(2022年2月21日)
先週の金曜日2月18日、最高裁第二小法廷は、「乳腺外科医・えん罪事件」において、懲役2年の実刑とした原審の東京高裁判決を破棄した。この点において、心配された最悪の結果は回避され一応は安堵させられた。しかし、最高裁は自判して無罪との宣告はせず、審理は東京高裁へ差戻された。判決書きを読んでみると、無罪の判決を言い渡すべきであったと思う。この点どうしても不満が残る。
松川や三鷹、菅生などの一連の諸事件を「冤罪事件」とは言わない。言うべきでもない。あれは、「弾圧事件」である。つまりは権力がデッチ上げた刑事裁判なのだ。しかし、この「乳腺外科医に対する準強制わいせつ起訴事件」には、権力による弾圧という声は聞かない。救援運動はそのような運動の建て方をしていない。これは、司法の欠陥がもたらす「冤罪」と言うべき事件なのだ。
真実を見極めることは難しい。この事件では、「被害者」が、「事件」直後に「被害」を訴えるメールを打ち、その後の証言も一貫している。ことさらに、医師を貶める動機はない。被害者の胸からは被告人の唾液と思しき付着物は検出されている。他の冤罪事件同様、有罪と考えられるべ状況はある。しかし、現場は個室でも密室でもない4人部屋の病室。何人もの医療関係者や患者・付添人が行き交う環境で、常識的にはあり得ない「犯行」。
一審は無罪としたが、控訴審は逆転有罪となった。しかも、懲役2年の実刑であった。問題となったのは、「被害者」が「術後せんもう」による「幻覚」の症状にあった可能性を否定できるか、そして被害者の胸の付着物がわいせつ行為の証明たりうるかということ。最高裁判決は、一審と二審の判決を比較して、二審の判決は維持できないとした。この判決全文は、下記のURL(最高裁HP)で読むことができる。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=90933
この判決の結論部分は、以下のとおりである。
「A(公訴事実での被害者)の証言の信用性判断において重要となる本件(付着物)定量検査の結果の信頼性については,これを肯定する方向に働く事情も存在するものの,なお未だ明確でない部分があり,それにもかかわらず,この点について審理を尽くすことなく,Aの証言に本件アミラーゼ鑑定及び本件定量検査の結果等の証拠を総合すれば被告人が公訴事実のとおりのわいせつ行為をしたと認められるとした原判決には,審理不尽の違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するというべきである。
よって,原判決を破棄し,専門的知見等を踏まえ,本件定量検査に関する上記の疑問点を解明して本件定量検査の結果がどの程度の範囲で信頼し得る数値であるのかを明らかにするなどした上で,本件定量検査の結果を始めとする客観的証拠に照らし,改めてAの証言の信用性を判断させるため,本件を東京高等裁判所に差し戻すこととし,裁判官全員一致の意見で,主文(破棄・差し戻し)のとおり判決する。」
この判決の理由はおかしいのではないか。言うまでもなく、有罪の立証責任は検察官にある。しかも、合理的な疑いを容れる余地のない程度の立証が要求される。その立証に成功しなければ裁判所は無罪の判決をしなければならない。それが、文明社会が到達した刑事訴訟の基本ルールである。
そもそも検察官と被告人は、対等の力量を持つ当事者ではない。一方が強大な国家権力を行使して有罪の証拠を収集する権限と力量を持ち、他方は自己に有利な証拠の収集に何の実力も持たない。
この最高裁判決が「原判決には,審理不尽の違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らか」というのは、検察官の有罪立証不成功を認めたことである。ならば、無罪判決をすべきが当然ではないか。補充の立証によって有罪判決獲得の機会を与えようというのは、刑事訴訟の基本ルールに照らして間違っているとしか言いようがない。
「被告人は、常に無罪と推定される」「検察官に有罪の立証責任ある以上、無罪判決以外にはない」「事実審(一・二審)における立証活動においては、被告人を有罪とするには合理的な疑いが残る」「従って、被告人は無罪」と判決すれば、司法の評価を高からしめたのに。惜しいことをした。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.2.21より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=18613
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11779:220222〕