内部告発サイト「ウィキリークス」がメディアにあらためて大きな課題を投げかけている。昨年春から夏にかけてイラクやアフガニスタンでの米軍の軍事情報などを暴露して話題を呼んだ「ウィキリークス」が、今度は大量の米政府の外交公電を公表、これを報道するメディア側の対応がさまざまな議論を引き起こしている。
「ウィキリークス」から提供された情報をメディアはどう扱うか。国益や公益をどう判断するか。ジャーナリズムの使命をどう考えるか。答えは必ずしも明快ではない。仮に日本のメディアがこの種の情報を提供された場合、適切に対処できるかどうか、あらかじめ考えておくことも無駄ではあるまい。
公益にかなう報道なら
11月末に「ウィキリークス」が一部の公表を始めた国務省の外交公電は、全体で25万件にも上る。「ウィキリークス」のウェブサイトによれば、このうち「極秘(secret)」扱いは1万5000件余、「マル秘(confidential)」扱いが10万1000件余で、残りは秘密扱いされておらず、秘密度の高い「最高機密」情報は含まれていない。
「ウィキリークス」は先の二回の公表にあたって米欧のメディア四紙誌に事前に資料を提供し、メディア側がそれぞれ独自に検証、追加取材をしたうえで同時に報道するやり方をとっていた。今回は英紙『ガーディアン』など欧州の四紙誌に情報を提供したが、米国のメディアには提供せず、米紙『ニューヨーク・タイムズ』は『ガーディアン』の協力で事前に資料を入手していた。今回もそれぞれが時間をかけて裏付け取材をし、一斉に報道に踏み切ったとされている。
米政府は「ウィキリークス」が入手した資料は不法に盗み出されたものだとして返還を求めるとともに、メディアには報道を控えるよう求めている。しかしメディア側は、資料の真偽を確かめ、公表の価値あるものについては報道するとの姿勢を、これまで同様とっている。仮に「ウィキリークス」の入手した資料が不法な手段で得られたものであっても、これを報道することが公共の利益にかなうものであればメディアとしては伝えることに問題はない、との立場のようだ(12月1日www.guardian.co.uk/media/greensdale/)。
ただ、何を公共の利益(公益)と見なすかは立場によって異なるし、議論の余地があるだろう。米政府は外交公電を公表すること自体、米国と他国との外交関係を損なう恐れがあると主張する。国家の安全保障や軍事機密にかかわる情報が漏れることは米国の国益を脅かすとの主張にも十分な根拠がある。
強まった「提携関係」
『ニューヨーク・タイムズ』はこのため、報道にあたって一部の公電については事前に国務省に照会し、国益を損なうことのないことを確認したとされている。これを『タイムズ』が国務省の「検閲」を受け入れたと見なすものもある。しかし『タイムズ』側は、公電の内容や評価について当局からの裏付けをとり、報道をより正確、公正なものにするための必要な手続きと考えているようだ。
今回の一連の報道で目立つのは、「ウィキリークス」が情報の公表にあたってこれまでにも増して欧米の有力メディアとの「提携関係」に注意を払っていると思われる点だ。「ウィキリークス」がそのウェブサイト上に生の資料を公開するタイミングをメディアによる報道に合わせていただけでなく、公開する公電もメディアが検証し報道したものに関連する資料に限られているとされていることだ。言い換えれば、「ウィキリークス」はメディアの報道と歩調を合わせることによって、自分たちの行動の正当性を主張しようとしていると見ることもできる。
『ニューヨーク・タイムズ』のビル・ケラー編集主幹は同紙が「ウィキリークス」と「提携関係」にあることを否定している。しかしケラー主幹自ら、資料の一部を非公開とすることについて他の欧州のメディアも「ウィキリークス」も『タイムズ』の判断に同調したことを明らかにしている。このことは、事前に資料の提供を受けたメディアと「ウィキリークス」の間の連携が、これまで以上に密になっていることを裏付けている(12月3日AP電)。
情報操作の可能性も
内部告発を基に政府や企業の秘密情報を暴露することを目指す「ウィキリークス」の活動を、ジャーナリズムのそれと同列に考えることは難しい。インターネット上で大量の秘密情報を収集、蓄積し、これを発信する能力は持っていても、情報の真偽や価値を判断し、分析を加え、その意義を的確に報道する力は持ち合わせていない。
「ウィキリークス」がその目的を十分に達しようとすれば、どうしても既存の有力メディアの力に頼らざるを得ない。そこに伝統的メディアと「ウィキリークス」の連携という、インターネット時代の調査報道の新しい形が見て取れる(本欄2010年9月号)。今回の一連の報道は、その連携が一段と強まりつつあることを示している。
もっとも、米政府はじめ世界の強大な権力を敵に回した「ウィキリークス」が、今後ともこれまでと同じように活動を続けられる保証はない。創設者が刑事犯罪に問われ、組織内部の対立も伝えられている。しかしインターネットがもたらした時代の申し子ともいうべきこの組織が仮につぶされても、いずれ同様の使命を掲げる組織が次々と登場することになるだろう。
「ウィキリークス」を継承するこれらの組織もまた、その目的を達成するためには伝統的メディアとの連携を必要とする。伝統的メディア、とりわけ新聞ジャーナリズムの調査報道の力が、頼られる存在であり続けることは間違いない。新聞の衰退が際立つ時代だけに、新聞がこれまで育んできたジャーナリズムの総合的な力にさらに磨きをかけて守っていくことが重要になる。
むろん「ウィキリークス」との連携はメディアにとって常に互恵的であるとは限らない。「ウィキリークス」に間違った情報が意図的に送り込まれ、特定の政府や機関の情報操作に利用される可能性もある。「ウィキリークス」にそれを防ぐだけの備えが十分にあるかどうか、わからない。情報を提供されたメディアにとっても、送り込まれた情報の秘密性が高ければ高いほど、独自にその真偽を検証するのは難しくなる。
その意味でもメディアは今後ますます細心の注意を払って「ウィキリークス」との連携に関わっていかなければならなくなる。
求められるメディアの覚悟
幸か不幸か、「ウィキリークス」はこれまで一度も日本のメディアに情報を事前に提供することはなかった。日本の新聞もテレビも、欧米のメディアが伝えたニュースをそのまま報じることですませてきた。
もし将来、日本政府に関わる重大な秘密情報が「ウィキリークス」から日本のメディアにもたらされた場合、どう対処するだろうか。独自に情報の真偽や価値を確かめ、独自の判断で報道することを決められるだろうか。仮に政府が「国益に反する」ことを理由に情報の公表を控えるよう働きかけたとき、メディアはそれに抗してでも報道できるかどうか。
「ジャーナリストの違法行為は、より大きな公益のためなら正当化できる」と『ガーディアン』のコラムニストは言う(前出ウェブサイト)。それには異論もあるだろうが、ただそれくらいの覚悟がなければ、政府の反対を押し切って政府の秘密を暴くことはできそうにないことも確かだろう。今の日本のメディアにそんな覚悟を期待できるのかどうか。何かにつけて及び腰のメディアの報道姿勢を見ていると、「ウィキリークス」をうまく使いこなすことなど、無理なように思えて仕方がない。
新聞通信調査会『メディア展望』1月号(第588号)の「メディア談話室」より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1146:110103〕