「原子力平和利用」受容は第二の敗戦 -書評 『原発とヒロシマ―「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット)-

《我々はなぜ原発を受け入れたのか》
 原爆被爆国であり地震国でもある日本がなぜ原発を受け入れたのか。
この素朴な疑問に答えることは、戦後日本の総体を徹底的に総括することと同義である。私はそう考えるようになった。それにしても、上から下まで、右から左まで、原子力の「平和利用」にどうして積極的にコミットしたのか。実に無警戒に嬉々として賛成したのか。60頁の小冊子であるが本書はこの問題への回答を提示する重要な一冊である。
共著者田中利幸(たなか・としゆき)は広島市立大学広島平和研究所教授、同ピーター・カズニックはアメリカン大学歴史学部准教授・同大核問題研究所所長。

著者の一人田中は序章でいう。
▼今回の福島原発事故も、内部被曝の結果、これから数十年にわたって予想もつかないほどの多くの市民をして、無差別に病気を誘発させる可能性を否定できない。このことから、原発事故も「無差別大量殺傷行為」となりうるものであり、したがって「非意図的に犯された人道に対する罪」と称すべき性質のものである。
被爆国・日本は戦後、核の危機に目をつむり、原発政策へと邁進していった。その「原点」にアメリカによる「原子力平和利用」戦略がある。福島での深刻な原発事故を契機に、私たちはいま改めて、この「原点」に向き合う必要がある。

《アメリカの周到な原子力戦略》
 アメリカによる原子力平和利用戦略は、第一に核保有国が独占を続ける一方で、核を持たない国には平和利用のみに限定しようとするものであった。第二に米軍事産業による西側同盟諸国資本の支配が目的であった。これが本書の基本的な視点である。対日戦略では、日本人の核アレルギー除去のため、50年代には広島に原発を造る計画すら存在した。米国の原子力関係者や関係企業から広島市長を含む日本の要人への打診があり、55年1月には下院議員イエーツが「広島市に日米合同の発電炉を建設する緊急決議案」を下院本会議に提出した。その提案理由として「日本に原爆を投下したアメリカとして真のキリスト教的精神」を挙げている。当時の広島県知事、広島市長、『原爆の子』編集者の長田新(おさだ・あらた)、原水禁広島の森瀧市郎らが、濃淡の差はあれ、賛意を示した。計画は結局、アメリカの原爆投下責任を認めることになると考えたアイクの反対で中止になった。

しかし日本による「原子力平和利用」の受容、メディアによる原子力支持世論の形成というアメリカの狙いは、正力松太郎と中曽根康弘によって推進された。正力は政治家としてとしては勿論、読売新聞と日本テレビの経営者として、メディアによって平和利用を徹底的にPRした。中曽根康弘は政治家として予算をつけ組織を作った。

55年から56年に全国を巡回した日米合作による「原子力平和利用博覧会」、58年の「広島復興大博覧会」の影響力は絶大であった。本書はこれらのキャンペーンを、アメリカによる”Atoms for Peace”政策の心理(=洗脳)作戦の一部として、CIAが深く関与する形で、世界各地で開いたものの一環であったと位置づけている。この作戦展開のなかで、日本人が「上から下まで、右から左まで」洗脳され自己欺瞞に陥っていく叙述は本書の圧巻である。
「軍産複合体」に警鐘を鳴らした米大統領アイゼンハウワーの、冷徹な軍人政治家としての実像がカズニックによって暴露される。日本側の反応が田中の詳細な分析で明らかにされる。

《中曽根康弘と末川博が同じボートに》
 二つの発言を示しておく。中曽根康弘と末川博である。原子力を「猛獣」にたとえているところが共通している。56年5月の広島における「原子力平和利用博覧会」開会式に衆・参院原子力合同委員長だった中曽根は次のメーセッジを送った。
▼日本では原子力の問題は未だこのような悲しみや詠嘆調で扱われてきたが、この悲しみを発展への原動力に、すなわち喜びに切り替えてゆくだけの民族的気力と勇気とを今こそ日本人はもたねばならぬ。日本がビルマやインドネシアのような後進国にならなかったのも、明治のはじめに八幡製鉄所を官営で作り、ドイツ、フランスの学問を入れたからである。原子力は日本人の一部では未だ猛獣であると思われているが、欧米では家畜になっていることを銘記すべきだ。この意味で広島原子力平和利用博覧会が画期的貢献をなすよう希望してやまない。

進歩的な法学者として知られた立命館大学総長末川博は次のように言った。
▼世界歴史はいまや第一次産業革命以上の大転換期に進みつつある。わが国でも原子力平和利用によって、エネルギー源が無限に拡大されることによって人類はあらゆる面で全く夢想もしなかったような境地に進み得るようになった。原子力は御し難い猛獣ではないということが何人にもわかって、これからの歴史がこの猛獣を飼いならし、いかに利用するかにかかっていることを如実に目をもって身近な形で教えてくれるであろう

《「CIAによる陰謀」は事実だった》
 CIAが陰で主導した洗脳作戦といえば安手の陰謀史観に聞こえるかも知れない。
だがそれは事実だったのである。最近では本書の他に有馬哲夫著『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書、2008年)、山岡淳一郎著『原発と権力―戦後から辿る支配者の系譜』(ちくま新書、2011年)、木村朗「原爆神話からの解放と核抑止論の克服―ヒロシマ、ナガサキからフクシマへ」(2011年7月22日「アジア記者クラブ」での講演)などが、原発導入過程の細部をあぶり出し始めている。
原発導入に反対する勢力にも言及がある。本書では平和利用の三原則「民主・公開・自主」について、また一旦は後退したが後年、自己批判して徹底反対の立場に戻った森瀧市郎について公平な叙述がある。
それにしても何たる「惨状」であろうか。これが私の実感だ。私自身、真面目に考えてこなかった。著者が繰り返し強調する〈「核兵器」=死滅/原子力=生命という二律背反的幻想〉に疑問を挟まなかった自分を発見している。

2011年6月にドイツに滞在した田中利幸はドイツ人の反原発意識の理由を、一つはドイツ・ロマン主義に根づいた環境保護主義に求めている。もう一つは、ホロコースト博物館やユダヤ博物館で感じた実感を分析した結論として提示する。それはドイツにおける徹底した戦後総括、事実認識と自己批判を伴う学校教育、それで培われた歴史認識の深さ、これらが反原発意識の根底にあるというのである。田中は本書を次のように結んでいる。

《無念を思い無数の嘆きを受けとめる》
▼広島が叫んできた「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ヒバクシャ」の声の、これまでの弱さと狭さをとらえ返し、すべての核被害者の無念を思い、無数の嘆きを受けとめ、原子力科学技術に依存する文明からの根本的な転換を問わなくてはならない。そのためには、いかなる歴史的背景のために日本の反核兵器運動と反原発運動は最初から乖離し、その結果、両方が弱体化してしまったのかを厳しく見つめ直す必要があろう。

読者を粛然とさせる本である。敢えて必読の書と言っておく。(「新聞週間」の11年10月15日に記す)

■田中利幸、ピーター・カズニック著『原発とヒロシマ―「原子力平和利用」の真相』
(岩波ブックレット819、岩波書店、2011年10月刊)、500円+税

 

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