「主人とドレイ」の関係は深化すべきか ―ドキュメンタリー映画『ANPO』を観て―

89分のドキュメンタリー映画『ANPO』はアメリカの女性映画監督が描いた「安保」像である。同時代人へのインタビューと映像を織り交ぜて見せていく。手法として新奇なものはないが、見ていくうちに私は随所に新鮮な驚きと大きな共感を覚えた。

三つほどの観点から論じたい。
一つは、主に芸術家の作品を背景にして「安保」を語っていること。
二つは、安保―正しくは「反安保」―のエネルギーの巨大さを語っていること。
三つは、安保闘争の結果、いかに一面的な日米関係が続いているかを語っていること。

《絵画と映像による安保の表現》
映画監督大島渚は戦争記録を論じて「敗者は映像を持たない」と言った。東宝争議を論じて「なぜ争議を映像に残さなかったのか」と批判した。私は安保についても同様ではないかと疑いたい。我々は安保闘争に関する映像をしっかりと残しているか。それは決して多くはない。
その中から監督リンダ・ホーグランドは、ドキュメンタリー『1960年6月 安保への怒り』(富沢幸男監督・60年)の動く映像によって、また多くの画家・写真家による動かない映像によって安保闘争を再現する。さらには安保に関わる戦後日本の総体を表現する。

会田誠、朝倉摂、池田龍雄、石内都、石川真生、嬉野京子、風間サチコ、桂川寛、加藤登紀子、串田和美、東松照明、中村宏、細江英公、山城知佳子、横尾忠則、佐喜眞加代子、阿部合成、石井茂雄、井上長三郎、市村司、長濱治、長野重一、浜田知明、濱谷浩、林忠彦、丸木位里・俊、森熊猛、山下菊二。一つ一つを紹介できないのが誠に残念である。

これらの芸術家の、作品はおろか名前さえ、私は多くを知らなかった。だがメディアが価値判定人である社会にあって彼らは名作・労作を作り続けたのである。監督はこれらの「文化遺産」を日本にもあった「抵抗」の歴史の表現と考えている。その発掘と評価に対して私は大いなる敬意を表したい。
安保は政治的な事件である。しかしこの映画監督はおおむね絵画・映像を材料にしてしか安保を語らない。そのことは「安保」が、政治的事件であるとともに、我々の精神における事件であることを強調しているように思う。

《安保エネルギーの実体は何だったのか》
『1960年6月 安保への怒り』に写っている日本人の毅然とした表情に私は涙を禁じ得なかった。それは幾分かは自分の顔でもあったと思うからである。
安保闘争は20年に亘る不況と閉塞感の中にある今の日本では信じられないような国民的エネルギーの爆発であった。後知恵で法律論をいえば改訂安保が幾分の双務性や自立性を獲得したという論が成り立つかも知れない。しかし当時の世論を要約すれば「東条内閣の閣僚でA級戦犯容疑者だった政治家が首相となり米国と組んで日本を再び戦争に駆り立てようとしている。やり口は独裁的・反民主的である。平和・独立・民主主義のこの危機から日本を守れ」というものであった。「反戦・民主・反米」が渾然一体となったナショナリズム感情の発現であった。普段ならストライキに反対するタクシー運転手や商店主がデモ行進の列に熱烈な拍手をおくった。国会を何日も何日も十万人規模の群衆が包囲した。その熱気が画面から伝わる。この状況をいまは当事者もジャーナリストも客観的に語る。

安保の勝負はついたのか。勿論、ついた。安保は通ったのだから安保闘争は敗北に終わった。これが常識である。しかし一本勝ちではなく判定勝ちであった。
ジャーナリストの保阪正康は画面で「このエネルギーが高度成長へとつながった」と語っている。これは重要なポイントである。政治の季節から経済の季節への転轍機は誰が回したのか。それは大衆のエネルギーに恐怖した権力が回したのか。それとも敗北した大衆自身が回したのか。映画監督は安保闘争の勝敗そのものには関心がなさそうである。彼女の関心はポスト安保の日本人の精神構造にあるらしい。 《アメリカ人に問われている安保の精神構造》
リンダ・ホーグランドは日本生まれで、宣教師の娘として山口と愛媛で公立小中学校に通った。イェール大学卒。日本で2007年に公開されたドキュメンタリー『TOKKO―特攻』(2007年)ではプロデューサーを勤めた。この作品は、日本の特攻兵士が狂気の非人間ではなく普通の人間であったことを淡々と描いた、それでいて静かな反戦の意志が感じられた。リンダは黒澤明から黒澤清まで日本の映画監督の作品約200本の英語字幕も制作している。彼女は『ANPO』のパンフレット(10年9月)にこう書いている。

▼日本人の子供達と一緒にアメリカが広島に落とした原爆について授業で教えられた時の記憶は鮮明です。先生が原爆の悲惨さを話し終わったら、小学校4年生のクラスメート達は一斉に唯一金髪で青い目のアメリカ人を振り返り、いったいどんな野蛮な国の人達がこんな無残なことをしたのだろう、という眼差しで見られた記憶があります。その瞬間、私も自分の国がもたらした行為の酷さに、子供なりの罪悪感で胸を痛め、とにかくその場所から逃げ出したかったことを覚えています。私はその体験に対するこだわりから、大人になってからも、日本人とアメリカ人の狭間であの戦争と、そして今日までの日米関係について様々な視点から考えることになりました。▲

映画は安保闘争の残した問題を追跡する。目に見える形では米軍基地の役割―いうまでもなくベトナム、イラク、アフガン戦争の基地としての―についてである。
作者の最大関心は安保体制が日本人の精神をどのように変えてきたかにある。
彼女は日本映画の字幕を制作する過程で1960年が、大島渚や今村昌平だけでなく、成瀬巳喜男にまでトラウマを残したことを知った。この感受性を私は信頼する。その後、前述のように多くの絵画や写真に接することによって、彼女は「安保がいかに国民的な運動であり、どれほどの人達の希望と熱意をかき立て、究極的にはどれほどの人達の絶望と挫折を呼んだのか」を分かり始めたというのである。

《安保後50年論の秀作》
作品中の登場人物が日米関係を「娼婦とヒモ」の関係にたとえている。これに対する作者の評価は明示されていない。しかし、である。日米関係は「主人とドレイ」の関係に近似している。しかもそのことを日本人は自覚していない。これが作品のメッセージだと私には感じられる。いま日本の二大政党は何をやっているのか。日米関係の深化を政策の中心にしている。いま日本のメディアは何をやっているのか。米空母ジョージ・ワシントンへ自衛隊ヘリが着艦する画面を批判もなく流している。自衛隊の指揮権は誰が行使しているのか。日米韓軍事協力は日独伊三国同盟とどこがちがうのか。

安保50年目の2010年に様々な言説が生産された。その中にあって映画『ANPO』は第一級の作品である。

■『ANPO』の上映館・上映時間は限られています。「映画『ANPO』公式ブログ」で確認の上ご覧下さい。http://www.uplink.co.jp/anpo/

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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