「俺はもう、そんな日本人にはなりたくねえんだ。」

中村敦夫が一人芝居として演じる朗読劇「線量計が鳴る~元原発技師のモノローグ」が話題となっている。

「原発の町で生まれ育ち、原発で働き、そして事故で全てを失った主人公のパーソナル・ヒストリー」だそうだ。中村が演じる老いた元原発技師のモノローグで原発が作られた経緯や仕組み、事故の実態、また原発を動かしている本当の理由、その利権に群がる「原子力ムラ」の相関図が浮き彫りにされる。

双葉町に生まれた主人公は原発で働くが、不正を内部告発してクビになる。そして原発事故ですべてを失う。老いた元原発技師が人生を振り返ることで、原発がつくられた経緯や事故の実態、利権に群がる「原子力マフィア」などの問題が浮かび上がる。劇中で、国は「除染したから村に帰れ」と避難者に指示する。主人公は帰らないことを決意して、ここで有名になった決めゼリフを言う。

  「右を向けと言われたら右を向き、左と言われれば左を向き、死ねと言われたら死ぬと。
   俺はもう、そんな日本人にはなりたくねえんだ。」

原発を推進した国策の構造は、戦争を推進した国策にそっくりだ。日本人はその国策に唯々諾々としたがった。中村の決めゼリフは、原発の推進を許した国民の責任を、戦争を許した当時の国民の責任と重ねている。

日本人は、戦犯を自らの手で裁くことができなかった。それどころか、再びの天皇美化にさえ手を染めている。メディアが提灯記事をかき、国民も提灯を手に天皇を歓迎するの図柄だ。戦争への反省が中途半端だった日本人が原発の推進を許し、再稼働をたくらむアベ政権の存続を許している。あまつさえ昨日(6月10日)の新潟知事選では再稼働反対を明言する野党共闘候補を落選させてもいる。中村敦夫が、「あっしには関わりのないことでござんす」とは言っておられない。「俺はもう、そんな日本人にはなりたくねえんだ。」と叫ばずにはおられない思いなのだ。

それにしても、この決めゼリフ。いくつものパロディが可能だ。

  右を向けと言われたら右を向き、
  左と言われればいつまでも左、
  天皇のために死ねと言われたら死ぬと。
  俺はもう、そんな日本人にはなりたくねえんだ。

  起立しろと言われたら「日の丸」に起立し、
  唱えと言われれば「君が代」を唱い、
  国や会社のためなら死ぬほどはたらくと。
  そんな日本人がまだいるんだ。

  隠蔽と言われたら隠蔽し、
  改ざんと言われれば改ざんし、
  辞職と言われたら辞職する。
  俺はもう、そんな官僚にはなりたくねえんだ。

  圧力と言われたら圧力だと言い、
  完全に一致してますなどとゴマを擂り、
  ハシゴをはずされてもへらへらと。
  俺はもう、そんな首相はがまんがならねえんだ。

  共鳴したから名誉校長を引き受け、
  都合が悪くなったら知らん顔、
  ほとぼり冷めるまでダンマリと。
  私はもう、そんな首相夫人はまっぴらだ。

  「いいね」と言われたから頼ったんだ、
  口裏合わせてここまでがんばって、
  いまさらダメなんてあり得ない。
  もう学部を閉めるなんてできっこねえんだぜ。

  監督に命令されたら逆らえない、
  相手選手を壊せと言われたら壊しに行き、
  おかしいだろ反省しろと言われたら反省してみせる。
  俺はもう、そんな体育系はやになっちゃった。

  完全・絶対・不可逆なんて
  あんたが言うからその気になって、
  ヘイト、ヘイトでついてきた。
  今さら北の将軍にお世辞使って会談なんて
  俺はもう、日本会議をやめたくなった。

  右を向けと言われたら左を向き、
  左と言われれば右を向く。
  そこまではっきりしなくても、
  面従腹背の日本人ばかりなら戦争なんてできねえんだ。

(2018年6月11日・連続更新1898日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2018.6.11より許可を得て転載        http://article9.jp/wordpress/?p=10509

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