今年は「被爆70年」。それを機に広島で被爆した作家の文学資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」 に登録するための活動をしている広島市の市民団体は、このほど、遺産への登録を申請するのは峠三吉ら3人の作品にしぼることを決めた。これら3人の作家の文学的偉業を広く知ってもらうための文学展やシンポジウムを、6月に広島市で開催することも決めた。
よく知られているユネスコの「世界遺産」は、遺跡、景観、自然など人類が共有すべき普遍的価値をもつ物件で、移動が不可能なものが対象。これに対し、同じユネスコの「世界記憶遺産」は世界的に貴重な直筆文書、書籍、絵画、映画などの記録を保護するためにユネスコが1992年に創設した事業で、2年ごとに各国政府、自治体、非政府組織(NGO)の推薦を受け、審査、登録する。日本における申請受付の窓口は日本ユネスコ国内委員会である。
2013年までに109カ国の301件が登録された。これには、『アンネの日記』や『ゲーテの直筆作品』も含まれる。日本からは、「御堂関日記」「慶長遣欧使節関係資料」「炭鉱記録画家・山本作兵衛(1892~1984)の炭鉱記録画」の3件。とくに山本作兵衛の炭鉱記録画の登録(2011年)は日本で注目を集め、国民の間に世界記憶遺産への関心を呼び起こした。
2014年には、15年の登録を目指して4件が名乗りをあげたが、候補は一カ国につき2件までという制限があるため、結局、国宝の「東寺百合文書」と、第2次大戦末期のシベリアにおける日本兵抑留等の記録「舞鶴への生還」が国内候補となった。
原爆文学の原資料の世界記憶遺産登録を目指しているのは「広島文学資料保全の会」(代表、土屋時子さん)である。「広島に文学館を!」を目的に、1987年に広島の文化人、学者ら11人が発起人となって発足した市民団体で、文学館設立を求める署名運動、関連資料の収集・保全、文学資料展、講演会などを展開してきた。この間、広島市に「文学館をつくって」と何度も交渉してきたが、そのたびに「予算がない」と言われ、いまだに実現していない。
このため、別な切り口で原爆文学の原資料の保存と活用を図れないものかと考え続けた末に思いついたのが世界記憶遺産への登録だったという。池田正彦・保全の会事務局長が語る。「これからも広島市には期待できない。加えて、被爆作家の遺族や保全の会メンバーの高齢化が進み、原資料の保存には不安が高まる一方です。そこで思いついたのが、世界記憶遺産への登録でした。そこに登録されされれば、行政も保護に乗り出すでしょう。そうすれば、原爆文学関連資料は人類共有遺産として末永く世界中の人々によって鑑賞され続けることになります」
保全の会としては、2017年の登録を目指すが、これに間に合わせるには今年の6月までに日本ユネスコ国内委員会に申請しなくてはならないことが分かった。そこで、今年に入ってから、申請のための作業を本格化した。
まず、登録を申請する作品の選定である。これまでは、詩人・峠三吉、詩人・栗原貞子、作家・原民喜、作家・大田洋子、歌人・正田篠枝らの作品を考えていた。が、池田事務局長によると、大田と正田の作品については遺族の了解が得られなかったため、峠、栗原、原3人の作品、それも各人1点ずつ計3点にしぼったという。
峠三吉の作品は『原爆詩集』(1951年発表)の直筆最終草稿。草稿の書き出しは、「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ」。彼の詩の中で最もよく知られた詩だ。この草稿は保全の会で保管している。
栗原貞子の作品は、『うましめんかな』(1946年発表)の直筆ノート。「こはれたビルディングの地下室の夜であつた。/原子爆弾の負傷者達は/くらいローソク一本ない地下室を/うづめていつぱいだつた。/生ぐさい血の臭ひ、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声」で始まる詩は、原爆で破壊された広島貯金局の地下室で、8月8日の夜、赤ん坊が生まれたという話を聞いた栗原が新しい生命の誕生をうたった詩で、彼女の代表作である。この詩が収められた直筆ノートは広島女学院大学が保管している。
原民喜の作品は『原爆被災時のノート』。彼の代表作『夏の花』(1947年、「三田文学」に発表)の執筆のもとになった被爆時の手帳だ。彼はこの作品発表後の1951年に東京の中央線の鉄路に身を横たえ、自ら命を絶っている。『ノート』は親族が保管している。
保全の会は、この3作品について「いずれも1945年8月6日の惨状を記録し、優れた文学作品として多くの人々に読み継がれてきた。これらの作品(記録)は世界史・人類史的にみて貴重な遺産」としている。
保全の会は、世界記憶遺産登録申請活動に理解を深めてもらうため、6月2日~14日、広島市の市民交流プラザ1階ロビーで、 「栗原貞子、原民喜、峠三吉文学展」を開く。登録を申請する3人の作品や周辺の記録を展示する。
期間中の6月13日(土)には、広島市内で「記憶遺産申請のためのシンポジウム」を開催する。国内外から4人のパネリストを招き、原爆文学を世界遺産に申請する意義、3人の作品の資料的価値などを論じてもらう予定だ。
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