「サザエさん」に見る敗戦直後のくすり事情(1)

いま私の手元には姉妹社発行の長谷川町子『サザエさん』が第一~八巻まである。1949~1952年に発行されていたものである。たぶん、中学生だった次兄か私が、購入したものではないかと思う。当時、次兄は、私のことを「サザエさんやワカメみたいだ、まるでオッチョコチョイなんだから・・・」なんていわれていたことを思い出すからだ。

現在、『朝日新聞』では「サザエさんをさがして」というシリーズで、サザエさんの4コマ漫画一本を選んで、その背景を探るもので、サザエさんで見る1945~74年の歴史と言っていいのかもしれない。

手元の八巻分のサザエさんは、当ブログでの「73年の意味」シリーズの本篇・番外篇の時代と重なるので、続きのような内容になるかもしれない。巻数を追って、上シリーズと重なり合うテーマを中心に、たどってみたい。

第一巻:1950年2月刊。「はしがき」も「あとがき」もない。第1頁は、母親が、両脇にかしこまるワカメとカツオを紹介、呼ばれたサザエが、湯気の上っている蒸しパンのようなものを頬張って登場、「どうもあんなふうでこまります」と母親のセリフで終わる。これが、サザエさん1号の4コマ。なお、第四巻の巻頭には、「サザエさんと私」という4頁にわたって、漫画付きの文章が載っている。サザエさん誕生のこと、疎開先の福岡の新聞「夕刊フクニチ」に連載を始めたこと(1946年4月22日)、東京に引っ越し、姉が出版社の姉妹社を起したことなどの経緯が綴られている。

第一巻での薬の登場は何度かあるが、その一つ、寝床で「ゴホンゴホン」とやっている父親にたのまれたサザエが持ってきた「せきどめ」を服んで、「ピタッとやんだよ」と喜ぶ傍らで、薬瓶をよく見たサザエの「これはげざいグスリだ」にのけぞる父親。もう一つは、私が「熱さまし」としてよく服まされたのが、父の調合による粉薬を思い起こさせる。確か「フェナスチン」という薬が入っているので、よく効く、という話をしているのを覚えている。薬包紙を開いて、三角になったところで、薬を口にすべり落として、水と一緒に一気にのみこむ。後はひたすら布団をかぶって汗をかくまで我慢する。直りかけると、母親は、大事にしていたみかんの缶詰を開けてくれたのは敗戦からだいぶ時が経てからだろう。その「フェナセチン」を、いま調べると、長期服用の副作用は、前から指摘されていたようで、2003年には「日本薬局方」から外されていた。かなりアブナイ?薬を服まされていたことになる。


第一巻の表紙。最初の書籍化は、横長の装丁だったらしい


第1巻。やや不鮮明だが、4コマ目の父親の手元には薬瓶と薬袋、右手には今、服まんとして薬包紙を持っているのに、バケツの水を運んできたサザエさんだ

第二巻:1950年2月刊。東京への引っ越しの際の疎開地の人々との別れ、東京の住まいのご近所との出会いが描かれ、はんぺん、果物などの配給の場面と物価の実情も分かる場面も面白い。タクアン百目5円50銭、ガラス一枚80円、シャケ一切れ8円などと。サザエは「新円かせぎ」に友人の働いている出版社ハロー社に勤め始め、これまでにない経験をする。婦人警官に<密着取材>した折の、発疹チフス予防注射の場面で、思い出す。発疹チフスが大流行したのは1946年、3300人以上の死者を出したという。シラミやダニ駆除のため、殺虫剤として、GHQが持ち込んだDDTが大量にあちこちで散布されたという。私は、夏に疎開地から池袋に帰ってきているが、学校で頭から散布されたという記憶がない。戦時下は、マラリヤ予防には威力を発揮したという。日本での製造は、1949年に「味の素」が製造開始したとある。BHCという殺虫剤もあった。私の記憶では、ボール紙の平たい丸い容器に入ったコナのDDTを、箱の上部をぺこぺこ押して、小さな穴から噴霧していたこともある。ボール紙の筒状の容器から、畳のヘリなどに落とし、大掃除で畳を上げたときは、新聞紙の上に、やたら撒いたこともある。日本では、環境ホルモンへの影響や発がん性のため1971年には販売禁止された。

第2巻。筒状の容器にいれて、後ろから押し出して噴霧させていた液体の殺虫剤もあった。金属製の「噴霧器は別売りです」とお客さんに言ったのを覚えている。エアゾール式は、1952年のキンチョール、1953年のアースまで待たねばならない

第三巻:1950年2月刊。サザエはフグ田マスオと結婚して、タラも生まれる。当初実家を離れていたが、すぐに、両親たちの家に引っ越し、同居する。NHKのど自慢が人気だったらしいが、私には、あまり記憶がない。忙しい予選申し込みができないので、係に電話して、サザエが電話口に唄っているのは「啼くな小鳩よ」であった。学生がアルバイトで、南京豆ふた袋15円、ノート2冊で30円で売ってたり、米一升一40円の夢を見たりする。

第三巻の冒頭、サザエよりの挨拶の「ことば」が載り、結婚・出産の報告がなされている

第四巻:1949年6月刊。巻頭には前述の「サザエさんと私」を掲載、出版社勤めはどうなったのか不明だが、洋裁の仕立ての内職を始めたりする。取引高税が出て来るので1948年発表の作品か。相変わらず、もち米、魚などの配給、停電の場面などが何度か登場する。


第4巻。4コマ目になんと吸入器が登場する。サザエさんの家にもあったんだ。たしかに、我が家にもあったし、売ってもいた。これはアルコールらんぷで、水を温めて、その蒸気を吸入する装置。メーカーなどは覚えていないのだが、どこか仰々しい箱に入っていて、父や兄も、お客さんに説明するときは、実に慎重に扱っていた。一時期、私はのどの具合が悪いとき、と言っても40歳前後のころ、クリニックに行くと、水ではない薬剤の入った吸入をやらせられることがあった。最近ではあまり見かけなくなった光景だ

こんな感じだったのかな。ネットから拝借した

購入先から受け取った、使用済みの印紙が、各家庭のあちこちに置かれていたのだろう

 

初出:「内野光子のブログ」2018.09.02より許可を得て転載

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