『論語』憲問篇に諸国を巡遊して忙しい孔子を批判する微生畝の言葉とそれに答える孔子の言葉がある。
「微生畝(びせいほ)、孔子に謂いて曰く、丘、何をか為す。是れ栖栖(せいせい)たる者か。乃ち佞(ねい)を為すこと無からんや。孔子の曰く、敢て佞を為すに非ざるなり。固なるを疾(にく)めばなり。」
これを仁斎の理解にしたがって現代語訳すれば次のようになる。
「微生畝が孔子に向かっていった。孔丘よ、あなたは何を忙しそうにしているのか。世に媚びて口上手に振る舞っているのではないか。孔子は答えていった。私はあえて世に媚びて人の悦ぶことをいい歩いているわけではありません。ただ世を離れて固く独りを守るような態度をにくんでいるからです。」
本章冒頭の「微生畝謂孔子曰」を仁斎は従来の読み方にしたがって、「微生畝、孔子に謂いて曰く」と読み、微生畝が孔子に直接批判の言葉を告げたと解している。吉川幸次郎はこの冒頭の一句は、「微生畝、孔子を謂いて曰く」と読むことの方が『論語』の用例からいってよいとして、微生畝の孔子批判は孔子のいないところで間接的になされたものと解している。微生畝が孔子を「丘」と名指していることや孔子の応答のあり方からして,吉川のように読むのが恐らく正しいのだろう。
だが微生畝と孔子との間の批判と応答が直接的であったのか,間接的であったのかといった問題はここでは措いて、その批判と応答の中味について考えると、吉川がしている理解には私は賛成しかねる。孔子の応答、すなわち「敢えて佞を為すに非ざるなり。固を疾めばなり」を吉川はこう解するのである。「卑屈な弁舌をはたらかせるつもりはない。為政者たちの頑固さを憎悪し、それをときほごそうとしてである」と。
このように解すると、孔子の応答は批判者に対する単なる弁明になってしまう。ここからは孤高の隠者と世にまみれて巡遊する論説者との間の批判と応答がもつ迫真性は失われてしまう。それは批判・応答の場面が直接的であるか間接的であるかとはかかわらない問題である。仁斎たちのように解することによってはじめてこの応答は、すなわち孤高の隠者に対する世にまみれて巡遊する論説者の応答として生き生きとした意味をもってくるのである。
世にまみれて論説するものは絶えず口舌家の誹りを己れの背後に負っている。その背後から聞こえる誹りにどう答えるのか。孔子の応答は世にまみれて論説するものの応答の原初的あり方を示すものではないのか。私もまた何をいつまでも忙しそうにしているのだ、それは世に媚びた口舌家の振る舞いではないかといった誹りの声を背後から聞いている。
そうした誹りの声に孔子は原初的な正しさをもって答えているのだ。「私は世に媚びているのではない。私が忙しくするのは、世を離れて独り高みにいるものの独善性をにくんでいるからだ。」
[4月23日、久しぶりの論語塾で本章を含む憲問篇を読みます.]
初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/58244317.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study728:160413〕