放後初めて民主的に行われたエジプトの議会と大統領選挙でムスリム同胞団(Muslim Brotherhood= MB)が勝利したことである。84年前にエジプト東部イスマイリアでイスラム教スンニ派法学者ハッサン・アルバンナが、西洋からの独立とイスラム文化の復興を目指して創設したMBは、今や「アラブの春」で勝利したチュニジア、エジプトだけでなく多くのアラブ諸国で支持者を増やしている。シリアで蜂起したスンニ派民衆の母体組織はMBである。パレスチナ飛び地のガザを支配しているハマスもエジプトのMBを母体としている。

「アラブの春」つまり民衆の反独裁デモが政権打倒の推進力であったことは疑いないが、外部世界が独裁政権打倒に助け舟を出したことも忘れてはならない。とりわけリビアのカダフィ政権打倒に関してはNATO(北大西洋条約機構)、つまり欧米諸国が空海からの軍事介入をして、反体制側の勝利を助けたことは特筆される。シリア内戦に関しても、欧米は反体制派の軍事介入要請を拒否し続けているが、外交・諜報面で積極的にシリア反体制勢力と反アサドのアラブ連盟を支援している。それでも欧米が軍事介入を避けていることは、シリアが中東で占める地政学が一筋縄ではないからだ。
シリアは北にトルコ、東にイラク、西にレバノンと地中海、西南にヨルダンとイスラエルと地続きである。これらの地域は、第1次世界大戦でオスマン・トルコが敗れるまではすべてトルコ領だった。第1次大戦の戦勝国、英国とフランスがこれら旧トルコ領を分割支配して、アラブ人の団結を阻害してきた。さらにキリスト教社会で迫害されたユダヤ人のシオニズム(2000年前の父祖の地にユダヤ人国家を建設する運動)が、第1次大戦後に本格化してパレスチナ情勢は複雑化した。第2次大戦後1948年のイスラエル建国によってパレスチナ紛争は永続化し、中東の政治地図はさらに複雑化した。

パレスチナ紛争は4回の中東戦争を引き起こすが、アラブ陣営は4回ともイスラエルを屈服させることはできず、パレスチナ人の祖国を回復させることはできなかった。さらに1967年の第3次中東戦争では、シリア領ゴラン高原、ヨルダン領ヨルダン川西岸、エジプト領ガザをイスラエルに占領されてしまった。占領地のヨルダン川西岸とガザは、1993年のオスロ合意に基づきパレスチナ暫定自治区となったが、ゴラン高原は今もイスラエルが占領したままである。

ゴラン高原を抱えるイスラエルにとってシリアは敵国であるが、父子2代40年余にわたるアサド政権はそれなりに安定し、ゴラン高原情勢もそれなりに落ち着いていた。アサド政権が崩壊した後、どんな政権がシリアにできるか。イスラエルを敵視する政権になることは間違いないが、それが火遊びを辞さないような危ない政権なのかどうか。アサド政権が保有している化学兵器のストックをどうするか。イスラエルにとっては大きな心配の種である。

イスラエルにとって「眼の上のたんこぶ」のような存在が、レバノンで影響力を広げているシーア派武装組織ヒズボラである。イスラエルは2006年夏、ヒズボラ掃討を目指してレバノン領に空陸から侵攻し1カ月余にわたる激戦を展開したが、ヒズボラを撃滅することはできなかった。これを機にヒズボラはかえってレバノン国内での影響力を強めている。そのヒズボラを支えているのがアサド政権であり、シーア派大国のイランである。イランとシリアは長年にわたり、武器・弾薬と資金をヒズボラに供給してきた。

本ブログ6月13日のエントリーで筆者が詳述したように、シリア内戦はイスラム教スンニ派対シーア派の宗派抗争をはらんでいる。シーア派の一派であるアラウィ派(シリア人口の12%)で中枢部を固めたアサド政権に、反乱を起こしているのは人口の70%を占めるスンニ派であり、その中核はMBである。反乱側に対しては、サウジアラビアやカタールを始めとするスンニ派のアラブ諸国が物心両面の支援を惜しまない。特にサウジアラビアは、1979年のシーア派イスラム革命で体制を一新したイランがペルシャ湾の覇権を握ろうとしていると、強く警戒している。イランの数少ない同盟国であるシリアのアサド政権を倒すことは、イランの影響力をそぐことを意味する。

国連安保理での論議に明らかなように、国際社会はシリア反体制派を支援してアサド政権を引きずり降ろそうとする米英仏と、アサド政権制裁に反対して拒否権連発を辞さない中露が対決したままだ。「アラブの春」による民主革命の波を利用して、反欧米のアサド政権を追放しようというのが欧米諸国の狙いであり、外部からの介入で政権転覆をすべきでないと抵抗しているのが中露の外交だ。とまれ現地情勢は、次第に欧米側に有利に展開している。そしてアサド政権が倒れるとすれば、中東ではMBのイスラム主義が強まることになるのが自然の流れだ。そうなってから、イスラム主義のアラブとキリスト教を母体とする欧米の関係がどう展開するか。それにイスラエルが絡まって、中東はまた大変な時代を迎えようとしている。

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