「パパ活」という「現代の性」をめぐる社会現象  ― 「性の商品化」批判では届かない世界

 1945年の敗戦以降の日本社会では、天皇制を初め、結婚・家族制度など、基本的な議論を回避したまま、ズルズルと旧来の慣行を引き摺ってきたものは少なくはない。その中の一つが、人間にとって「性」とは何か?という思想の問題であり、社会風俗の問題である。
 改めて言うまでもないが、家父長制的「家」制度を基本としてきた明治以降の日本社会では、「女」に対する性の管理が重要な要の一つであった。それは必ず「夫の血を継ぐ嫡子」を産むためであった。「処女」「貞節」そして「姦通罪」など、それらこそ女の管理のための社会的モラルであり、それを冒した女への一方的な重罪規定である。
 しかし他方で、男系であるために、男の性に関しては極端に寛容であった。家庭の妻以外の「妾」を囲うことも、経済力・生殖能力(精力)を誇示するものとして許容され、さらに、「男の性欲」は「抑えることのできない本能的・生理的欲望である」と称賛されてもいた。
 こうして、江戸時代の、貧困ゆえの「女の売買」によって盛んになる「遊廓」が、明治以降も「娼婦・女郎」として囲われ、やがては、性病=梅毒の予防・管理のために「届け出制=公娼制度」として活用された。
 このような「娼婦」の存在と「娼婦を買う」制度と慣習は、「家制度」や良家の子女の厳格な性の管理と同時に存立し続けてきた。まさに、女の分断と差別の構造であり、男の野蛮な性欲求の社会的な承認でもあった。

戦後の「風俗営業取締法」「売春防止法」から「パパ活」まで
 昔(1950年代初めか・・・)祖母は食前の「いただきます!」の代わりに、いつも「腹が減っては戦ができぬ!」と言って箸を取っていた。その後私は、日本の中国大陸や南方への戦線拡大が「食糧の現地調達」だったと知って愕然とし、この祖母の言葉が思い出されたものだ。
 「食糧の現地調達」とは、つまりは現地での略奪である。
 と同時に、「男たちの性欲は不可抗力」というテーゼの元では、女もまた「現地調達=レイプ」とならざるを得ない。ただ、「食糧の現地調達」よりも「レイプ」の横行は国際社会での日本軍非難となり、それを躱すために「従軍慰安婦」が配置された。
 1990年以降の韓国の元慰安婦からの告訴や批判に、日本政府はまともに対応できず、今や、韓国との国家関係自体もギクシャクしている。・・・問われているのは、当時の社会的な女性差別と、さらには男の性欲肯定とその社会的な保障システムに他ならないのだが・・・。実際にも、戦後の日本社会は、これらにたいして極めて曖昧な対応しかなしえていない上に、逆に、それらの性的社会風俗を巧妙に継続させ続けてきたために、今もなお、「問い」自体に真向かえないのかもしれない。
 戦後いち早く制定された「風俗営業取締り法」(1948年)は、その後度々改訂されているが、ともあれ、日本の「性に関わる商売」に「風俗営業」という名称を与え、非合法(性の売買そのもの)や非合法スレスレの営業も含めて、「フーゾク」という名称として社会的にも認知され、現在までも営々と存続し続けている。
 他方、当然ながら「公娼制度」は廃止され、戦後やや遅れて「売春防止法」が制定された(1956年)。
 ただ「売春」という歴史的な名称が顧慮されることなく当たり前に使われていることが象徴的だが、ここには「性の売買」が、どこまでも「売る女」の行為としてしか認知されていない。「買う側」の問題、あるいはその商売を設定する業者の問題は二の次である。しかも、「女を買う」側の男の性欲観=性の思想には手を付けられてもいない。
 売春防止法第2条で、「売春」とは、「対償を受け・・・不特定の相手方と性交することをいう」と定義されている。さらに、この「売春」がなぜ防止されなければならないのか、については、第1条で、「人としての尊厳を害し」「性道徳に反し」「社会の善良の風俗を乱すもの」と指弾されている。こうして、この法律によって、罰せられるのは「売春する女」であり、それを「斡旋する業者」である。第3条に、「何人も・・・売春の相手方となってはならない」と定められてはいるが、「売春」を「買う」側はどこまでも受動的な存在として位置づけられている。それゆえにまた、この法律によって、「売春を行うおそれのある女子」にたいする「補導処分」や「保護更生」の措置に精力が注がれることになっていた。
 「売春防止法」の法自体が、「娼婦」を「性道徳を冒す、貧しく卑しい女性」という侮蔑感を前提にし、かつそれを維持し続けてきたとすらいえる。
 こうして、戦後は「赤線」「青線」という名称とともに、「飲み屋」「赤ちょうちん」から「ダンスホール」「キャバレー」「バー」「ナイトクラブ」などの(亜)風俗店が繁盛し、1990年代初めに「ソープランド」と名前が変えられる「トルコ(風呂)」など、典型的な「性サービス」業も一般化する。
 さらに、1980年代から1990年代にかけて、個人電話の普及、ポケベルなどによって、性産業へのアクセスも多様化され安易になり、未成年の男女も参入し始めるのだろう。援助交際システムの走りと言われる「ダイヤルQ2」も1989年に登場している。
 東京を初めとする都市圏での女子高生を対象にする「援助交際第一世代」は1993~1995年と言われ、「援助交際(援交・エンコー)」が流行語になったのは1996年である。
 女子高生、さらには名門校の女子高生がオヤジ(30代以上)の性欲の対象になる!この時代は、非正規雇用の職場が拡がり、不景気感漂う時代。「女子高生」という身分自体や、彼女たちが身に付けているセーラー服や下着が高額で売れる!? 何事も「お金」の時勢である。それに乗らない手はないよ・・・と、多くの女子高生が「援助交際」や「ブルセラショップ」に馳せ参じたのかもしれない。
 鈴木涼美が上野千鶴子との往復書簡『限界から始まる』の中で、「キラキラ輝いている世界」と表現したのも、嘘のように高価で売れる自分たちの衣服や唾液や精液のお蔭で、贅沢な物で身を飾る女子高生たち。見るからにお洒落で美しかったのかもしれない。
 しかし、1999年「児童ポルノ法」の制定によって、女子高生=未成年者の「性交」あるいは「性的行為」は摘発されるようになり、大方は地下に潜り、「出会い系サイト」やSNSなどで男性客を探す「援助交際デリバリー」、あるいは「交際クラブ」として生き残ってきたようだ。
 このような経緯の中で、スマホ、SNS、オンラインの一層の普及を背景として、「パパ活(女子)」が登場するのも、ある意味で当然の成り行きだったのかもしれない。

「パパ活」に参入する男性、女性
 前置きがやや長くなったが、「パパ活」のルポとして、中村淳彦『パパ活女子』(幻冬舎新書、2021.11)を参考にしながら、いくつか紹介しよう。
 「パパ活」以前の、「愛人バンク」(1983年)や「交際クラブ」の場合も、いわゆる男性が求める女子は、「プロの風俗嬢」ではなく「素人の若い女性」が求められていたようであるが、あくまでもセッティングは男性の希望と業者によるものである。その分、「交際クラブ」では、男性会員がランク別の登録であり、例えば「スタンダード」ランクでは、「入会金3万円+セッティング料2万円」であり、最上の「ブラック」ランクでは「入会金30万円+セッティング料10万円」とかなり高額である。
 それに対して、2017年辺りからいわゆる「一般女子」が参入するようになった「パパ活」では、「パパ活サイト」「パパ活アプリ」が用いられ、個別にアクセスできる。
 ただし、オンライン上の「パパ活」は、それに特化したマッチングサイトが利用され、それぞれ「写真とプロフィール」だけが求められる。登録料は、女性は無料、男性のみ「月5000円」程度の定額料金を支払うという。
 参考までに、人気パパ活サイト「Sugar Daddy」の例を上げておこう。
 会員の男女比・・・男性28%、女性72%(圧倒的に女性が多い)
 男性会員の年令・・・18~29歳(9%)、30代(31%)、40代(37%)、50代(17%)
 女性会員の年令・・・18~29歳(79%)、30代(16%)
 これによると、男性はほぼ30代40代であり、「違法による摘発」を避けて、女性は年齢証明付きでほぼ「18~29歳」に集中している。その女性会員の身分・職業は、学生(31%)、会社員(26%)、アルバイト(12%)、その他「モデル・芸能関係」(9%)「看護師」(5%)となっている。
 それでは、男性会員の「パパ活」のニーズは何か。本書で紹介されている三つのニーズを上げておこう。
 パパ活男性のニーズ① 20代前半~30代前半の年令
       ニーズ② 清楚な女性、素人女性(露骨なお金目当てではない)
       ニーズ③ セックスだけではなく、心が躍るような恋愛や疑似恋愛を
            したい
 それに対して、個人的に参入して来る「パパ活」の女子は、「お茶1万円、食事2万円、肉体関係(大人の関係)4万円」という交際クラブでの一般的な相場に照らして、「できることなら、お茶と食事で済ませたい」という「茶飯女子」が意外に多いとのことである。
 本書の著者中村敦彦氏が、「パパ活」の実践者となって聞き出した「パパ活女子」の言い分を、ここでもいくつか紹介しよう。
― コロナになって、バイトができなくなった友だちがどんどんはじめて、みんなやってるから私もやろうかなって。お茶するだけで1万円とか食事で2万円とか、すごく効率がいいと思った。
― 奨学金の額が大きすぎて自分がどれだけの借金を抱えているのかわからない。いまの段階だと、とても返済できるとは思えない。お金が圧倒的に足りていないことだけはわかるので、稼がなきゃって意識はあります。お金がある中年男性からお金をもらうパパ活はいいなと思った。
― (パパ活のパパが)何人もいるとは誰も知らないし、あなたしかいない、どっちかといえば好きという態度をだして、向こうがグイグイきたら、こっちは引く。君も僕のことを好きなんだね、じゃあ、お金必要ないよねみたいなことになっちゃう。そうなると厳しいので、そこまで勘違いさせないように調整する。最終的に絶対にホテルに行きたいって人もいるから、それはそこで切ります。これだけ時間かけたのに、これだけお金をあげたのに、全部返せってなる人もいるし、切るタイミングは重要です。
― パパ活で肉体関係になるって想像したけど、無理です。どうしてもできないと思って、それはしてません。やっぱり、元々カッコいい人が好きだし、細い人が好きなので、おじさんは無理です。おじさんはプロフィールには清潔です、とか書いてるけど、ほとんどちょっと小太りで清潔感は感じられない。服が汚いとか、ダサすぎるとか、肌も汚いし。
 もう引用は止めにしよう。「18歳以上、20代から30代初めの、若くて清楚な女性」という中年男性の「好みの女性像」も、あまりに勝手な思い込みであるが、逆に、「金づる」としての中年男性を軽蔑しつつ、彼らに貪欲に「たかる」「パパ活女子」。双方ともに、何と「実(真実)のない関わり」であることか。
 戦後の日本が、「性」というものに真向かうことなく、安易に「フーゾク」営業を流行らせてきた結果の一つが「パパ活」であるとしたら、いま私たちは、どのような「性の思想」と「人間の生々しい関わり」を、あらためて創り出せるのだろうか。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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