墨堤こそが桜の名所と心得の御仁には、「佃育ちの白魚さえも、花に浮かれて隅田川」であろうが、こちらは「銭湯で上野の花の噂かな」である。今年は、花の噂の出る時分からこの方、ほぼ毎日上野の山に通い続けている。人が集まるのは、オオヒガンザクラ、ヨウコウやヒナギクザクラから、オオシマ、ソメイヨシノに移ってきた。満開に近くなって花冷えの日が続き、ソメイヨシノは長持ちしているが、今日は暖かい。明日は花吹雪だろう。
早朝、赤門から東大キャンパスにはいって鉄門を出る。無縁坂を下ると、不忍池の桜が見えてくる。ここで思わず頬が緩む。咲き誇ったソメイヨシノだけではなく、いくつもの品種が春を謳歌している。
行き交う人の7分か8分かは、外つ国の人々。まったく解せぬ言葉も耳に飛び込んで来る。みな賛嘆の面もち。私は、日本の自然を語る際にはナショナリストになる。花の上野は、まずは平和な国際交流の舞台である。
ところで、桜の名所には必ず「薀蓄オジさん」が出没する。この日も、出た。
多分珍しい品種なのだろう。コケシミズと名札がかかっている、白い大ぶりの花をしげしげと見ていたら、声をかけられた。「これは、オオシマの改良種なんですよ」。
オオシマよりは遙かに大ぶりの花だが、緑がかったこの風情は、なるほどオオシマの改良種と言われればまことにそのとおり。「薀蓄オジさん」には、敬意を表しなければならない。
畏まってコケシミズについての講義を拝聴して、「上野公園で見るべき桜は何でしょうか」とお伺いを立てると、「ここの名物と言えば、やはり、コマツオトメでしょうね」とのお答え。「ああ。ソメイヨシノの片親と言われている、あの動物園前の」というと、遮られた。「かつては、そう言われていましたが、最新のDNA分析では、どうもそうではないようですよ。ソメイヨシノは、やはりエドヒガン、オオシマ、ヤマザクラの交配の繰り返しでできたもののようですね」
薀蓄オジさんとのお別れに際しては、心からの感謝の意を表明しなくてはならない。心からの、という誠心誠意の真摯さが重要で、口先だけのおざなりなアベのごとき謝意の表明は国際関係でも紛争のタネとなる。反面教師のありがたい教えを心しなければならない。本日は、ソメイヨシノに加えて、大輪のシロタエや、ベニユタカの満開を堪能し、咲き始めたヤエベニトラノヲを愛でて帰途に。私もちょっと、薀蓄オジさんぶりがうつってきたかも。
つくづくと、平和の大切さを思う。かつて陸軍が桜を兵営に植えたのは、桜の散る様を兵の戦死になぞらえ、桜花の散り際の美しさを兵の死の潔さに喩えてのことといわれる。その桜を、文部省は全国の学校の校庭に植えたのだ。
太平洋戦争末期、戦況劣勢となってのレイテ沖海戦において、史上初めて「神風特攻隊」が編成された。その第一陣は、「敷島隊」、「大和隊」、「朝日隊」、そして「山桜隊」の計4隊の乗員13人であった。いうまでもなく、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」という歌からの命名。若い兵士の命は、桜のごとく散るよう強いられたのだ。
上野の山の花と人とのにぎわいは、平和と国際協調あればこそ。平和憲法とともに、この花の美しさとにぎわいをいつまでも保ちたいものと思う。
(2019年4月5日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.4.5り許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=12365
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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