「南京事件をなかったことにしたい」人々と、「あったかなかったか分からないことにしてしまいたい」人々と。

(2022年12月15日)
 毎年12月13日が、中国の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」である。現在、「国家哀悼日」とされて、日中戦争の全犠牲者を悼む日ともされている。この「南京大虐殺」こそは、侵略者としての皇軍が中国の民衆に強いた恥ずべき加害の象徴である。

 私も南京には、何度か足を運んだことがある。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」も訪れている。そこでの印象は、激しい怒りよりは、静かな深い嘆きであった。粛然たる気持にならざるを得ない。

 私の同胞が、隣国の人々に、これだけの残虐行為を働いたのだ。人として、日本人として、胸が痛まないわけがない。

 1937年の事件当時、私はまだ生まれていない。だから、私に責任のあることではない。責任とは一人ひとりに生じるものではないか、などと強弁することはできるかも知れない。しかし、現地では、とうていそんな気持ちにはなれない。日本人の一人として、中国の民衆に深く謝罪しなければならない、と思う。

 日本社会は、いまだに侵略戦争の罪科を認めず、戦争責任を清算し得ていない。のみならず歴史を修正しようとさえしている。そのことについては、戦後を生きてきた私自身も責任を負わねばならない。安倍晋三のごとき人物を長く首相の座に坐らせていたことの不甲斐なさを嘆くだけではく、そんな社会を作ったことの責めを負わねばならない。

 事件から85年となる一昨日、現地の「紀念館」で、恒例の追悼式典が行われた。
式典で演説した中国共産党幹部の蔡奇(ツァイ・チー)は旧日本軍の行為について、「人類の歴史において非常に暗い1ページだ」と指摘した上で、「中日国交正常化から50年、様々な分野での交流と協力が実を結び、両国の国民に重要な利益などをもたらし地域の平和や発展、繁栄を促進した」「新時代の要求にふさわしい中日関係を構築すべきだ」などと述べたと報じられている。これが、本当に中国国民の気持ちを代弁する言葉なのだろうか。疑問なしとしない。

 南京事件にせよ、関東大震災後の朝鮮人虐殺にせよ、細部までの正確な事実を特定することは難しい。虐殺をした側が証拠を廃棄し、直後の調査を妨害するからだ。大混乱の中で大量に殺害された人々の数についても正確なところはなかなか分からない。

 細部の不明や、些細な報道の間違いを針小棒大にあげつらって、「南京虐殺」も、「朝鮮人虐殺」もなかった、という人たちがいる。事実の直視ができない人たち、見たくないことはなかったことにしたいという、困った人たちである。

 「南京虐殺40万人説」はあり得ない、「30万人説も嘘だ」。だから、「実は、南京虐殺そのものがなかったのだ」という乱暴な「論理」。

 そういう人たちの「論理」を盾に、「『南京虐殺』も、『朝鮮人虐殺』もあったかなかったか、不明というしかない」という一群の人たちがいる。実は、こちらの方が、もっともっと困った人たちであり、タチが悪いのだ。

 旧軍がひた隠しにしていた南京虐殺は、東京裁判で国民の知るところとなった。以来、日本国政府でさえ、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」としている。ところが、「不明」「不可知」に逃げ込む人々が大勢いる。知的に怠惰で、卑怯な態度といわねばならない。たとえば、文京区教育委員の面々である。

 戦争の悲惨は語り伝えなければならない。被害の責任だけではなく、加害の責任も。そのような姿勢で、日中友好協会・文京支部は、2018年以来毎年8月に、「平和を願う文京・戦争展」を企画し、「日本兵が撮った日中戦争」の写真展示を続けている。その写真の中に、南京事件直後の生々しい写真がある。これが、問題となった。

 この企画展について後援申請をしたところ、文京区教育委員会は「後援せず」と決定したのだ。このことが、18年8月2日東京新聞朝刊『くらしデモクラシー』に大きく取りあげられた。

 同記事の見出しは、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。

 日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」の後援申請を、東京都文京区教育委員会が「いろいろ見解があり、中立を保つため」として、承認しなかったことが分かった。日中友好協会文京支部主催で、展示には慰安婦や南京大虐殺の写真もある。同協会は「政治的意図はない」とし、戦争加害に向き合うことに消極的な行政の姿勢を憂慮している。

 同展は、文京区の施設「文京シビックセンター」で8~10日に開かれる。文京区出身の故・村瀬守保(もりやす)さん(1909~88年)が中国大陸で撮影した写真50枚を展示。南京攻略戦直後の死体の山やトラックで運ばれる移動中の慰安婦たちも写っている。

区教委教育総務課によると、区教委の定例会で後援を審議。委員からは「公平中立な立場の教育委員会が承認するのはいかがか」「反対の立場の申請があれば、後援しないといけなくなる」などの声があり、教育長を除く委員四人が承認しないとの意見を表明した。区教育委員会には何の見識もない。戦争を憎む思想も、戦争への反省を承継しようとの良識のカケラもない。

 文京区教育委員会事案決定規則によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。

 教育委員諸氏には、右翼・歴史修正主義者の策動に乗じられ加担した不明を恥ずかしいと思っていただかねばならない。自分のしたことについて、平和主義に背き、歴史に対する罪を犯したという、深い自覚をお持ちいただきたい。

 教育長 加藤 裕一
 委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
 委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
 委員 坪井 節子(弁護士)
 委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.12.15より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20462

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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