フランスとフィリピン  私たちは財の消費者でしかないのか

  この3年ほどの間に僕はフランスとフィリピンというある意味で遠く離れた世界の取材を並行して行うことになり、ようやく今それぞれ作品として世に送り出すことができることになった。フランスに関しては「立ち上がる夜 <フランス左翼>探検記」というノンフィクション本として、フィリピンに関しては現在、最終仕上げ段階にあるのだけれど、ビデオ作品「甘いバナナの苦い現実」としてアジア太平洋資料センター(PARC)から売り出される予定だ。

  フィリピンについては鶴見良行氏の「バナナと日本人」という名作が岩波新書から出ていてロングセラーになっているのだが、要するにバナナを通して消費者である日本人と生産者であるフィリピンの農民のことを考えさせられる本である。日本に届くバナナの大半がフィリピン南部のミンダナオ島で生産されているのだが、1982年に刊行された「バナナと日本人」には搾取され、農薬に汚染されたフィリピンの農民たちの過酷な実態が暴露されている。今回、40年近い歳月を経て、あの農民たちはいったいどうなったのだろう?というのがテーマとなっている。

  フランスに関しても、日本で消費されるフランスの高級ブランドのバッグや服がどこで、だれによって、どんな労働条件で作られているのか、ということが拙著「立ち上がる夜 <フランス左翼>探検記」ではテーマの一つになっている。フランスで活躍してきたケンゾーなどの華麗なデザイナーの名前は知っていても、それらの服が実際に作られている工場の人々のことはほとんど知られていない。フランス北部の繊維産業の工場群が過去30年ほどの間に次々と東欧などに移転し、工場労働者たちは仕事を失ってきた現実がある。「立ち上がる夜」というパリで行われた政治変革運動はそうした労働者の現状を変えよう、という思いが起爆剤になっている。かつての先進国と途上国という二分法では見えない、共通のものがある。

  フィリピンとフランス、両国は歴史も地理的背景も産業構造も大きく異なっているけれど、そこで生産された財が日本に輸入されて届く。しかし、私たち消費者はそれがどのように生産されているか、ということにはほとんど目が届かない。その意味では両国には通じるものがある。つまり、私たちの多くは単なる消費者でしかなかった、ということだ。生産している人々の暮らしや幸せまでとても想像力が届かなかっただけでなく、報道すらほとんどされてこなかったと言って過言ではないと思う。その意味では2つの作品がともに今、公開されようとしていることは偶然ではなかったように思えてならない。

 

この夏、出版された筆者の最新刊「立ち上がる夜 <フランス左翼>探検記」社会評論社刊。320ページ。足を使って書いた体当たりのルポです。

ビデオ作品「甘いバナナの苦い現実」(アジア太平洋資料センター)から発売予定。3部構成で約80分。監督:村上良太

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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