「サロン談義のなかでそれぞれ理想の憲法像を出し合う」のは止揚しませんか

前世紀の何時頃かは、もう記憶に無い程の昔のことのようになってしまいましたが、今は亡き「社会主義政党」が、「日本における社会主義の道」とか言う文書を巡って左右に揺れた出来事がありました。 また、「民主連合政府」の樹立を本当に可能かのように宣伝していた政党もありました。 実際に地方では、社共共闘で「革新自治体」が続々と出来た時代でした。 私も、運動体内部では壮絶な確執を抱えながら地方政治の革新を目指して活動していた時代でした。

でも、今は昔と化し、当然と思われていた日本国憲法が風前の灯となっているのです。 最早、革新自治体を支えていた政党の勢力は無いに等しく、国会では、政治基盤は同じで、ただ些細な利己的事由が原因で自民党と袂を分かった政党や政治家が大半を占めるまでに至っています。 このような状況では、政治の革新等と云えば時代の認識が無いのと同様の如く見做されるでしょう。

実際、現政治状況では、大日本帝国憲法の復活が実現するかのようです。 否、実際に部分的には復古しているのです。 安倍政権以前から、戦前回帰は進行していて、今は、大詰めにあるかのようです。

この状況で、極一部ではありますが、何を間違われたのか、前世紀の反芻をしておられる方が現に存在していることが理解出来ません。 現在では、夢物語で現に今有る危機を誤魔化して済むものでは有りません。 現に今ある危機と向き合ってこそ未来に繋げることが出来るのですから。

 

早稲田大学の水島朝穂教授は、御自身のブログで、改憲の具体的企みに正面切って対決されておられる御自身の憲法学者としての御立場を以下のように樋口陽一氏の言葉を引用さされて説かれています。

「憲法が軋みをあげる『現場』をしっかり見据え、この『閣議決定』によって破壊された地点をきちんと分析・認識して、ダムの最終決壊をいかにして阻止していくかの議論が必要である。その際、樋口陽一氏が9年前に改憲論について語った言葉がここでも重く響く。

『サロン談義のなかでそれぞれ理想の憲法像を出し合うのが、いまの問題ではないはずです。改憲論をめぐる争いは、その社会のその時点での、最高の政治的選択なのです』」(『論座』2005年3月号)。」

「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ 2014年8月4 早稲田大学水島朝穂のホームページ 

 

教授は、今は「ダムの最終決壊」を前にしている、と認識されているのです。 「サロン談義のなかでそれぞれ理想の憲法像を出し合う」かのように、今が夢を語るに相応しい時期であるのかどうかを考えねばならないでしょう。