(2023年1月23日)
目出度くもない今年の正月だった。目出度いと言った人も、もう正月気分ではない。が、今年の正月のビックリ体験を書き留めておかねばならない。
宗教紙というべきか政治紙というべきかは微妙だが「神社新報」という出版物がある。その本年1月1日号の「杜に想ふ」というコラムを、山谷えり子が書いている。「参議院議員、神道政治連盟国会議員懇談会副幹事長」という肩書が付いている。その書き出しを引用させていただく。なんともアナクロ極まる、右翼文章の典型。無意味、無内容、無味乾燥というほかはない。
「皇紀二千六百八十三年、令和五年、謹んで新春のお慶びを申し上げます。新年を迎へるにあたり、皇室の弥栄と天下泰平、国土安穏、聖寿無窮、万民豊楽を祈念いたします。
癸卯の本年は、これまでの努力が花開き、実り始める年と言はれてゐる。とくに、筋を通していけば繁栄していく年回りとされる。国際情勢は厳しく、物価上昇による家計への影響など不安も長引いてゐる中だからこそ一日も早く日々の暮らしが穏やかな希望の光に満ちた年となるやう願ひ、行動していきたい。
それにしても、初詣の皆さまのお顔に接すると、長く紡がれてきた歴史、文化、地域のつながりの確かさを感じ、新たな決意を固くするのは私だけではないと思ふ。国民こぞって神社で心を清め、力をいただく、日本に生まれたありがたさである。(以下略)」
「皇紀二千六百八十三年、皇室の弥栄と聖寿無窮を祈念」だと。目も眩むようなことをのたまう国会議員、いったいいつの時代の御仁なのか。
山谷えり子といえば、国家公安委員長の経歴を持ちながら、統一教会との特別の親密さで知られた人物である。そのような立場で、神社新報の元日号に伝統右翼としてコラムを書くのだ。「世界日報」のインタビューで話題となった人の、神社新報元日号のコラム。
一方では、韓国の民族意識を基調とする統一教会信仰と緊密な関係を持ちつつ、神社神道にも秋波を送り、「日本に生まれたありがたさ」を語る。また、国民の福利ではなく真っ先に「皇室の弥栄」を述べる感性の持ち主でもある。この人の精神や頭脳は、いったいどんな構造となっているのだろう。
もちろん、人には信教の自由がある、二股掛けた信仰だって咎めることはできない。「国民生活よりも皇室の弥栄が重要」という政治信条も結構だ。しかし、政治家には選挙人に対して、自分が何者であるかを説明する責任がある。隠してはならない。ウソをついてはならない。
ところがこの人、統一教会から、重点候補として選挙運動の支援を受けてきたことを、一貫して否定し隠してきたことで有名になっている。
おそらくは、この人の主たる票田は「皇紀二千六百八十三年・皇室の弥栄・聖寿無窮」などと言ってみせれば喜ぶ種類の人たちなのだろう。しかし、それでは票数が足りない。当選ラインに達するには、統一教会票が喉から手の出るほどに欲しい。 統一教会 運動員の支援も欲しい。さりとて、あからさまに韓国ナショナリズムに身を擦り寄せれば、皇国ナショナリズムに抵触することになる。だから、統一教会票を取り込んでいること、統一教会から選挙運動支援を受けていることは、大っぴらには語れないのだろう。
安倍晋三銃撃事件の後はなおさらである。これまでも隠してきたのだ。今後も隠し続けることができる、とお考えのようだ。
ところで、統一教会信仰者にも、真面目な人は多かろう。こんな二股の山谷えり子を支持し、応援することができるのだろうか。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2023.1.23より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20663
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion12760:230124〕