「ジャン=ジャック・ルソー著「社会契約論」(中山元訳) ~主権者とは誰か~」

   ホッブズ、ロックと英国の先行する社会契約論者がいたにも関わらず、日本で社会契約論と言えばジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacues Rousseau、1712-1778)が圧倒的に有名である。ルソーの「社会契約論」(Du Contrat Social)はどこか違っていたのか。冒頭、ルソーは有名な文句を書いている。

  「人は自由なものとして生まれたのに、いたるところで鎖につながれている。」

  ルソーはなぜそうなったのか歴史的な真実は知りえないが、どのような理屈でそれを合理化したかについては説明できると言う。そこで奴隷制がなぜ存在するのか説明し始める。身分制社会を擁護する思想家は、たとえば奴隷制は征服された敗者が命を守ってもらう引き換えに、自己の権利を勝者に譲渡する契約によって奴隷となったという風に説明する。しかし、ルソーはそう考えない。戦争の勝者がその後も敗者に対して力を行使しているだけで、実際には征服した者はいかなる権威も持っておらず、奴隷制は戦争状態の延長に過ぎないと述べる。ただ、あるきっかけで奴隷にされたら無気力になってしまって、奴隷状態が代々まで続いてしまっただけだと考えたのだ。

  ルソーが「社会契約論」でこの話を冒頭に持ってきたのは、絶対王政を擁護するグロチウスなどの思想家の説明を退けるためである。彼ら絶対王政のイデオローグたちは被征服者が征服者に自由と諸権利の譲渡を行ったと説明していたのだ。しかし、もしそう考えたなら、王と奴隷との間に設定された身分上の契約関係に拘束されて、市民同士が自由な社会契約を結ぶことは不可能になってしまう。だから社会契約の前提として契約を結ぶ人々はまず自由でなくてはならない。そこでルソーはまず自由に生まれた人間がなぜ奴隷状態になっているかを冒頭で説明しておく必要があった。現実の社会に上下関係があったにせよ、王と市民(奴隷)との間に身分を定めた契約関係はない。もしあったとしても力づくで勝者が敗者に強いたそのような契約は無効だということである。だから、支配している者たちには権威というものがない。こうして、ルソーは現在存在している身分差別に対する批判的な視点を築くことができた。

  ルソーに先行するホッブズもロックも、社会契約論者たちはまず自然状態を想像する。自然状態では身体の安全も所持品や住まいの安全も得られないから、人々が契約を結んである巨大な権力を形成し、その権力機構の構成員となることで安全や所有権を確保する。この権力機構が「国家」である。この時、人々は最初は生きるための自然権を持った自由人であることが前提となる。

  しかし、ホッブズのように、社会契約を結んで国家権力を構築しても、その「主権者」が必ずしも人民と考えない社会契約論者もいた。たとえば契約を結ぶまでは自由であったとしても、身体や財産の安全を確保した代わりに、国家=絶対君主を主権者として受け入れるのである。主権者がたった一人の絶対君主で、残りは臣民ということになる。最初は自由であった人々も、安全の確保を得た代わりに絶対君主を主権者にしたという考え方である。もちろん、ホッブズはそれ以外にも国家=主権者を複数の貴族の集まりと見る場合(貴族政)と、民衆に見る場合(民主政)を否定していない。これらは社会契約を全員が結んだ時に決定することであり、ひとたび政体を絶対王政か、貴族政か、民主政か選んだら変更はきかないという。ここがルソーとの大きな違いである。ルソーの場合、主権者は常にすべての人民から構成されるのであって契約を結んだ後も君主にも貴族にも譲り渡されることはない。

  ルソーはこう考えた。人びとは社会契約を結んで自己の一切の権利を仮想の「公的な人格」(=共和国・政治体あるいは国家・主権者・主権国家)に譲渡する。そののち、改めてその権利を自分の手にする。また自分が所有しているものを守るための権力も手に入れることができるのだから契約を結んで損はないとルソーは請け負う。

  この「公的な人格」の意志を「一般意志」と称して、契約に参加するすべての構成員はこの意志に服従することが必要とされる。主権者(スヴラン、Souverain)とは個々人でなく、仮想の「公的な人格」である。この公的な人格の持つ意志(一般意志)は、人民全員が参加する立法の場で形成される。ホッブズの場合は主権者は特定の人物になるが、ルソーの場合、主権者とは人民の総体であり、その意志(一般意志)である。立法においては人民すべてが集まることをルソーは念頭に置いており、英国のような代議制では人民は「選挙の時しか自由ではない」と批判している。「人民みずから出席して承認していない法は無効である」とまで明確に述べている。

  さて、その意志を実現するためには行政を具体的に行う統治者を別に選ばなくてはならない。

  「政治体を動かす原動力もまた同じであり、力と意志で政治体は動かされる。政治体の力は執行権と呼ばれ、意志は立法権と呼ばれる。・・・立法権は人民の属するものであり、人民以外の誰にも属しえない。これに対して執行権は、すでに述べた原理から、立法者としての、また主権者としての人民一般には属しえないことはすぐに理解できる。この権力は個別な行為だけにかかわるものだからであり、個別な行為は法律の規定する範囲にはないし、主権者の権限の範囲にもない。主権者のすべての行為は、法を定めることだからである。」

   法の執行に関しては代表を決めた方がよいとしている。人民が執行権もつかさどる民主政の可能性も示しているが、そうなると主権と執行とが同一となり、権力が分離されない。だからルソーは執行者を立法者(人民全体)とは別にした方がよいという考えである。しかも人民自ら統治者となれば人数が多すぎて現実的ではない。

  しかし、君主政だと個人の欲望が優先されがちでよくない。そこでルソーは統治者は選挙とか籤引きで複数の人を選ぶのが一番良いとしている。「社会契約論」ではこれを貴族政としているが、ここで言う貴族には世襲制の貴族もあれば選挙で選ばれた貴族も含まれ、ルソーが推奨しているのはもちろん選挙で選ばれた貴族である。これは貴族とは名ばかりで、政治を行う見識と判断力のある人を指していると考えられるだろう。ここで注意すべきはルソーが民主政とか、貴族政とか、君主政と述べているのは行政をつかさどる統治形態のことであって、いずれの統治形態であっても、最高権威である立法を行う主権者は人民全員なのである。

  だからルソーはこの統治者(行政を行う者)が一般意志に反する統治を行っていれば随時人民集会を開いて、統治者を変えることもできるとする。

  ① 今の政体でよいか(統治形態:君主政、貴族政、民主政)
  ② 今の統治者でよいか

  これを人民投票で決めればよいというのだ。統治する者が人民の意志と無関係に個別意志(個人の意志)を優先するようになれば社会契約は無効になったと考えられるからだ。たとえ君主であっても、それは主権者の意志でそうなっただけで絶対不可侵のものではない。人民の意志が君主政を廃そうと考えれば、それが可能となる。この延長線上に市民が王政を廃したフランス革命があった。

  ここで有名な英国の社会契約論者であるロックが提唱した「抵抗権」との違いを見ておきたい。ロックの場合は人びとが社会契約を結ぶときに、最高権力である立法部を設立する。この立法部は社会契約を行う市民全員の信託によって設立されるもので、君主であることもあれば貴族であることもあり、人民の代表であることもある。統治権などの他の権力はすべてこの立法部に従属するのである。もし、この立法部が国民の意志に反して恣意的な立法を行っている場合は、国民の「信託」に反していると考えられるから、その立法部を廃して新たな立法部を設立することができるとする。「立法権力は、特定の目的のために行動する単なる信託権力にすぎないから、国民の手には、立法権力が与えられた信託に反して行動していると彼らが考える場合には、それを移転させたり変更したりする最高権力がのこされている」(ロック著「統治二論」加藤節訳)。

  ロックの抵抗権とは最高権力である立法部を国民の意志で変えることなのである。ルソーの場合は立法部は常に人民全体であり誰の手にも信託できないものだ。ルソーにとって政治変革とは立法部の変更ではなく、その下に位置する統治権力の変更と言う事になる。だからロックが提唱した(信託された)最高権力の立法部を変える抵抗権と比べると、立法部の下に従属する統治権力を変更する方が(理屈の上では)容易だろう。そこにルソーが提唱した<立法は人民全体で行う>人民主権という政治思想の新しさがあった。

  ルソーにとっては基本的に全員が広場に集まって討論し、投票することが基本にあるのである。だからこそ、人民主権なのであり、そこには奴隷は存在しないということになる。このように社会契約論を唱えてきた思想家の中で、ルソーは市民革命に最も近いところに立っていた。

■ルソー著「社会契約論」(中山元訳 光文社古典新訳文庫)

■政治学者・福田歓一著「ルソー」には次の一節がある。

  「言うまでもなく、この共同体、すなわち「公的人格」が、国家Republique、かつての呼び方ではCiteにほかならない。それを人的に見るとき、その全体は人民である。Etatという言葉は権力としてのStato以前のStatusの用法に帰って、受動的に支配対象としての国家を意味するものとなり、これに対して主権という近代の用語が能動的に支配主体としての国家を示すものとなる。その担い手が集合名詞としての人民であるが、構成員は、この主権に参加するものとしては公民、国家の法に服従するものとしては臣民と呼ばれる。
  ボダンに始まり、これまで絶対王政と結びついて用いられて来た主権という言葉が、このように古代モデルにおける国家Republique、Cite, peupleの文脈において用いられ、はじめて人民主権の概念が構成されたことはきわめて重大である。」

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study828:170216〕